ひろかずニュース 平成27年10月22日UP
    
☆ひろかずニュース第66号発刊☆

 自分にとっては定例会が終わると、正直、「あ〜ぁ、ニュースの作成しなきゃ」と憂鬱になります。
 まぁ、それでも、なんだかんだと言いながら、ここまでやって来たのも事実なのですが・・・・
 作成していて、一番困る事は「ネタが無い!!」という事です。

 
 先日、少し遠出をして来ました。羊蹄山を一周・・・かなぁ・・・

 過去4回の選挙を経験して、その後の役職決めでは・・・それなりに議員間での対立・・・・・というか、まぁ、役職取で混乱をするのが通例になっていましたが、今回の役職決めは、極めてスムーズでした。
 議会が混乱になれば、改選後の初の定例会も、嵐の予感・・・となるのですが、今回の9月定例会は、いたって平穏でした。
 それはそれで良かったですし、また、時期的なものもありますが、役場側からの議会の案件も、さほど無いのが、今の時期であって・・・・まぁ、定例会としても、取りだてて、問題となった事項もありませんでした。
 
 つまり!!!ニュースになるネタが無い!!という事になります。

 こういう時は、正直、作成するのが大変です・・・・

 でも、こんな中でも、ニュースそのものは、気合と根性を入れて、定例会終了後、2週間ほどで完成!!10月1日には、届いていました。
 まぁ、どちらかと言えば、早いペースだったのですが・・・・10月に入ったら、いゃ〜、忙しい!!

 
 羊蹄山も、雪化粧ですね・・・

 1日は爆弾低気圧の接近!!
 3日は神社大会のお手伝いがあって、前日からその準備と、当日、自分としては写真係だったので、その写真データの整理。
 その後、8日は台風23号と来て・・・・
 収穫時期とも重なって、それなりに農作業をして・・・・また、どういう訳か足の痛みがとれません。

 静脈炎は1年ほど、再発しておらず、毛細血管も再生されたのかなぁ・・・と思っていますが、左足の足首が痛くて、特に、歩き始めは、爪先だちで歩いています。

 シルバーウィークもあって、従業員がお休み!!
 また、17日には所属している余市ライオンズクラブの周年式典があって、これまた、前日から色々と準備をしていて・・・・

 そんな中でニュースは完成していて、すでに配布も初めているのですが・・・全然、動きが取れなくなってしまいました。

 秋の晴れ間は貴重な日ですが、10月に入ってから、天気としても落ち着きがありません。
 また、強風によって痛んだリンゴ等がどうなるのかは・・・・・


 議会的には、秋は議員視察時期、決算時期、そして、全国大会の時期でもあります。まあ、平議員には関係ありませんが、町長や議長は全国大会に出席ということで、それなりに忙しい時期です。

 国の情勢としても、いわゆる安保法案が終わったと思ったら、今度はマイナンバー。そして、このマイナンバーでも、予想通りというか、人為的な行為によって、情報漏洩等が発生しています。
 余市町としては、マイナンバーの送付は11月に入ってから。という事になると聞いていますが、どうして、こうもトラブルが続くのでしょうかねぇ・・・

 
 10月21日、原子力防災訓練という事でエリアメールが配信されました。中には「ついにやったかぁ!!」と慌てる方も・・・いたようですが・・・マァ、訓練ですね。
 ちなみに、余市町としても、当時の午前中には対策本部を作り対応していたようですが、昼には解散して、通常業務に戻っていました。

 年が明ければ、高速道路の暫定ですが余市インターが開通します。おそらく、ほぼ3年後の時期になると推測しています。
 これは、これで良いのでしょうが、高速道からの車の流れによって、町内の道路事情も一気に変わって来ると思っています。


 10月14日、町長と議長が会津若松市まで出向き、交流都市の調印をして来ました。これは、現在の駅前近辺の黒川町から山田町の一帯に会津藩の武士が入所し、開墾をした事、そして、商業用のリンゴとして栽培に成功し、余市町発展の一翼を担っていた事があります。そして、その縁を繋いだのが、緋の衣というリンゴでありました。
 調印式には、書類の交換とリンゴの交換もされたそうです。

 その模様は、福島県では大々的にニュースとなったようです・・・・


ひろかずニュース 第66号

平成27年・余市町議会議員選挙終了
 7月28日告示、8月2日投票日の余市町議会議員選挙が終了しました。
 今回の選挙の特徴は、過去に事例と当てはまらない事がたくさんあった選挙だったと感じています。

