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ひろかずニュース 平成29年12月30日UP
    
☆ひろかずニュース第75号発刊☆

 私の場合、定例会が終わった後、ニュースの作成に入ります。
 その時の体調や予定によって、作成時間は変わりますが、おおむね、一週間程度で原稿を上げて、各所に確認してもらい、その後、枠組みをして、再度の校正をして発行。という事になります。
 印刷完了までは、定例会が終わってから、おおむね、2週間程度。という事となっていますが、12月だけは、そうはい行きません。
 年始の関係で、印刷屋さんも正月休みとなることから、休みに入る前に、完成していなければ、お正月に配れない。という事となります。
 まあ、現実的に、正月は出歩くという事ではなく、お客さんとして来てくれた方が、ニュースを持ち帰る。という事で、新しいものを完成させておかなければならない。

 
 
12月19・20日、定例会期間中で、『余市町自治基本条例審査特別委員会』の委員長に就任しました。新規の条例案で議員全員の特別委員会というのは多分にない事であり、その委員長となれば、その責任は本当に重要です。ちなみに、今回の委員会は一問一答制ではなく、3回挙手制ということで、議員はコの字形に着席しています。

 で、今年はというと・・・会派要望書提出の時に綴ったように、定例会最終日は21日という事で、タイムリミットは8日間という事となっていました。

 当然、いままで通りのやり方でやっていたら、年内には間に合わない・・・という事となってしまいます。
 そして、今回の定例会は自治基本条例の委員長という事もあって、これがまた、色々と大変で、答弁調整の調整をして、さらには、付帯意見を付けて・・・と、まぁ、違った面で忙しかったです。
 これに、加えて、連日の降雪という事で、除雪の回数も多く、普段の12月の3倍・・・までは行かないのでしょうが、12月としては、異例の多さです。ちなみに、町の除雪費も、予算の半分以上、使ったのではないか。と推測しています。
 
 とにかく、年内完成を目指して・・・手法としては、作業的に早めに行うしかなく、定例会期間中にある程度のものを完成させておきました。特に、定例会期間中の事は、「こうなるだろうなぁ」という予測をして作成しており、定例会終了後、そく!!最終作成に入りました。

 その結果、12月27日の水曜日には印刷も完了〜定例会終了後、正味一週間で完了したのは・・・初めてでした。
 まぁ、中身としては・・・ネットを見ておられる方は、『前にもUPしていたじゃん』という事になるのでしょうが・・・

 個人的には、とにかく、忙しかったし、また、ホームページ上では公言しませんが、様々な面でトラブルも多く、この調整と対処にあけくれた一年だったと思っています。
 さらに、他の事項でも、様々な面で対処していかなければならない年であって、また、難しい・・・という事でした。
 議員を取り巻く環境も、本当に厳しくなってきた。というより、以前より、監視の目が厳しくなっていて、以前は許された。というか、大目に見てもらえた事項が、『ダメ』という事になりつつあります。
 無論、ダメな事はダメであって、また、それを律するのは、他人では無く、議員自身であって、議員各々がどう考えるか。という事だと思っています。

 
 今年は積雪も多い?駅前の観光協会前に行くと、かまくらがあって、オブジェが作られていました。チヨット楽しませてくれますね。

 でも、これが難しく、また、公職選挙法は、解釈の仕方もあって、また、議員は自分に甘く他人に厳しいものであり、特に、自身の事となれば、都合よく解釈しがちなものです。これをどう律して行くのかは、本当に難しいものだと思っています。

 さて、いよいよ平成29年も数時間となりました。平成30年は余市町にとって、分岐点の年だと思っています。
 大きなものとしては、8月下旬か9月上旬に行われる町長選挙。次には高速道路の開通(おそらく、雪の降る時期に開通だと推測していますが・・)に伴う、町内の道路網の変化。
 そして、元号の変わることによっての各種準備も、色々と行われると推測していますし、まったく予想が付かないのが、気候変動で、台風を含む、暴風の発生、そして、巨大地震と、いつ自然災害が発生してもおかしく無い状況です。

 どちらにしても、激動の年となるのではないかと考えています。

 みなさん、良いお年を!!

 某所で会合を開いたら、クリスマスという事で、鳥が・・・おいしかっですよ〜
 
 今年、忙しかった要因の一つに、出身大学に、通ってコーチをしていた事が上げられます。また、色々とニュースにも取り上げられていましたが、一番は秋の全国大会で決勝戦まで進んだ事でしょうねぇ〜


ひろかずニュース第75号

〇余市町に対し北電からの戻り金があります。
 11月末の地元新聞を見て驚きました。新聞見出しは8月21日の見出しと同じで、『北電に返金請求及び腰。再契約、割高だった自治体』というもので、1面には今回の事件の経過が掲載されてあり、2面には嶋町長のコメントと余市町のコメントが掲載されていました。
 記事の中身としては『9月の町議会で・・・と表明』とあり、私が9月定例会の一般質問で行った時ものであり、質問内容としては、新電力会社の破綻によって、北電との再契約に際してのものでした。
 この時の町長答弁としては『法令違反とは言えない。北電に対して、詳しく、説明を求めたい』というもので、私としては、ある程度、納得出来たもので「請求する根拠」がネックとなっていると感じて、無理に「請求せよ」とは発言しませんでした。
 尚、この質疑については、ひろかずニュース74号、並びに今回配布された議会だよりNo185に掲載されています。
 新聞に掲載された感想としては、「どうして北電の方針が変わったの?」と率直な思いはしますが、結果として、新電力会社から北電に再契約に際し、割高となった金額、130万円余りの支出が戻って来るという事となります。
 新聞には、他の自治体のコメントもありましたが、議会との関連でコメントがされていたのは、余市町だけであり、他の自治体で理事者側と議員側でどういったやり取りがあったのかは、分かりませんし、また、余市町議会の中でも、この問題を取り上げ質問したのは私だけでした。
 一般質問の結果が、こういう形で実現された事は、私も初めてですし、多分に無い事でしょうし、私が一般質問をした事も『返還』の要因の一つとなった事は、議員としての使命を、チョットだけですが「果たした」と思っています。

