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ひろかずニュース 平成27年7月12日UP
    
☆ひろかずニュース第65号発刊☆

 今期、最後となる『ひろかずニュース』は、すでに1カ月程前に編集、発行しており、配布を始めたのが6月12日。
 という事で、すでに1カ月近くが経過をしていますが、何かと忙しく、なかなかアップ出来ないでいました。。

 さて、今期の議員任期の最後の定例会となる、平成27年余市町議会第2回定例会は、6月22日から25日の間、開催され、何事も無く、無事に終了しました。
 また、今期で引退する議員のおり、さらには、7月28日からの選挙戦を控えた中という事もあって・・・何かと気ぜわしいというか、ソワソワした感じの定例会となっていました。
 ちなみに、この定例会期間中に、北海道新聞社の選挙用の顔写真の撮影があり、この時点で、立候補しない議員がはっきりする。という事となります。

 
 
6月17日、プレハブを設置して・・・ここを事務所にしますぅ〜

 定例会における一般質問は、選挙も控えている事もあるのでしょう。自分はキッチリ提出しましたが、いつもの定例会より少なかったのは事実ですし、また、結果として、議長を除いて、一度も一般質問を提出しなかった議員も・・・・おりました。
 
 提出しなかった議員もいる反面、自分と同期の平成11年当選組の佐々木正江議員は、今期で引退する事となりましたが、彼女は、16年間、一度も休ます、一般質問を提出しており、正に、お手本とすべき議員であったと思っています。
 また、現在10期目であった、安宅議員も引退する事となりましたが、安宅議員も議員生活40年という事で、これまた、余市町議会の歴史に残る議員となりました。
 お二人の議員、大変、お疲れ様でした。

 そして、自分も前回の選挙時の公約の一つであった、ニュースの発行も、6月中に発行する事が出来ましたが・・・・今回は、正直、作成もタイヘンでした。
 
6月19日、事務所開きを行いました。4年に一回の儀式ですね。ただ、やっぱり選挙はお金がかかりますが、このお金が地域に回れば、それは、それでよい事だと考えていますし、当然、自分は選挙用のリーフレットも地元で印刷しますが・・・よそに出しておられる候補予定者の方もいるようですよ・・・


 というのは、今年の定例会はいつもの定例会より、開催日が遅れた事がありました。
 通常、6月定例会は余市神社例大祭が終わった翌週からスタートします。
 ですが、今年は統一地方選挙の関係もあって、翌週ではなく翌々週からのスタートとなりました。
 
 いつも町内を回っていますが、この時期は、やっぱり多く出歩いていて・・・色々なものが、目に入ります。長い歴史の栄町小学校も、本年度末で閉校となり、この告知看板が出ていましたぁ〜。

 この兼ね合いもあった事から、また、選挙を控えている事もあって、いつもなら、現職は定例会が終わってから、後援会活動を開始するのですが、定例会が一週間、後にずれ込んで事。
 そして、選挙日程として、曜日の関係があるのでしょうが、7月28日告示で8月2日となってしまった事から、こちらは、例年より一週間程度、早くなってしまいました。
 つまり、都合、後援会活動期間としては2週間も短くなってしまった。という事です。
 
 さらに、お隣の仁木町の議員選挙も同時期にあるのですが、いつもは、仁木町選挙が終わってから、余市町の選挙となるのですが、今回は、まったく同じ日程となってしまいました。

 こうなると、準備も含めて、なんでも早くやってしまわなければ、後手に回ってしまう可能性が出て来てきます。
 自分の場合は、選挙告示の2カ月前という事で、5月28日に後援会連絡所の看板を設置しましたが、その後、続々と立ち上がり、余市祭り前に、ほぼ、出揃ってしまいました。
 そして、事務所開きは、自分の所が一番早かったのですが、6月19日に終わらせましたが、定例会終了後、各陣営、続々と事務所開きを実施しているようですが・・・
 事務所開きをやる陣営、やらない陣営、様々ですが、以前よりは、少なくなっているようです。

 選挙戦で必要なウグイスの手配もあるのですが、これまた、仁木町と同時という事、さらには、時期的にはサクランボの季節も終わっていない・・・という事が予想されれば・・・・

 そんな気ぜわしい中でも、やる事は、キチンとやらなければならない。という思いから、一般質問の提出やニュースの発行は、議員職を預かっている以上、自身に課した責務でもあると考えてやっていますが・・・・正直、タイヘンですし、その関係で、なかなかホームページのアップが出来ない事となっています。
 
 
一年に一度くらいしか行かないのですが・・・まぁ、この場所も色々あって、行けばかならず、現状がどうなってるのか、立ち寄りをします。

 まぁ、そんな背景もありますが、とりあえず、今期のニュース発行はこれにて終了。という事となります。
 無論、選挙という関門を潜る以上、『選挙は蓋をあけて見るまでは分からない』とのごとく、当選者がいれば、落選者もいます。
 そして、結果として、落選をすれば、このニュースの発行も、この号をもって終わり。という事となります。