選挙2カ月前から・・・
 余市町の選挙は、概ね8月の第一、または第二日曜日が投票日となっています。これを基に、後援会活動、選挙戦と進んでいきます。
 新人は『余市祭前後に名乗りを上げなければ勝てない』とも言われています。そして、現職は6月定例会終了後に後援会の実質的活動を開始するのが慣例となっています。
 6月定例会の開始は、余市祭の翌週に開催されるのですが、今年は、小樽市長が変わった事もあって、北後志の各町村長と小樽市長との会議があったようで、結果として、定例会の開催は、例年より一週間、遅く開催される事となってしまいました。
 さらに、いつもは8月に入ってから告示となる選挙が、今年は曜日の関係で7月末に告示となる事が確定していました。
 つまり、後援会活動としては、実質、2週間ほど短くなる事がはっきりしていたために、新人より現職候補者の方が早く、動き始めました。
 後援会活動は、町中に後援会・事務所連絡所の看板を設置する事から始まるのですが、私は5月28日、つまり、告示の2カ月前という事で、この看板を町中に設置しましたが、現職候補の中では2番目でした。
 その後、次々と現職が看板を上げて、余市祭の前には、現職の方が先行する形となっていました。

後援会活動について
 選挙の後援会活動としては、いわゆる『事務所開き』の後、本格化させます。例年より活動期間として短くなる事から、私は6月19日に実施。6月定例会前に終わらせてしまい、定例会が終わった翌日から後援会活動を本格的に始動しました。
 後援会活動といっても、私の場合は、ひろかずニュースを後援会名簿に掲載されておられる方に、配布して歩くだけのものであって、これは、年4回、ニュースを発行している関係で、特別にやっている訳ではありませんが、いつもと違うのは、ニュースの他に、後援会入会の検討資料も配布します。
 通常の場合は、どの候補者もこれだけ。のはずですが、今回の選挙では、これ以外のものを配布した候補予定者もいたようで、選挙管理委員会には、多くの問い合わせがあったと耳にしていました。
 選挙前に配る事が出来るのは、いわゆる、後援会の印刷物だけであって、有機物となるものは一切禁止であり、今年に入り、国会議員がウチワを配布して大臣を辞任したケースもありました。
 選挙前から『警察が選挙違反で調査をしている』というウワサも飛んでおり、そういう面では過去に無かった前哨戦が続けられていた期間でした。
 ちなみに、すべての候補者が事務所開きを実施した訳ではないと思っています。

選挙期間中は・・・
 今回の特徴としては、選挙カーは大型ワゴン車が主流をしめていた事。また、車が大型だった事により、車載のスピーカーも大型であった事が上げられます。
 ちなみに、一昔前では、『余市の選挙はトラックでなければ勝てない』と言われていましたが、今回の選挙で候補者20名中、トラックを使った候補者は9名であり、結果としてですが、トラックを使用した候補者からの落選はありませんでした。
 各候補者のウグイスも、それなりに上手かったのではないかと思っています。また、今回の選挙は、単に名前の連呼だけではなく、演説をした候補者が大変、多かったそうです。これは、街頭演説を実施した候補者数だけではなく、各々が実施した回数も多かったと聞いていました。
 私は、毎回の選挙でもそうですが、10分以内の演説を各所で実施しています。そして、今回は、前哨戦の時から『連呼ばかりでは、何をしたいのかが、さっぱり分からない』という意見が多数寄せられていた事もあって、「選挙期間中は走行より演説中心に行こう」と考えていました。
 この考え方を基に、今回の選挙での走行距離と演説実施回数は次の通りでした。

 月日   走行距離   演説実施回数
7月28日 114キロ    16回
  29日  86キロ    22回
  30日  76キロ    38回
  31日  70キロ    31回
8月 1日 161キロ     8回
 合計   477キロ   115回

 選挙期間中で、31日は午後から雨が降り出して来て、使用車輛がトラックという事で、全員、ずぶぬれとなってしまい、途中で着替えに戻ったりしたので、走行距離も、また演説回数も少なくなってしまいましたが、自身の過去5回の選挙の中では、もっとも、演説回数が多かったです。
 ですが、これで自らの訴えが住民の方に届いたのか。といえば、そうでもなく、まだまだやらなければならない箇所は残されていたと感じています。
 また、これだけすれば、候補者としては、大変な負担となりますし、また、声を枯らさないためには、喉が強くなければなりません。
 今回は、早い時期から、選挙戦の演説を考えていたので、余市祭のお手伝いの時、また、ソーラン祭りのオンパレードにも参加して、声を出して、一度、喉を潰しておきました。
 この事により、選挙期間を通じて、声は枯れませんでしたが、演説が多いと、走行距離が短くなってしまいます。
 では、走行をすれば良いのか。という事にもなりますが、実際に回ると、余市町はかなり広いのも事実です。
 選挙カーの音が届く速度として、時速20キロだと、私は考えており、選挙カーを回せる時間は、午前8時から午後8時まで12時間ですので、休憩を取らずに走行すれば、理論上では240キロとなり、過去の経験から、これだけ回れば、全町を回り切れると考えます。
 走らせる方を優先するのか、演説を優先するのかは、候補者が決めれば良い事なのでしょうが、どちらを優先するにしても、難しいと感じています。