 
〇私の一般質問
 定例会に実施出来る一般質問。今回の提出質問は、以下の通りでした。

1.会津藩士、余市入植150年について
 1868年9月、会津鶴ケ城が開城し、戊辰戦争は実質的に終わりを告げ、元号も慶応から明治となり、近代日本がスタートしました。
 戊辰戦争で敗れた会津藩士の一団は、敗戦後、すぐに東京に送られ、その後、流罪的意味が込められ、蝦夷地に送られることとなり、移住に当たり、形だけの希望が取られたと言われております。
 明治2年8月には、蝦夷地から北海道と名称変更がされ、東京謹慎組の会津藩士の一団は、明治2年9月にオタルナイノブカハマに上陸、最終的には約200戸、800名余りが、北海道に移動したと記録されております。
 その後、紆余曲折があり、明治4年元旦に、当時の北海道長官であった、黒田清隆氏に対し、会津藩士団より、血判書である『御受書』が提出され、明治4年の雪解け時期に合わせて、現在のニッカ沼からJR余市駅前近辺、並びに山田町に入植。荒れ地を開墾し、リンゴ栽培に成功、余市町を漁業だけでなく、果樹の町として基礎を作った事は、歴史上の事実であります。
 さて、1868年から数え、来年は150年目の年となり、会津若松市では、全市を上げ戊辰150年という節目の年を様々な企画で迎えようとしているようです。
 余市町としては平成27年10月に、会津若松市と親善交流書が締結され、毎年9月に開催される「会津まつり」には、嶋町長、中井議長も出向き、その規模等は、町長、ご自身が理解されていると思いますが、150年に当たって過去最大規模の事業になるのではないかと推測しており、流れ的にも余市町において、なんらかの形で、150年の事業をしなければならないのではないかと考えます。
Q・会津藩士が北海道に上陸した時から数えれば、2019年が150年目に当たり、明治4年から数えれば2021年という事となりますが、余市町として、150年という節目の年は、いつと考え、この節目の年を、具体的にどのように考えておられるのか、町長としての見解を伺います。
A・会津若松市の150年事業に参加と協賛して行きたい。余市町の方は明治4年が基点となり、節目の年に交流事業や記念事業を計画したい。
 次に、11月10日から2泊3日で、余市町の有志の方が、会津若松市を訪問、会津若松市民との交流を深めて参りましたが、この時に、会津側参加者の方より「余市町の会津藩士の墓には案内図も無い。こちらで募金を集めて、看板設置に動いている」との意見を頂いたそうです。
 会津藩士の墓は、町営の美園墓地にあり、墓地となった経過としては会津関係者の方が埋葬されたのが始まりで、明治30年代に入り町営墓地として指定され、以後、会津とは関係の無い方も埋葬されるようになっております。
 しかしながら、近年、会津との関係が深まる中、会津関係者の方が余市町を訪れた場合、会津藩士の墓は必ずと言っていいほど、参拝する場所であり、役場側で押さえている以上の方が訪れていると推測しております。
Q・そのような背景の中で、案内板設置の希望があるのであれば、余市町として、今後、どう対応されて行くのか、町長の見解を伺います。
A・会津若松市との交流を深めてゆくうえでも会津藩士の墓を参拝される方々に対し、場所をわかりやくす案内出来るような看板設置を検討したい。

再質問・再々質問
Q・現時点で余市の150年に関し、具体的に考えているものはあるのか。
A・具体的なものは無いが2021年に向けて検討し、しっかり対応したい。
Q・冬期間でも会津藩士の墓を参拝する方がいるが、町は把握しているのか。
A・役場を通じて訪問されている方は把握しているが、個人的に来町される方は多いと認識している。
Q・実際に会津若松市側より、寄付の申し出があった場合、余市町としては、これを受けるのか。まして、指定寄付となれば、受ける以上は設置をする。という事となるのではないか。
A・町として看板の設置に向けて対応策を検討したい。
Q・2019年のNHKの大河ドラマの出演者が発表されたが、綾瀬はるかさんとシャーロット・ケイト・フォックスさんが出演する事となっており、余市町としても様々な形で売り込みをして行かなければならないのではないか。
A・先般、会津若松市に伺った際にNHKの上層部の方の紹介を頂いた。大河ドラマの件は伺っている。
Q町内在住の会津関係者、並びに福島県人会の方々との話し合いも必要ではないか。
A・町内の会津若松関係者の方とも相談する機会を設けたい。
Q・看板設置を前提としている。という事の答弁だったと思いますが、墓地の経過、また、一般の方の墓地でもあるので、それらを合わせた案内・解説板が必要ではないか。
A・歴史的ゆかりの解説や一般の方の墓地であることも考慮した案内板とするなど、礼儀を持った対応が必要と考えている。

質問後の感想
 質問をしたのは12月14日で、翌日の新聞の"議会だより"に、この件が掲載されました。また、偶然ですが、会津と縁のあるリンゴである緋の衣リンゴを使用したお菓子の記事も掲載されていました。
 今年の5月に、議会の各会派の代表者で会津若松市に行き、また、11月の民生環境常任委員会の行程の中でも、会津若松市に立ち寄って来ました。
 11月に訪問した時には、会津市内は来年の150年に向けて、5月とは違う新しいポスター等が張り出されており、その意気込みを感じました。
 今年も両市町の住民交流も相互に訪問しあう等、公式交流も盛んになり、これは『マッサン』効果によるものであり、報道関係では、今でも様々な場面で、余市町の紹介も続いています。
 さらに、2019年の大河ドラマでも、余市町が取り上げられる・・・かもしれず、それらを含めて、会津若松との関係は、さらに密接になって行くのではないか。と考えています。