 まずは、今までの間のご愛読、また、アクセスに感謝申し上げます。ありがとうございました。


☆ニュース65号☆


ニュース65号PDF

お詫びと訂正
 PDFにしましたニュース65号の表紙の文章内につきまして、本文中に「会津若松高等学校」という表記をしましたが、会津高等学校の間違いでした。
 印刷物という事で、すでに発行・配布してしまった関係により、訂正が出来ません。
 関係者されます方々にお詫び申し上げますと共に、この場で訂正告示をさせて頂きます。大変、申し訳ありませんでした。


一問一答方式の導入について
 議会改革の一環として、平成25年度の決算特別委員会と平成27年度の予算特別委員会の質疑について、一問一答方式が試験的に導入されることとなり、実施されました。
 3回挙手制の良い点としては、質問時間に制限が無い事であって、質問個数も、いくつでも質問出来ますが、答弁に納得出来なくても3回の質問と答弁が終了した時点で打ち切り、それで終了となってしまいます。
 一問一答の良い点としては、一つの問題を納得出来るまで何度でも質疑が出来ることにありますが、悪い点としては、時間制限があり、答弁を含めて40分という事となっている事から、質問する個数が限られ、5問程度が限界となりました。
 通常の議案の場合は、一つの議題・テーマに対しての質問ですので、質問範囲として関連する事項も含めて、質問範囲が広がる事はあまりありませんが、決算や予算の場合、一般会計の歳出全部、一般会計の歳入全部、各特別会計の全部と水道会計の4分割にされて質疑をします。
 一般会計の歳出全部となれば、その範囲もかなり広く、私は過去の議会では一度の挙手で20個を越える質問をした事もありました。
 3回挙手制なればこそ、出来た手法で、質疑時間も1時間を越える事は、珍しいことでもありませんでした。
 ですが、一問一答方式を採用した事によって、私としては、質問する個数に限定をかけなければならない事となってしまいました。

 さて、初めての一問一答でしたが、私としては、さほど抵抗無く、また、一問一答の特徴である、軽快な質疑が出来たのではないかと思っていますが、一問一答の場合、質問する側の知識と能力が求められるという事となったと感じています。

 あくまでも、試験的に実施されたものであって、通常の議会の場では、今まで通りの3回挙手制が取られています。また、今後も実施されるのかは、試行しながら続ける事になっています。


一問一答の実績状況
 4月22日開催の第36回議会運営委員会において、一問一答方式の実績報告がされ、以下、その抜粋です。

◎平成25年度水道決算特別委員会
  質問議員数 5名 総質問時間70分 平均14分 
   内、私が質問した時間20分

◎平成25年度一般会計・各会計決算
 〇一般会計歳出
  質問議員数 10名 総質問時間151分 平均15分 
   内、私が質問した時間21分
 〇一般会計歳入
  質問議員数 4名 総質問時間38分 平均10分 
   内、私が質問した時間21分
 〇特別会計歳入歳出
  質問議員数 5名 総質問時間57分 平均11分 
   内、私が質問した時間3分
※決算は議長と議会選出の監査委員は除かれるために、16名での委員会となります。

◎平成27年度各会計予算特別委員会
 〇一般会計歳出1〜4款
  質問議員数 12名 総質問時間152分 平均13分
   内、私が質問した時間20分
 〇一般会計歳出5〜7款
  質問議員数 10名 総質問時間144分 平均14分 
   内、私が質問した時間15分
 〇一般会計歳出8〜12款
  質問議員数 14名 総質問時間207分 平均15分
   内、私が質問した時間17分
 〇一般会計歳入
  質問議員数 6名 総質問時間50分 平均8分 
   内、私が質問した時間16分
 〇民生部関係特別会計歳入歳出
  質問議員数 7名 総質問時間91分 平均13分 
   内、私が質問した時間15分
 〇建設部関係特別会計歳入歳出
  質問議員数 6名 総質問時間63分 平均11分
   内、私が質問した時間13分

総 計 議員の総ての質問時間1023分
     内、私が質問した時間は161分で全体の15.7%


 決算・予算委員会を通じて、合計で10回の挙手の機会があったのですが、全項目に挙手をしたのは私だけ。という結果であり、反対に一度も挙手の無かった議員は議長を除いて2議員という結果でした。
 私の議会での発言時間や個数については、「多いだろうなぁ」と感じていましたが、今回、現実の数値が出された事によって、それが証明され、自身でも、この数値に驚いています。
 ですが、今回が特別だった訳ではなく、3回挙手制であれば、さらに多くの時間を費やしたと思っています。
 最近、住民の方から『余市の議会は、『吉田二人(吉田豊議員と吉田ひろかず)でやっている』と言われているぞ』と言われます。確かにそうなのかなぁ。とも思っていますが、以前は、質問個数も時間も多かった議員が、私の他に数名いたと思っていますが、現在は、以前よりは少なくなってきている。と感じています。