 前回の選挙では、どちらかと言えば、選挙カーの音が聞こえていたのは、午前9時頃から正午まで。午後は2時頃から夜の7時頃までの時間帯でした。
 今回は、8時過ぎには、選挙カーが動きだし、また、夜も8時までの時間ギリギリまで走らせていた候補者が多かったように感じていました。
 他の町村では、選挙カーを走らせる時間や曜日の取り決めをしている地域も少なくないようです。ですが、余市町の議員選挙では今のところ、取り決めはありません。
 選挙カーの回し方については、色々な意見がある事は理解していますが、私としては、4年に一回の選挙ですし、5日間は選挙カーを出すべきだと考えています。
 『候補者全員で集まっての演説会』という意見を言われる方もおりますが、候補者数が多いために、一人5分を話しても、2時間近く必要であり、また、演説会となれば場所と時間に限りがあり、人口がある程度少ない自治体では有効でしょうが、余市町では現実的ではないと考えています。
 ただ、選挙カーを回す時間については、考慮の必要があると考えています。 
 選挙カーを回すことが出来る時間帯は、午前8時から午後8時まで。となっていて、これは、公職選挙法にこの規定があるからです。
 ですが、現実問題として、正午から昼休みの間や午後8時ギリギリまでやるのはどうなのか。とも感じており、国政選挙ではないので、昼休みくらいは静かにしておかなければならないのではないか。と考えております。
 この考え方を元に、今回は、スタートは8時30分、午後は12時から13時半までは休憩。夜も19時過ぎには終了としていました。
 どちらにせよ、4年に一回ですので、どう車を回すか、どう理解を求めて行くのかは、今後も検討して行かなければならないと感じています。
 
選挙公報と入場券について
 選挙が終わった後、『投票所の入場券が届かなかったので、選挙に行かなかった』という話を耳にしました。これは、一人だけではなく、複数の方からもよせられ、『届かない』までも『遅かった』との意見。さらには、選挙公報も『遅かった』という意見が寄せられました。
 投票所の入場券は、届かなくとも、いつもの投票場に行けば、受付で調べてくれて投票は可能です。ですが、現実問題として、入場券が届かなかった時、投票に行くのか。といえば、行かない可能性の方が強いと思います。
 
 選挙公報は、立候補受付時に立候補届けの書類と一緒に提出されてから、印刷されるのですが、入場券も同じですが、定数内に留まった場合、つまり、投票行為が伴わない場合は、印刷・配布はされません。
 では、どの時点で印刷等に回す判断をするのかは、立候補受付時間が、当日の午後5時まで。となっている事から、午後5時の時点で判断されます。ちなみに、広報の掲載順番は、くじ引きによって決定されます。
 ちなみに、私の陣営では、この広報の掲載順番についてのくじ引きには参加した事がなく、選挙管理委員会にまかせています。

 さて、投票行為が伴う選挙となった場合、入場券の発送になりますが、入場券は郵便によって配達されます。そして、選挙公報は、印刷完了後、区会を通じて配布される仕組みとなっています。
 現在の郵便制度では、投函をした場合、一度、小樽に集められ、小樽の消印が押されます。つまり、以前より時間がかかるようになったのは事実でしょう。
 そして、広報は、区会を通じての配布ですが、今回は月末と重なっており、届けられたものはいつもの町広報と一緒に届けられていました。
 広報と一緒。という事となれば、配布する側としても、いつもと同じ感覚で配布したのではないか。つまり、各家庭に配布されたのも、遅くなった可能性も否定出来ません。
 どちらも、第三者がかかわる事になったのでしょうが、問題は、役場がいつの時点で、『GO』サインを出したのか。という事となります。
 また、今回の場合、前掲の選挙公報の原稿については、以前は事前審査の後、戻されて、告示日に立候補届けと一緒に提出していたのですが、今回は、どういう訳か、事前審査の後、告示日前に、提出を求められていました。
 これもまた、過去と違い、どういう意味があったのかなぁ。と感じています。


選挙得票について
 得票結果については、別表の通りでしたが、正直、今回の選挙ほど、読めなかった選挙はありませんでした。
 町長選挙と別れた事もあり、また、最近の傾向からして、おそらく投票率は下がるだろうと考えていました。
 結果としても、その通りとなり、中間票(投票者数を立候補数で割る)は50が下がってしまいました。
 新人と現職の引退が、どのように作用するのか。さらには、一年前に行われた議員補欠選挙についても、どう影響するのかも、わかりませんでした。
 まず、補欠選挙の候補者に関しては、予想以上に強かった。といえます。これは単に余市町だけではなく、今回は同一日程で仁木町でも議員選挙が行われており、仁木町も補欠選挙を経験した候補者2名は、どちらも、上位当選していました。
 昨年の議員補欠選挙は、余市町では初めて実施されましたが、当選を目指す者にとっては、実施する価値はある。という結論になると考えます。
 選挙は新人の出馬状況によって、大きく変わるのでしょうが、今回は、投票率も下がった事もあいまって、総じて、現職については、厳しい結果となったと感じています。
 その中で、前回より平均が50票下がりましたが、落ちた中でも50票以内に収めた候補者は、それなりに頑張ったといえると思っています。
 また、前回より、票が伸びた現職は私を含めて2候補者のみでしたが、私が獲得した票としては、やはり、日頃の活動が評価を得たのだろうと考えます。
 どちらにせよ、票が伸びた候補者と落ちても50票以内に収めた候補者は、平均的に、選挙前も含めて、後援会活動の期間中、多くの有権者の方と触れ合った、また、その活動が聞こえて来ていた候補者という事だけは、確かだと感じています。