 会津若松市役所にお願いをして150年用のポスターをお願いした所、当初、考えていたポスターと違うバージョンのポスターが2種類、送られてきました。ちなみに、女性の方は現役の高校生。との事で弓道の恰好をしています。
 
 頂いたポスターは町内各所にお願いをして張り出させて頂きましたが、2枚一組にしている所もあります。そして・・・
 会津と縁のある施設には、野外で張り出させる、私的に防水加工をして、お願いしてきました。2ヶ所に張り出してもらえるように、2組4枚を防水加工しましたが、B1サイズという事で・・・1枚4千円でした。



2.冬期間の公共交通の在り方について
 先日、中央バス協会病院線沿線の方から、協会病院線の要望を受けました。内容としては「以前より減便され、利用しづらくなったが、雪が降る季節となり、今以上に減便されてしまった。夏場は自転車等もあるので、なんとかなったが、冬場はバスが頼りで、なんとかならないのか」というものでした。
 議会では、毎年、9月定例会において、中央バスへの協会病院線の運営赤字補填の補正予算が提案されており、総体の収支としては、減便による経費削減によって、改善している事は質疑の中で理解していましたが、一方、理事者側からは『利用増となるように、地域との話し合いも進めて行く』との答弁もされております。
 さて、協会病院線に限らず、バス路線の維持拡大、並びに住民の足の確保という問題については、常に出されている問題でありますが、10年程前と比較して社会的背景が変わって来ている現状があります。
 特に社会全体が高齢化となり、運転免許証の返納について、検討しなければならない方も多数となり、高齢なるが故、車を手放すかどうかの、決断をしなければならない事も、その背景の一つとなっております。
 既存のバス路線については、縮小または、減便の方向にあると見ておりますが、余市町としても、新たな路線開拓という意味において、中央バスに依頼をして、平成14年9月にJR余市駅から美園・山田を経由して協会病院に向かう路線のテスト運行がされましたが、結果として、朝の一便を除いて、日中の利用者数は一桁であった事から、1カ月ほどで中止となりました。
 また、バス運行とは違いますが、平成12年頃から数年間、公衆浴場に対する入浴者の送迎の実証実験もした経過がありましたが、結果としては、特定の方のみの利用という事と、運行側の事由に
よって中止となってしまいました。
Q・山田・美園のテスト運行時から、時代背景も変わり、また、住民の足となる手立ても無くなりつつある中で、これは、町中、周辺地域という枠組みでは無く、すべての住民の足の確保という面で、単に『事業者との相談』という事ではない、町独自の考え方と方針を伺います。
A・社会情勢の変化があり、交通弱者の移動手段は重要な課題と認識している。住民ニーズの把握、地域の特性に応じた持続可能な公共交通の在り方を検討して行くことが必要。本年度、地域公共交通の在り方を検討するために、法律に必要な委員の他、老人クラブ連合会や区会連合会などの方に集まって頂き、「余市町地域交通活性化協議会」を設置。検討している。

再質問・再々質問
Q・過去の議会において、この路線補助に対しての質疑の中で、担当課長は「区会と話す」との答弁をしていましたが、実際には、町は何もしていなかったのか。区会と、実際に話し合いをしたのか。
A・事業者において区会を通じてお知らせ等をしている。
Q・今回の中央バスの減便に対して、町は、どんな姿勢で当たったのか。
A・当初は、もっと厳しい減便案だったが、町と協議をして最低限の減便となった。経営面からしても町としては受けざるを得なかった。
Q事業者は減便というか、廃止。という意見を持っている。という事では、事業者にお願いをする。という次元は過ぎていると思います。他の地域では、デマンドバスが実際に運航されていますが、余市町として試験的にでも実施する考え方はないのか。
A・近辺の自治体では6自治体が実証実験をしており、余市町としては7番目となり、30年度中に計画策定して、31年度には計画に基づいた試験運行の実施をしたい。


質問後の感想
 最近、この要望はかなり増えて来ており、私の報告会の中での質疑応答で出された意見でもありました。
 正直、私は普段バスは利用しないのですが、免許証を返納された高齢者の方も多く、移動手段が無い方、さらには、周辺に住まわれている方にとっては、冬場の足の確保という事は切実だと感じます。


〇平成28年度決算
 例年、11月末に行われている前年度の決算委員会。今年は、衆議院選挙が急遽実施された事もあると思いますが、全国の首長・議長会議の日程が変更されたのもあって、今年は11月9日に水道事業の決算特別委員会。また、11月13日から15日までの期間で、水道を除く、各会計の決算特別委員会が開催されました。
 委員会全体として感じた事は、質問数は少なかったと感じましたし、また各議員の質問も、核心をつくような質問は無かったと感じました。
 無論、一部では、答弁調整がされたものもありましたが、質疑が全体として低調となった要因として、目新し事業も無かった。新人議員が増えた事。議会は過去の経過が分からなければ表面上だけの質問となってしまう場合もある。という事が作用したと思っています。

 決算の大枠の数値については『広報よいち』に掲載されていますので、広報をご覧下さい。
ここでは、広報に掲載されていない数値で、28年度における未収金と不能欠損に関しての数値を掲載しておきます。
 税の徴収は、納税キップが発行されてから5年間が有効(時効停止の場合を除く)ですが、不納欠損とは5年を経過して、結果として徴収出来なかった税の事をいいます。
 また一般会計の中で、使用料的なもの、つまり、使用する事によって、手数料が発生するものとして、住宅使用料と保育料である児童福祉負担金がありますが、こちらも、毎年のように、不納欠損額が発生しています。

☆町税年度別未収金・不能欠損一覧☆
         一般会計 下水道会計 国民健康会計 介護保健会計 後期高齢者医療会計 合計
町税収入未済額 1億4992万円  1826万円  1億7255万円   1392万円   294万円     3億5759万円
不能欠損額      532万円    57万円     870万円   596万円    87万円       2239万円
件数         178 件    29件       124件    739件     76件        1146件