余市町議会議員選挙得票結果 ※小数点は削除
 平成23年 選挙結果       平成27年 選挙結果    前回との比較
有権者総数 17741      有権者総数 16895     ▲846
投票者数  11477      投票者数  10466    ▲1011
投票率   64.69%     投票率   61.95%   ▲2.74%
中間票(投票者数を立候補数で割る)
        573             523       ▲50
順位 候補者氏名  得票数  候補者氏名 年齢 当選数 得票数 前回との差
 1 野呂 栄二  900  白川 栄美子59  5 859    ▲35
 2 白川 栄美子 894  野呂 栄二 59  4 776   ▲124
 3 岸本 好且  890  庄  巖龍 50  2 666  ▲2804 ※1
 4 藤野 博三  712  吉田 浩一 53  5 614    +45
 5 中井 寿夫  691  安久莊一郎 73  1 610  ▲1857 ※1
 6 野崎 奎一  621  岸本 好且 64  2 582   ▲308
 7 吉田  豊  610  中井 寿夫 57  4 565   ▲126
 8 佐々木 正江 586  吉田  豊 70  6 564    ▲46 ※2
 9 土屋 美奈子 576  溝口 賢誇 69  4 564    +23 ※2
10 吉田 浩一  569  茅根 英昭 43  1 553  新人初選挙
11 渡辺 正治  559  野崎 奎一 67  4 521   ▲100
12 溝口 賢誇  541  土屋 美奈子47  4 490    ▲86
13 佐藤 一夫  539  大物  翔 31  1 478   ▲108 ※3
14 中谷 栄利  515  藤野 博三 63  3 476   ▲236
15 辻井  潤  501  辻井  潤 68  4 421    ▲80
16 安宅 俊威  463  佐藤 一夫 74  6 385   ▲154
17 近藤 徹哉  387  中谷 栄利 57  4 353   ▲162
18 彫谷 吉英  371  近藤 徹哉 76  4 344    ▲43
 以下落選2候補者 440  舘巖 雄二 54    306  新人初選挙
               彫谷 吉英 73  1 241   ▲130
                無効票         97
当選議員平均年齢  62歳        60歳


※1 平成26年9月、議員補欠選挙によるもの
※2 吉田豊、溝口賢誇は、吉田豊の方が、按分により小数点票があるため。
※3 佐々木正江後継のため、佐々木との比較
今期で引退・逝去  安宅俊威 佐々木正江 渡辺正治(逝去)


選挙事務について
 選挙の事務関係は、役場の選挙管理委員会が行います。
 今回の議員選挙では、選挙管理委員会の選挙事務執行に当たり、「いかがなものか」と感じることが多々、ありました。
 6月29日、議員選挙の立候補予定者を集めての説明会が役場で開催されました。
 この説明会は、選挙の都度開催され、定数を超える候補者が集まるかどうか。つまり、投票となるのかどうかの目安となります。
 説明会は、毎回、内容的にはさほど変わらないのですが、立候補届け出書の配布と、以後の選挙日程が知らされます。
 今回の選挙に当たり、配布された資料の中では『7月16日に選挙カーの事前点検』とありました。
 この実施日については、隣席の予定者も『こんなに早いのはどうなのか』という意見もあった事、さらに、自身としても、そう感じていたので、挙手をして「例年より1週間も早く、車を作って、2週間もおいておかなければならない。レンタカーを借りる場合は余計に経費もかかるので、次週に延ばせないのか」という意見を言いました。答弁としては『警察とも相談の上、この日程となりました』との事でした。
 どの候補予定者も、そう考えていたのでしょうが、結果として、それに続く意見は出されず、結果、7月16日という事となりしまた。ところが数日後に『7月22日に延期します』との日程変更の連絡が入って来ました。
 詳細を聞くと、次の選挙には出馬をしない、安宅議員が掛け合った所、変更になった。という事でした。