※千の位、切り捨て。
※町税収入未済額は、平成28年から平成24年分と、時効停止をかけたものが含まれます。
※町税は、個人住民税、法人住民税、固定資産税、軽自動車税、都市計画税、入湯税があります。

☆平成28年度末、各種負担金、未収金額及び不能欠損☆
   児童福祉負担金 老人福祉施設負担金  住宅使用料家賃分 総務(督促)手数料
未収額  250万円     277万円     754万円     111万円
不納欠損額 48万円         0円       25万円        9万円
不能欠損件数  3件         0件        3件      897件

☆各会計町債残高☆
        平成26年度     平成27年度    平成28年度
一般会計  73億9428万円  71億2755万円  68億5390万円
下水道会計 89億2304万円  86億2151万円  82億9406万円
水道会計  55億9877万円  53億5783万円  51億4981万円



〇自治基本条例が制定されました
 平成22年9月、前町長が体調不良によって辞職し、実施された町長選挙。この時は3名の候補者で争われましたが、この時に嶋候補が出した公約は『自治基本条例の制定』でした。
 そして、当選して、嶋町長がこの自治基本条例に本格的に取り組んだのは、平成25年に入ってからであり、つまり、1期目が終わる最後の年に作業が始まりました。
 1期目が終わるまでに、条例提案がされるものだろうと推測していましたが、結果として、そのまま、1期目は満了となってしまい、2期目へと持ち越されてしまいました。
 2期目に入り、仮称・自治基本条例策定委員会という組織が作られ、その中でたたき台が作られる事となりました。
 この委員会は、町内の各団体からの推薦者、一般公募者の16名の委員で構成され、都合28回の委員会を経て、原案を作成していました。この間、本年2月27日に中央公民館で『自治基本条例を考える町民フォーラム』が開催され、基調講演、寸劇、パネルディスカッションが行われていました。
 これらの過程を経て、平成29年第4回定例会に『余市町自治基本条例』が提案されました。

 さて、余市町議会では重要な案件は、議員全員が参加する特別委員会が編成され、その中で審議されます。
 定期的に行われる、決算・予算委員会は議員選挙が終わった後、各会派代表者会議の中で、委員長の割り振りが行われており、条例改正でも一部改正のような場合は、それを所管する常任委員会が付託を受け、常任委員会の中で審議がされます。
 今回の条例案も議員全員参加の特別委員会を編成して審議することとなりましたが、委員長は誰がするのか。という特別な決まりは無いのですが、人数の多い会派が行う傾向があります。
 話し合いの結果、第一会派である民友クラブが委員長職を預かる事となりました。そして、会派の中で話し合いが行われ、私が委員長職を預かる事となってしまいました。
 さて、初めて設置される条例の審議は、大変、難しいものです。議員の質疑する視点としては、条例内の文言の解釈、条の項目別の順序や相関的な関係、不足している条項の指摘、施行後の想定(予想)される中で、条例がどういう形で作用して行くのか。等々という事を推測しながら審議していきます。
 あくまでも、想定の中で推測しての質疑という事もあるのですが、委員長は議員の質疑が妥当なのか。という事を瞬時に判断していかなければなりません。

 条例案は、前掲の策定委員会が原案を作成し、町側が整理して条例案として提案してきたのですが、議員に配布されたのは、定例会開始二日前の12日でした。
 この案を委員長として見たときに「うーん、委員会運営は、かなり難しいなぁ」と感じていました。
 さて、審議は本会議で提案されたのは18日で『余市町自治基本条例審査特別委員会』がその日のうちに設置され、12月19・20日に質疑を行う事となりました。
 さて19日は午前10時に開会。資料説明等がされ10時30分から質疑に入りました。
 野呂議員、近藤議員と質疑を行い、3番手に吉田豊議員が質疑を行い、質問個数としは23項目に渡り、役場側から答弁調整の申し出があり、「暫時、休憩」と宣言しました。
 その間、委員長としても2階と3階を幾度となく往復していました。予断ですが、その関係で痛い足もさらに痛くなっていました。
 さて、委員長は、委員会の質疑を円滑に運営して行かなければならず、質問者・答弁者の間に入り、調整をして行くのも仕事の一つですが、委員長は中立的立場ですが、"可決"されるようにする努力する一面もあります。
 結果として、19日は終日、休憩となってしまいましたが、この日は、策定委員会の方も委員会傍聴に来ており、久々に傍聴が多かった議会となり、また、委員長としては、この方々に対しての配慮もして行かなければなりませんでした。
 日付が変わり、20日、午前10時から委員会は再開。前日の吉田豊議員への答弁から始まり、以後は順調に進み、委員長を除く16名の議員中、12名が質疑を行いました。
 二日間の質疑で委員長として記憶に残った質問としては『この案は自治基本条例ではなく、まちづくり基本条例ではないか』『名称はどうして決まったのか』『自治基本条例は全ての条例の上位意に来る条例であり、樹木の幹だけで良く、枝葉が多すぎる』『町長の公約なのに、なぜ、こんに時間がかかったのか』『他の条例内に用いている言葉や文字が、他の条例と整合性が無いのではないか』『策定委員会の中では、どんな意見が出されたのか』等々でした。
 役場側、また、町長の答弁としては『名称は色々なひな型があって、明確な線引きは無く、策定委員会の中では(仮称)となっており、最後に検討した結果、自治基本条例となった』『策定委員会の委員の方々の想いも入っており、こういう形となった』『多くの方に意見をいただいた結果、時間がかかってしまった』『中身としては、策定委員会で出されたものを、最終的に整理して提案した結果、その割合としては、50対50くらいの割合となった』『文言的には今後、整理して行きたい』というような答弁がされました。なお、委員会質疑のやり取りは、あくまでも私のメモしたものであり、議事録との違いはあります。
 さて、委員会質疑が終結した時点で、委員会採決と進みますが、委員長としは、質疑全般を通じて「このまま採決では、可決・否決を問わず、問題点が多すぎる」と感じていました。その背景には、委員会の意見として多かったのが、条例内の文言、文字、言葉使い等において、また、前後の文脈の関係で『いかがなものか』という意見と『今後、これらの修正が必要ではないか』という意見が多数出された事によります。
 今回の委員会おいては、運営のための理事会を設置しておらず、委員長判断として「付帯意見を付けたい」という方針を出して、各会派に了承を得ました。
 この時に『付帯意見を付けるのは良いが、付帯は議案に賛成する事を前提とするのか』との意見も出されましたが、委員長としては「過去においては、付帯意見を付けて、反対し議員もいました。よって、採決に当たっては、議員各々が判断すれば良く、あくまでも質疑を通じて、委員長として、そう考えて委員長発議として付帯意見を付けたい」という事で、納得してもらいました。
 その結果、次の内容の付帯意見が全会一致で付けられる事となりました。