 次に、立候補届けの当日ですが、受付番号は当日、くじ引きで決められます。当初、私は5番だったのですが、受付が始まってから、どういう訳か4番に繰り上がってしまいました。
 選挙の受付は8時半から始まる事から、8時半になるとポスターを張り出す事が出来ます。
 立候補受付は、決まった番号順に書類を受付をするのですが、どういう訳か、『5番から4番に変更』となってしまいました。
 こうなると大変で、当初5番に張り出したポスターも4番にかえなければなりません。こんな事は、過去4回の選挙でも無かったことで、選挙事務所としても混乱をしてしまいました。
 後でその理由を聞くと『前の候補者の方が書類不備で受付を後回しにした関係で、繰り上がり、番号も繰り上げた』との事でした。
 繰り上げた理由は分かりましたが、ですが、現実問題として、クジを引いて番号を決めたのであれば、そのクジの位置付けとはどうなるのか。たまたま町内の選挙なので、なんとかなりましたが、これが全道規模の選挙であったのであれば、どうなのか。
 さらに、当日の役場前での指導としては、選挙カーについても『受付が終了しなければ、選挙カーの覆いも外してはダメです』との事でした。
 この指導も、過去には無かった事項ですが、当然ですが、立候補届けが終了しなければ、選挙カーは走らせる事が出来ないのは分かりますが、覆いを外す事もダメである。というのであれば、1番の受付終了者と最後の受付終了者では1時間以上の時間差が出てしまい、午後になってもポスターの張り出しが終わっていない候補者もいました。

 選挙期間全般を通じて、選挙管理委員会の指導や考え方に問題があったのではないか。と私は考えていますが、過去の選挙においては、これらの点については、不都合な点は無かったのを、どうして、今回は変えたのか。役場側の事務体制に問題は無かったのかなぁ。と強く感じています。


ホームページアクセス34万件
 議員選挙があった関係で、ホームページのアクセスも多いだろうなぁ。とは感じていました。
 33万件から34万件のアクセスは、別表の通りでしたが、32万件から33万件までは、ほぼ5カ月かかりましたが、今回の34万件までは4カ月もかからずに到達しています。

アクセスログ解析
解析対象期間 2015/05/08 01:06:26
           〜 2015/08/26 23:54:58

総アクセス数  10411
一日平均       93.79
平均アクセス間隔   15分21秒に1アクセス
一意の訪問者   2495
再訪問      7916
再訪問率       76.03%
再訪問までの平均間隔 16時間6分54秒
一日当たりの最高アクセス数
    8月3日 1060

 さて、前回の選挙でも、開票日からその翌日にかけては、『選挙結果知りたい』との事で、私のホームページのアクセスが集中していました。
 今回もそうなるだろうなぁ。と予想をしており、開票所の体育館から、票数の発表があつた都度、連絡をもらい、すぐに、ホームページの掲載をしており、体育館の発表の後、10分程度で、ネットに掲載していました。
 予想通り、開票日の午後10時くらいから、アクセスが急激に伸びだして、8月2日だけでも600アクセス近く到達。そして、翌日の3日は1000アクセスを超え、正直、ここまで伸びるとは思ってもいませんでした。
 投票日翌日の8月3日の新聞には、全国紙の新聞にはチラシが織り込まれたようですが、全道版の新聞には記事もチラシもなく、最終的には8月4日の朝刊に掲載されました。
 アクセスが多かったのは、得票数が3日の新聞に掲載されなかったことが主たる要因だとは考えていますが、4年前の選挙の時は選挙の翌日で500台のアクセスだったのが、4年を経過したことによって、倍のアクセスとなりました。
 これは、それだけ、自分のホームページが定着した事と、また、固定式のインターネットだけではなく、持ち運びの出来る端末機が増えた事によるものと推測しています。
 どちらにしても、「早く知りたい」という要望に、応えたのが、私のホームページだけであったという事が、1000件を超えるアクセスに繋がったのだと考えていますし、また、自身としても、これだけのアクセス数に驚いています。
 ちなみに、余市町のホームページに選挙結果が掲載されたのは3日の正午頃で、私の方が12時間も早く掲載していました。これに対して、『余市町はダメだよねぇ』という意見を寄せられた方もたくさんおられました。


新会派『民友クラブ』結成について
 今期、新に組織された会派は『民友クラブ』で、新会派結成に至る過程の中では、前期にあった新自治研究会は一度解散した上で、再度、会派に所属していない議員が集まり、新しい会派として『民友クラブ』としてスタートをするという経過をたどっています。そして、結果、民友クラブが第一会派となりました。
 過去、私自身、16年間の議員経験と過去の会派所属の過程の中では、様々な経験と考え方がありました。
 今回の選挙では、多くの有権者の方から『そろそろ議会の中で中心的な役割をした方が良いのではないか』という意見も頂いておりました。
 無論、すき好んで無会派議員をしていた訳ではありませんが、会派に所属すれば、異論があろうとも会派の意見に従わざるを得ないというルールもあります。