余市町自治基本条例審査特別委員会付帯意見
1.本条例の施行に当たっては、住民に対する制度の周知、内容について十分な説明責任を果たすとともに、施行後の見直しに当たっては、議会における審議経過を十分踏まえ、万遺憾なきを期されたい。
2.職員の法制能力向上に十分意を用い対応されたい。


 付帯意見の中身としては、かなり厳しいものであり、その上で採決したところ「全会一致で原案可決」となりました。
 新規の条例で、また、議員全員参加の特別委員会の開催という事自体、多分には無く、その委員長職を預かり、また、採決結果としても全会一致という事は、本当に無い事だと思います。
 それだけ印象に残った委員会となり、閉会の委員長挨拶として(私の記憶で)「この審議に参加された方々は、この条例の証人であり、嶋町長も委員会で『この条例を制定して、町を変えたい』と答弁されたように、みなで、この町を良い町にして行きましょう」と挨拶をさせて頂きました。
 嶋町長の公約でもあった条例が可決されたという事、そして、住民の方にとっても『自治・行政』というものが、より近くなる条例が設置された事は、大変、良かったと感じています。そして、この条例の運営を滞りなく実施してもらいたいものです。


〇第14回 吉田ひろかず議員報告会
 14回目となる議員報告会を、11月22日、午後6時から中央公民館302号室で開催しました。
 当日は11月18日に降った雪が道路に残り、また、強い雨が降っており、「はたして、何名の方が集まってくれるのかなぁ・・・」と思いつつ、開会の時間を迎えましたが、用意した席と資料が足りなくなってしまいました。
 報告会では、毎回、話す内容の原稿を作ります。今回は17ページ分の原稿を作り、この原稿量は、通常のニュースを発行する分量と同じで、正直、作成するだけで大変です。
 そして、当日、どんな資料を配布するのか。という事も考え、話す内容と資料がリンクしなければなりません。
 実際の報告会では、原稿を読んで行く形ですが、読んでいるようには、見られないようにしなければならず、さらには、話す時々に「資料を見て〜」とやりながら、1時間の講演を行いましたが、結果として用意した原稿の半分くらいしか話せませんでした。

 ☆当日の配布レジメ☆
◎余市町の災害の歴史について
 ・上野時代と嶋時代ではどうなのか
 ・災害時における余市町の体制の今昔
◎私の個人的な事項ですが・・・・
◎議員の行政視察、あれこれ
◎余市町の交流都市はどこ?
◎選挙の投票率について
◎衆議院選挙と嶋町長は3期目に立候補するのか?
◎余市町の財政と町長の運営について
 
 まずは、無事、終わって、「ホッ」としています、そして報告会も回数を重ねて来ているので、だいぶ慣れてきたというか、平常心で淡々と出来るようになってきたと感じています。
 一方、後日、『今回の報告会は疲れているように見えたね』と言われてしまいました。話す内容が『おもしろくない』とか、『声が小さくて聞こえない』という問題ではなく、そう感じられる雰囲気だったという事だと思っています。
 では、実際の所はどうだったのかといえば、指摘された通り「疲れているなぁ」という感覚は持っています。
 無論、1時間を立ったまま、話をするので、それなりに体力は使うのですが、立っていたので疲れた。という事では無く、疲労が蓄積しているという事です。
 一口で言えば「忙しい」という事で、様々な要因があるのですが、そこまでして報告会を実施する必要はあるのか。現実問題として、末端の町村議員が純然たる議員報告会を企画している。という話は聞いた事がありません。
 では、なぜ実施するのかは、自身でも良く解りませんが、これによって、住民の方との距離も近くなるでしょうし、また、それによって、余市町が住み良い町となれば、良いのではないでしょうか。
 次回開催は来年となり、町長選挙が終わった後の開催を予定しています。そして、議員改選前の最後の開催となりますので、どうぞ、多数の方にお集まり頂きたいと思っております。


〇私にとっての平成29年
 みなさんは、平成29年という年は、どんな年だったでしょうか。天候的には曇天の日が多く、6月の余市神社の例大祭は、3日間とも雨が降っていて、3日間とも雨。という記録は、大正時代に1回あったそうで、実に100年振という天候でした。
 農作物も、やはり天候に恵まれなかった関係で、作況としては、あまり良くなかった。というのが実際の所だったと思います。
 9月には台風18号が接近。平成16年の大風台風も18号であった事、台風の進んで来たコースも、平成16年の時とほぼ同じだった事から、『その時の再来か?』とかなりの緊張をしましたが、結果としては、『え?台風来てるの?』というくらい、平穏な台風通過となっていました。
 台風の発生も多く、また、より大型化傾向となっていて、全国的には各地で被害が発生している中、余市町としては、本年もさほどの自然災害は無く、本当に助かっています。
 季節の進行という面では、例年より2〜3週間ほど早く進んでいたのではないでしょうか。3月の雪解けも早かったのですが、雪の降り始めも早く、根雪となったのも早くなってしまいました。
 石油価格の上昇も続いており、今年の暖房費については、12月定例会で学校施設の追加予算がされましたし、また、除雪も12月だけで全町7回、他に山路線は6回の出動があり、こちらも、今後、予算を追加する事になると思います。
 政治的には、国の政治はそれなりに混乱しており、また、いきなりの衆議院選挙もあり、選挙前は『勢い!!』があった政党もありましたが、結果としては『状況、変わらず』という事でしたが、政治家の姿勢なり資質なりが、問題となった年だったと思います。
 余市町の行政としては、さほどの混乱も無く、議会的にも以前のような議会が停止する。というようなトラブルも無く、嶋町政の2期目が終わる年度となりましたが、住民の方から寄せられる意見としては、『進歩が無い』『活気も無い』『町の方針も見え無い』というような、具体的な事項ではありませんが、不満が多くなっていると感じています。
 さて、私にとっての平成29年はといえば、「なんか、ホント忙しい!!」という年でした。簡単に振り返れば・・・・

〇4月中旬・じん帯切断
 転倒して、右膝裏のじん帯切断!!痛いだけでなく、右足静脈炎の関係で、内出血もあって・・おまけに、札幌から来ているドクターが担当となり、診察は2週間に一回でした。
 手術をせずに、膝に補助具を着けて自然治癒を待つ事にしましたが、膝を回す様な動きをすれば、今でも痛く、ニュースの配布に時間がかかるようになってしまいました。そして、正座が出来なくなってしまいました。
〇5月下旬
 余市町議会として初の会津若松市議会を公式訪問。家系的にも縁のある地であり、いかにして、余市町と縁を深めて来るか。という事で出発前から準備にも忙しかったです。プラス、膝の補助具の関係で、旅客機搭乗の検査は鬼門となってしまいしまた。
〇6月〜12月下旬
 出身大学のクラブ活動である応援団の指導に、月に3回程度、大学まで通って指導し、野球応援にデビューさせる事が出来ました。また、大学野球部もリーグ戦に優勝して、過日の第48回明治神宮大会では準優勝という結果となり、これまた、色々と大変で、冬期間に入っても、指導に出向いています。
 
 12月24日・日曜日、道内の大学応援団5校が集まり、演舞の披露をしました。15年ほど前までは札幌市内、ススキノから大通りの間をパレードしていたのですが、以後、各大学応援団も縮小して中止となっていました。
 この度、うちの応援団が再興したことにより、北海道大学、東京農大オホーツクキャンパス、北海学園大学、星槎道都大学と演舞は参加しませんでしたが小樽商科大学も参加して合同演舞披露という事になりました。参加人数もギャラリーもけっして多くはありませんでしたが、団旗も上がって、応援団らしい共演となっていました。
 野球の応援デビュー戦に続き、演舞もする事となったため、指導に15回程大学に通いましたが、30年ぶりの指導という事で、型を思い出すだけでも、大変でしたぁ〜


〇7月上旬・信号待ちで追突されて・・・
 信号待ちで停車していたら『ドン!』と後ろから追突されてしまいました。相手の車もミニバンで、後ろのバンパーがめり込んでしまい、3週間程、代車生活でした。
 過失割合は100対0という事で、相手側の保険会社と直接やり取りをしなければならず、面倒で、時間も取れられてしまいました。
〇8月末・会派の第2回報告会開催
 昨年も開催しましたが、準備が大変です。そして、事故とは直接関係はあるのかないのか分かりませんが、会派報告会開催の街宣中にアンプが故障してしまいました。あちらこちらにアンプを探し回って、なんとか街宣をしました。ちなみに、アンプの方は、新たに付け直しました。
 また、開催に当たり、会派会報も作成して配布しましたが、その分、仕事が増えました。
〇8月末・常任委員会の編成替え
 会派報告会と日程的に重なっていましたが、議会任期の半分が来たので、常任委員会と議会運営委員会の委員の入れ替えがあり、結果として、再び民生環境常任委員会の委員長と議会運営委員会の副委員長に就任。「長」になると、打ち合わせが多く、日数と時間が取られてしまいます。
〇9月下旬から10月上旬
 元々は果樹農家ということもあって、この時期は、収穫作業をしなければならないのですが、色々あって、一週間ほど専属で農作業をやっていました。
 定例会が終わった直後で、ニュース(この時は74号)も作成しなければならず、また、ニュースの中に報告会のチラシを入れて配布するのですが、なかなか配布出来ませんでした。
〇10月、委員会の視察が2回
 委員会の編成が終わったら、予算の関係で、2委員会が視察に行かなければなりません。3つの常任委員会と議会運営委員会が対象で、議会運営委員会と民生環境常任委員会が行くことになりました。ちなみに、議員の中で、議運と民生の両方に所属しているのは「私だけ」でした。
 2回の視察で都合、一週間の不在という事となってしまい、仕事の方も休まざるを得ない状況となってしまいました。
〇11月中旬、28年度の決算委員会
 例年11月末に行う前年の決算委員会。今年は衆議院選挙の関係なのか、例年実施されている、全国の首長・議長大会が、11月末となってしまい、その関係で、決算委員会は11月中旬に開催する事となりました。
 その関係もあって、委員会の視察を10月中に終わらせなければならず、結果として、議運は10月16日から。一週間空けて、10月30日から民生委員会の視察という事で、こちらも、トホホな日程となってしまいました。
〇第14回議員報告会
 前掲しましたが、視察から帰って来て、決算委員会、議員報告会と日程もビッシリ。かなり詰まって来ていて、報告会の原稿作りもなかなか進まず、また、忙しかったので開催チラシも配布出来ずにいて、焦っていました。
 気持ちも焦っていましたが、体調の方も、パソコンのやりすぎで、背中もパンパンにはっていて最悪でした。
〇12月定例会と自治基本条例審査特別委員会の委員長でした
 12月は年末年始という事もあって、次年度に向けての準備もしなければならず、会派要望書の提出等、普段やらない仕事が増えます。
 さらに今回は自治基本条例の審議を定例会期間中に行わなければならず、定例会の日程も普段より長くなってしまいました。
 自治基本条例の審議は前掲しましたが、初めて設置される条例という事で、委員会の舵取も非常に難しく、責任も重大で、ほどほど疲れました。
 それに加え、年始休みの関係で年内にニュースを印刷しなければならず、不眠で作成していました。
〇ホームページの作成
 色々と行事があると、ホームページもアップしなければなりません。多忙になればなるほど、掲載回数も内容も多くなる傾向です。民生委員会の視察の件は、ニュース一冊分に匹敵する分量でした。
〇その他の事項
・メガネをかけています。そして、遠い用とパソコン用の2種類を持っているのですが、どちらも壊れてしまい、修理、買い替えをしていて、その間、古いメガネを使用していたので、目の疲れもピークでした。
・除雪の季節が早かったです。11月18日に大雪となってしまい、19日は町の除雪車も出動。今シーズン初めての除雪となりましたが、12月もこの傾向は続いており、商売の関係もあって、毎朝の除雪で3時間ほどかかり、その後、登庁となれば、やっぱり大変です。