 会派とは、何を持って組織をするのか。という問題では、共産党や公明党のように、選挙の時から、政党の公認や推薦をもらう候補者もおり、この場合、当然、その政党名が会派名となります。
 ですが、今回の選挙の場合、民主党系の候補者は、組合推薦をもらっても無所属候補者として選挙を戦った事もあり、今回は候補者20名のうち15名が無所属でしたので、どの議員と会派を組もうが、自由に選択が出来ます。
 と、言っても、前期に所属していた会派が基本となりますが、今回は、選挙後、それなりに動いた議員もいたようで、ウワサ話しの中では、8月20日の議員協議会前には、新人を入れた、まったく新しい会派が立ち上がるように聞いていました。
 ですが、20日に集まった結果としては、既存の会派が先行する。という形となっていました。

 その中で、私としては、選挙が終わった後、特別に動いた訳ではありませんが、既存では無い、新しい会派を組みたいと考えていました。
 20日、21日と話し合いが行われ、この中では紆余曲折がありましたが、最終的に私は、新たな会派に加わる事としました。
 尚、メンバー的には、前期あった新自治研究会という会派に、私と佐藤議員が加わる形となっていますが、新自治研究会は、一度、解散したという認識を私は持っていました。
 そして、その会派の一員となる事を決めた理由として、簡単に言えば、@過去との決別。A役職取りに奔走する事はしない。B年齢の若い議員が主体的に動く。の3点において納得したからでした。
 『民友クラブ』結成に当たり、結成後、別紙の通り(一部省略)、余市町内で行政と係わりあいの強い各団体に、会長の野呂議員と共に書状を持って、挨拶回りをさせて頂きました。

                    平成27年8月28日
 各  位  
             余市町議会・民友クラブ  会長 野呂 栄二

        ☆新会派・民友クラブ結成のお知らせについて☆
謹啓
 日一日と秋の気配が近づく昨今、皆様方におかれましては、益々ご清祥の事と存じます。
 さて、過日施行されました平成27年余市町議会議員選挙を終え、8月27日開催の余市町議会第4回臨時会を経て、新たなる議会人事が決まりました。
 これに至る過程の中で、選挙で勝ち名乗りを受けました6議員は、過去の経験や経過を踏まえ、余市町の未来を見据え、心一つにし、新たなる会派を組織して、そして、臨時会を迎える事となりました。

 さて、今期スタートに当たり、各議員の所属と議員数は以下の通りとなりました。
 民友クラブ6名 明政会5名 共産党3名  公明党2名 よいち未来2名
 この結果、私共、民友クラブが第一会派となりましたが、前期の教訓もあり、また、議員の目的は、役職取りに有らずして、行政側と住民の間に立ち、その橋渡しをして行くことが、町議会議員に最初に求められる姿である事。そして、年長者は、後輩の育成に努めて行くことを目標として、話し合いをした結果、それを実践すべく、その理念に基づき、議会運営が円滑に進むような人事を考えました。
 私共は政党・党籍・政策の枠を超え、余市町、並びに地域のために参集出来る者が集う事とし、自由で拘束のない活発な議員活動を目指すものとし、ここに新会派を発足。
 会派名称は、議員の垣根を低くし、住民の方々と手を結び、議員も住民も、皆、友達となっていこう。というで「民友クラブ」という名称と致しました。
 理想を高く掲げ、議員本来の職務に忠実に、そして、住民の幸せのために、ここに集うものであり、その志しに共鳴する者あれば、常に門戸を広げ迎い入れる考えでございます。 今後の民友クラブ会派内の活動等につきましては、会派内の検討を行い、今後の方針、さらには、住民皆様に、ご理解いただける様に広報等を含めての検討をして参る所存でございます。
 皆様方におかれましては、特段のご配慮を賜りたく、さらには、会派所属議員がお伺い致しました際は、ご指導ご鞭撻を賜りたく、宜しくお願い申し上げます。                         敬具


新議会の役職について
 選挙は8月2日に実施されましたが、議員任期としては8月18日までとなっており、新しい任期に入ってから各役職が決められます。
 今回は8月20日に招集され議員協議会が行われました。そして、余市町議会では、会派制度を取っているために、最初に行うのは、会派届けを提出する事であって、結果、20日、21日とかけて話し合いが行われました。
 4年前は、5会派と無所属5議員となっていましたが、今期は5会派となり、会派に所属しない議員、つまり、無会派議員は生まれませんでした。
 会派構成、また、常任・特別委員会や他の委員会への選出は別表の通りです。


会派構成員
 会派名  人数  役職名  氏 名  当選回数 その他の役職
民友クラブ 6名  会 長 野呂 栄二  4  総務文教常任委員会委員長
          幹事長 吉田 浩一  5  民生環境常任委員会委員長
                        議会運営委員会副委員長
                        森林林業活性化議員促進連盟幹事長
          会 計 吉田  豊  6  議員会会長
              佐藤 一夫  6   
              近藤 徹哉  4   
              辻井  潤  4  余市町監査委員

明政会   5名  会 長 溝口 賢誇  4  議会運営委員会委員長
          幹事長 藤野 博三  3  総務文教常任委員会副委員長
              中井 寿夫  4  議長
              庄  巖龍  2   
              茅根 英昭  1   