 今年は雪が多い?のは多く、除雪回数も12月としては異例の出動回数となっていましたが・・・積雪としては、降っている割には、高くないなぁ・・・とも感じています。写真は12月27日、午前6時、歩道除雪に来た所でしたぁ〜
 
 北海道の冬のお祭りといえば・・・・札幌雪祭りという事で、今年で69回目というという事です。ポスターも頂いたのですが、大きさは・・・A0サイズなのか、余市の雪祭りのポスターと比較したら・・・やっぱり。ポスターは大きい方がイィですね。

 と、まぁ、これだけ多くの出来事があった年も珍しく、今年は、私にとって休まる時が無かった年でしたが、皆さんは、どんな年でしたか。
そして平成30年は、余市町に高速道路が開通する年で、それに付属しての道路改修も出て来るでしょうし、元号の変更準備、さらには、町長選挙も実施されます。そして、新たに設定された自治基本条例が、どのように作用して来る事かは、まだわかりませんが、忙しい年になりそうですね。



〇民生環境常任委員会、先進行政視察
 余市町議会では、議員個々に政務活動費の支給は無いのですが『研修は必要』という事で、委員会として、委員会視察の予算が確保されています。
 委員会の任期は、議員任期4年間を前半・後半に別けて、つまり、2年の任期となり、2年の中で、3ツある常任委員会が、それぞれに計画を立てて実施する事となっています。また、議会運営委員会も2年任期の中で、一回、実施する事となっており、議会運営委員会の委員は他の委員会と重複して入っている関係から、議運の委員は2年に2回という事となります。
 予算配分の関係で、最初の年は議会運営委員会ともう一つの常任委員会。翌年は、残った常任委員会2つという事となっています。
 では、どの委員会が実施するのか。という事では、委員会編成がされて、各委員会の委員長が集まって話し合いがされます。
 委員会として、抱えている課題、また、委員長としての方針、さらには、各委員の予定や他の委員会の状況も考慮して決められます。

 民生環境常任委員会を預かる私にとっては、委員会の編成替え後、「早めに行こう」と考えており、他の委員会とも調整した結果、10月30日から3泊4日の日程で行うこととなりました。
 視察先の選定に当たっては、余市町と似たような規模の自治体を探します。たとえば、人口、一般会計の予算規模、産業構造等です。
 そして、研修目的は何にするのか。研修箇所は何カ所とするのか。さらには、複数の視察先がある場合は、移動する時間や移動手段の問題もあり、簡単なようで、なかなか決まらない。というのが実際のところです。
 そして、最終的には、委員会を預かる委員長がどう考えるか。という事であって、私は「場所的には関東近辺、または、関東より北上する」という考えを持っていました。これは、近年、自然災害の発生が多く、西日本方面で被害を受けた自治体も多く制約があるだろう。と考えた事によります。
 そして余市町議会では今年の6月定例会において、余市町議会として会津若松市議会との友好交流宣言の決議もしており、視察行程のルート上から会津若松市議会に表敬訪問が出来れば良いと考えました。
 と、簡単に言うものの、訪問したい先の自治体の都合もあって、簡単に決まるものではなく、日々、頭を悩ませるものでが、今回の視察先は次のようになりました。

 月 日    主たる移動手段等       視察地      宿泊先
10月30日 千歳→羽田は航空機、他は電車 茨城県利根町   千葉県・我孫子市
   31日 電車、及び新幹線       千葉県栄町    福島県・白河市
11月 1日 全日、貸切りタクシー     福島県南会津町  福島県・会津若松市
                      福島県会津若松市(表敬訪問)
    2日 電車・新幹線、仙台→千歳は航空機        帰町


 さて、民生関係の問題は、全国どこでも同じだと考えていますが、少子化と高齢化です。具体的に言えば、介護・子育て・出産であって、それぞれ先進的に取り組んでいる自治体という事で、訪問して研修を受ける事になるのですが、実際に話を聞くと、結果として「うーん、行くだけ無かったなぁ」という場合もありますが、これは行ってみなければ分からない事です。そして、今回は3カ所の視察先、すべて「当たり」だったなぁ。と感じています。