共産党   3名  団 長 中谷 栄利  4  産業建設常任委員会委員長
              安久 莊一郎 1
              大物  翔  1  民生環境常任委員会副委員長

公明党   2名  代 表 野崎 奎一  4  並行在来線の存続等に関する
                             調査特別委員会副委員長
              白川 栄美子 5  副議長
                        森林林業活性化議員促進連盟会長

よいち未来 2名  会 長 土屋 美奈子 4  議員会幹事長
              岸本 好且  2  産業建設常任委員会副委員長
                        並行在来線の存続等に関する
                              調査特別委員会委員長



議長の選出の考え方について
 会派届けが出揃った時点で、次のステップとして、議会三役をはじめとする、議会内部の役職が決められるのですが、話し合いによって決めるのか、投票によって決めるのかが、話し合われます。
 私が議員職を預かったのは平成11年からでしたが、過去4回の議長選挙は、すべて投票となっていました。
 今回は、前期の経過もあった事から、各議員、『投票は避けたい』と考えていたようで、また、新会派である「民友クラブ」結成に当たり、「議員の仕事は、役職を取る事ではない」という理念の基に、新会派を結成した事もあって、第一会派でしたが、あえて、議長職は第二会派にゆずり、議会運営がスムーズに行くように、話し合いを進めました。
 その結果、総ての役職において、投票ではなく、話し合いによって決めることが出来ました。ちなみに、議会事務局の話しでは、『議長が投票ではなく指名推薦によって、決まるのは、20年振の事です』との事でした。
 そして、すべての話し合いは、21日までに終了。8月27日、平成27年第4回臨時会を迎え、以下の役職が、指名推薦で滞りなく決定しました。
 さらには、9月15日から始まった余市町議会第3回定例会においても、特別委員会の設置や議員会の編成等が行われましたが、こちらも、指名推薦で決まりました。


議会三役  議 長 中井 寿夫 ※2期目
      副議長 白川 栄美子※女性議員では初
 議会選出監査委員 辻井  潤

常任委員会、議運運営委員会委員
◎総務文教常任委員会   ◎民生環境常任委員会
委員長  野呂 栄二    委員長 吉田 浩一
副委員長 藤野 博三   副委員長 大物  翔
     吉田  豊        佐藤 一夫
     茅根 英昭        白川 栄美子
     安久 莊一郎       庄  巖龍
     土屋 美奈子      

◎産業建設常任委員会   ◎議運運営委員会
委員長  中谷 栄利   委員長 溝口 賢誇
副委員長 岸本 好且  副委員長 吉田 浩一
     辻井  潤       野呂 栄二
     近藤 徹哉       藤野 博三
     溝口 賢誇       中谷 栄利
     野崎 奎一       野崎 奎一
                 岸本 好且
◎並行在来線の存続等に関する調査特別委員会委員長
委員長  岸本 好且
副委員長 野崎 奎一
     辻井  潤
     近藤 徹哉
     藤野 博三
     茅根 英明
     安久 莊一郎

◎北後志衛生施設組合議会議員(議長と副議長)
 中井寿夫  白川 栄美子

◎北後志消防組合議会議員(議長と副議長)
 中井寿夫  白川 栄美子
            
◎北しりべし廃棄物処理広域連合議会議員(議長と副議長)
 中井寿夫  白川 栄美子

◎後志教育研修センター組合議会議員(総務文教委員長)
 野呂栄二

◎余市町表彰審議委員会委員(会派割り選出)
 茅根英昭  安久荘一郎
 野崎奎一   土屋美奈子

◎余市町都市計画審議委員(会派割り選出)
 近藤徹哉  庄 巖龍

◎余市町農業振興協議委員(議長・産業建設委員長)
 中井寿夫  中谷栄利

◎余市町農業委員会委員
 野呂栄二  安宅俊威 
 ※公選委員のため、平成29年7月19日までの任期


本会議場の議員席
 溝口  茅根  藤野     中谷  大物   安久
 庄   白川  野崎     佐藤  吉田浩一 近藤
 中井  土屋  岸本     辻井  吉田豊  野呂

経済部長 民生部長 教育長   町長 副町長 総務部長 建水部長

              演壇
            議長席 議会事務局長


平成27年第3回定例会
 第3回定例会は9月15日から18日までの4日間、開催されました。
 とくに目に付いたトラブルは無かったのですが、定例会では、議会運営委員長が入院中だった事により、私が議会運営委員会の副委員長という事で、定例会の議会運営委員会を統裁し、また、委員長報告もすべて行った事から、かなり忙しい思いをしました。
 過去において、私が2期目の平成15年8月から2年間、議会運営委員会の委員長職を預かっていたこともあって、スムーズには出来ましたが、結果として、今期、一番多くの役職を受ける事となってしまい、大変、忙しい思いをしていたのは事実です。
 一般質問の方は、新人議員は全員提出していました。最近の選挙では初当選といっても60歳以上の方だったので、フレッシュさは感じませんでしたが、今期は、31歳という年齢の議員が誕生した事。また、平成23年の選挙までは、私が、男では一番年下だったのですが、下から5番目になった事もあり、時代の流れを感じています。


会津若松市との交流と提携について
 昨年からNHKで放映された、朝の連続ドラマ小説『マッサン』は、大好評により本年3月28日に最終回を迎えました。
 このドラマによって、余市町を訪れる方、特にニッカ工場見学の方は、前年対比で二倍とも三倍とも言われており、余市町としても全国に名をはせるまでになりました。
 ドラマのストーリーとしては歴史上の事実に基づいたフィクションでしたが、余市でのウイスキーの製造出荷に至る過程の中で、リンゴを使った製品でウイスキー出荷までの間を乗り切った事は事実であり、そのリンゴを余市町で栽培して、リンゴの地位を築いたのは、明治4年に余市町に入植した旧会津藩士の方々であった事は間違いの無い、事実であり、現在のニッカ工場正門横から余市駅、さらには、黒川15丁目・16丁目近辺、また、山田町100番地台は、会津藩の方が開墾した場所でした。
 それらの過程があり、福島県会津若松市との関係は深く、今回の『マッサン』の放送に当たっても、ドラマ放送中に福島県内でも、多くの雑誌類が発行され、ドラマ最終日には、福島県内の新聞には、全面広告を出して、余市との関係をアピールしておりました。
 さて、余市町と会津若松市との関係は、それなりに古い時代から町内では知られており、行政的な関係も深く、明治33年の一級町村の施行に当たり、初代の収入役や1級議員、2級議員が会津藩入植者の方であった事。また、昭和11年に役場庁舎の新築に当たり、現在の役場正面駐車場内にある、オンコの木が、会津入植者の関係者から移植されるなど、少なからず縁がありました。
 ですが、昭和45年頃に、余市町の町史編纂のために、会津若松市を訪れた際、相手側には余市町への入植者の公式記録が残っていなかった事も判明致しました。
 そして、昭和46年に小柄町長が就任するに至り、役場庁舎前のオンコの木を現在の形にして永久保存し、また、会津若松市との交流調印の話しも進んだようですが、結果として、調印には至らなかったと聞きております。
 その後も町内の福島県人会を中心に、会津若松との交流は続き、昭和50年代末には、当時の福島県知事であった、松平勇雄氏が余市町を訪問し、町内で植樹をして帰られましたが、この知事は、幕末の会津藩主であった松平容保公の直系の子孫でありました。
 以後も民間的にも交流が続き、現在、会津若松市内の『あいづ総合運動公園』に余市町関係者の名前が入った記念樹と解説文章が掲示されている。また、現在行われている『余市町未来を担う人づくり寄付条例』に基づいた事業の実施に当たっては、最初の事業として、会津若松市に小中学生の派遣をしていました。
 そして、『マッサン』の放送に至り、町長はマッサン縁の地として、広島県竹原市や福島県会津若松市を表敬訪問していました。
 以上の事により、「今後、余市町と福島県会津若松市との交流については、親善交流都市の締結を10月中旬に結びたい」と、今回の私の一般質問の中で町長が答弁をしおります。
 会津若松市との調印に向けて、9月18日、定例会の総ての日程が終了した後、役場3階にて、議員会主催によって私が講師となり『余市町における会津藩士の足跡』と題して、議員、そして、町長以下の部課長を対象として勉強会を開催しました。
 これ至る過程の中では、やはり『マッサン』が果たした役割が大きいと考えていますし、また、事実、福島県からの方も、かなりの方が余市町を訪れて来ており、私も、福島県から訪れた、かなりの人数の方の町内ガイドをしています。

 福島県の方に共通している事は、自らの歴史に非常に詳しく、また、幕末の混乱時において、斗南藩の事も詳しいのですが、同時期に会津を出発した、北海道に渡った先祖の事は、その記録が無かった事もあり、余市町に入植した事は解っていても、どんな経過で、また、どんな史跡があるのか。という事は、解らない。
 『マッサン』の関係で、インターネット上で情報が出るようになりましたが、その中で間違った情報もあり、それを信じて、余市町を訪れる。という方もおられます。
 そのような背景がある中で、やはり、自らの町の歴史はある程度、知っておかなければならない。特に、会津藩の方との交流は、正に『余市町が試される』事となると考えております。
ニュース第66号完

第12回 吉田ひろかず議員報告会
 選挙も終了し、再選出来ました。私の選挙公約でもあります、議員報告会を例年通り、開催致します。多数の方にお集まりを頂きたく存じます。

月日 11月12日 木曜日 
時間 午後6時〜 (概ね7時30分まで)
場所 余市中央公民館  201号室
会費 300円 飲み物等、実費分として





 
他のひろかずニュースを読む