 視察は移動と研修の連続であり、経路においては、様々なトラブルも発生する可能性もあります。そして、今回の日程としては、初日の午後には、最初の視察を行うという事、そして、表敬訪問を含めれば4カ所を回る。という事は、かなりハードな日程で組んだのですが「まぁ、なんとかなるだろう」と思っていましたが・・・
 出発当日の10月30日、町のマイクロバスで千歳空港に向かいましたが、この前日、台風22号が関東地方をかすめて、オホーツク海に進んでいる時に千歳から離陸という事で、千歳までの移動で、町のマイクロバスも嵐に巻き込まれて、暴風雨で思うように走れず、空港到着は搭乗ギリギリとなってしまいました。
 それでも、千歳から無事に飛び立つ事が出来て、無事、羽田空港に到着。羽田からは電車で移動で品川→上野と乗り継いで、上野駅から目的地の駅である常磐線の布佐駅までは乗り換えなしで行ける予定でした。
 ところが、上野に到着した時点で『台風の影響で架線と信号トラブルで、常磐線は我孫子駅まで』とのアナウンス。
 布佐駅は我孫子の数駅先の駅と言う事で、我孫子駅からは成田線があるので、それに乗り換える事にしたのですが、常磐線も遅れており、我孫子駅に到着しても、成田線が動いているのか、また、動いていても、待ち時間なしで出発するのかどうかも分かりませんでした。
 とりあえず、我孫子駅に到着して、運よく、すぐに成田行が出発という事で、その電車に飛び乗りましたが、結果として、30分あまり遅れてしまいました。それでも、訪問先の茨木県利根町の保健福祉センターに到着して、『介護予防事業について』の研修を受けさせて頂きました。
 10月30日は、千葉県安孫子市に宿泊。翌日は、午前中に千葉県栄町にて『子育て支援について』の研修を受け、移動して、福島県白河市に宿泊となりました。
 11月1日は、午前中に南会津町にて『妊産婦支援について』の研修を受け、本日の宿泊は会津若松市内である事から、午後から会津若松市役所の表敬訪問を行い、議長・市長にご挨拶をして来ました。
 11月2日は、帰路の移動日という事で、電車の乗り継ぎ、仙台空港から千歳へと飛び、無事、帰町となりしまたが、会津市内では、来年の戊辰150周年を迎えるに当たり、各店舗にも150年ステッカーが張られ、会津にとって、大きな、大きな150年という事が、肌で感じられた事により、12月定例会での私の一般質問へと繋がりました。
 また視察に行けば、視察目的以外でも、その地域の特性や考え方等が見えてくるもので、様々な面で勉強になります。
 民生委員会では視察後に、参加した各議員が分担して視察報告書を作成しており、別枠の通り、委員長としても報告させて頂きました。

☆民生環境常任委員会行政視察を終えて☆
 今回の視察は3カ所の自治体を回りましたが、どの地域でも、職員の方が、自主性と積極性が見られ、また、特に女性職員の活躍が感じられました。
 さらには、町の将来を見据えて、何が必要なのか。という点の目標をしっかりと定めており、その目標に向かい、意識をもって進められている事が、感じられました。
 我が町、余市町と比較してどうなのか。けっして、劣っているとは言いませんし、また、町としても、それなりの予算配分はしている事は、理解していますが、その予算が本当に生きているのか。という事の検証は必要だと感じました。
 今、多くの自治体では、移住に際して、また、出産に際してと、その時々に直接的な支援(現金、または地域商品券)が行われており、その金額も、いわば、『近隣町村に負けないように』という事で、それなりの高額になって来ているようであり、もらう側としては、大変、有り難いのでしょうが、不毛の競争となっているのではないかとも、考えられます。
 金銭的な直接的支援も必要だとは感じますが、地域を活性化するためには、いかにして、地域力を増してゆくのか。という点に尽きるのではないでしょうか。
 この他、感じた事項としては、どの自治体でも上部団体である『県』との連携が非常に強く感じられました。
 自治体側から、その要望がされて、県としてその事業に取り組んでいるのか。または、その反対で、県の事業から各自治体が、そのメニューを選び出すのかは、わかりませんが、特に指導者の育成面という事では、連携が取れているのではないか。と推測されました。
 無論、県庁との直接の関係で無いようで、各地の振興局との連携という事となっているようですが、これは、北海道との関係では、あまり聞かない事項ではないかと感じました。
 地域力を増して行くためには、自治体単独では難しく、北海道に対しての働きかけと、それに連携した事業の選択、さらには、職員の積極的な姿勢が必要となり、先進的な取り組みをしている自治体は、やはり、職員も自信に溢れた姿であったと感じた視察となりました。
 また、今回の民生環境常任委員会の視察行程において、会津若松市に宿泊する関係から、同市の議会並びに市長の表敬訪問をして参りました。
 議会としては、本年6月定例会において、会津若松市議会との交流宣言の議決をしており、その後、9月の会津祭りにおいては、嶋町長、中井議長も案内を頂くなど、今後、さらに活性化して行かなければならないと考えて、立ち寄りをさせて頂きました。
 以上、民生環境常任委員会の先進地行政視察の報告と致します。


〇平成30年に向けて
 毎年、会派で提出している翌年度への『要望書』。今年も定例会が終了した12月21日、会派員全員で、町長・副町長・教育長を訪ね、提出と実施のお願いをしました。
 この要望書の提出については、定められたルールは無く、それぞれが自由に作成して提出しており、私は無会派の時は個人で提出していました。
 民友クラブでの書き方は、細かい部分の事項はあまり書かないようにしていますが、要望事項を詳細に羅列して提出する会派もあるようです。
 この要望書は提出する事によって、毎年3月議会で実施される会派の代表質問へと繋げるものでもあり、そのためにも、要望書の中に、前触れをしておければ、町の事務だけでなく、国や道の事務事業についても聞ける事から、先を読んで作成しておかなければ、単に『提出した』というだけになってしまいます。
 何を起点とするのか、何を視点とするのかによって、大きく変わってきますが、これは、あくまで会派提出という事で、他の会派がどんなものを提出しているのかは、わからないのも現状です。
 来年は平成30年という区切りの年であり、余市町も飛躍出来る年となる事を祈念致します。

                 ひろかずニュース第75号完