 また、今回の決算・予算委員会では傍聴にお越し頂いた方にアンケートが取られ、『議会の情報をどのように得ていますか』との設問に対して、『ひろかずニュース』『議員のホームページ』との回答がありました。
 余市町の議員でホームページを開設している議員は私だけという事で、少なからず、議会の情報公開に貢献しているという事が証明された結果となりました。


過去の私の一般質問
平成23年 3月 @高速道路の開通における施策と世帯数対策について
         A余市町における道立高校の今後について
      6月 @ソーラン祭りについて
         A余市町の原子力防災計画について
      9月 @大雨における町内の対策について
     12月 @町営斎場(火葬場)と周辺道路について
平成24年 3月 @冬期間のスキー授業とジャンプ台周辺の活用について
         A町内河川の清掃等について
      6月 @余市町の天文教育について
      9月 @余市町におけるインターネット回線について
         A梅川町の国道229号線改修にかかわる
                     町河川への影響について
     12月 @町営住宅の管理人について
         A火葬場について
平成25年 3月 @高速道路開通に向けた余市町のまちづくりについて
         A火災時における余市町の出動体制について
      6月 @小中学校の統廃合について
         A陸上競技場利用時における駐車場等の問題について
      9月 @区会の街路灯設置と料金負担について
         A町営の合同墓の新設について
     12月 @消費税増税にかかわる余市町の対応について
平成26年 3月 @余市町における観光客の窓口と余市観光協会について
         A高速道路、余市・共和町の工事着工について
      6月 @給食費の未納について
         A余市フィッシャリーナ(マリーナ)について
      9月 @嶋町政2期目の政策について
     12月 @開通・文化財めぐりについて
         A町営住宅山田団地のトイレについて
平成27年 3月 @シルバー人材センターと余市町の係わりについて
※紙面の関係により、平成11年9月〜平成22年12月までの間は掲載しませんでした。


 私の一般質問の特徴というか、提出に際し心掛けている事は、「住民の方は、今、何を求めているのか」という事を考えてテーマとしています。
 特に住民の方から『利用上で困っている』『こんなものがあれば良い』という事を日頃の議員活動の中で、得た情報を元に、それを提出するようにしています。
 結果としてですが、他の議員があまり提出していないテーマを提出しており、また、インターネット関係の質問は、私の他に提出している議員はいないのが現状です。
 一般質問は、定例会の都度、議員側から提出出来る議題です。余市町議会としては、他の町村の議会と比較して、一般質問の提出は多い方と聞いておりますが、毎回提出する議員としない議員の差は大きく、今期において、私は一度も休まず一般質問を提出していますが、常連議員は、数名と言うのが現状です。

 今期、一般質問で「結果が出たのではないか」と自身で思ったのが、平成25年9月に実施した「区会の街路灯設置と料金負担について」でした。
 質問の中身としては、区会の街灯設置については、新設の場合は町補助がありましたが、交換の場合は町の補助はありませんでした。そして、質問後、交換の場合にも補助が認められるようになりました。
 電気料金が高騰する中、既存の白熱街灯をLED街灯に交換する事によって、電気料金も安く押さえられるようになり、また、平成27年度の予算でも、区会に対する電気料金の助成金額も、総額で増額しました。
 また、同じ時に提出した「町営の合同墓の新設について」も、大変な反響があり、『イィ質問だったよ』と多数の方から声をかけて頂きました。
 残念ながら、その実現には、まだ時間がかかりそうですが、それだけ高齢化と核家族化が進んでいる現状があり、また、日常生活もさらに厳しさを増して来ると考えています。

 余市町もいよいよ人口2万人を割る時代となってきました。
 限られた予算の中で、どう町を創って行くのかが、さらに問われて来るでしょうし、どうすれば活性化となるのか。議会の役目も、さらに重要になって来ると考えています。


議員に求められるものとは・・・
 平成11年8月より、余市町議会議員の職を預からせて頂き、早いもので16年目に入り、まもなく、任期を終了させて頂きます。
 前掲のように、一般質問を始め、議会・委員会においても、住民目線での発言は元より、どんな場面でも、積極的に発言、現職議員の中では、最多の発言をしたと自負しており、さらには、この4年間(平成23年の改選後)においても、3回の討論を実施して来ました。 討論は、本会議採決前に行われるもので、重要な案件、特に住民の方に負担を求める場合になればなるほど、その必要性は増して来ると考えています。
 何故賛成なのか。なぜ反対なのか。その結果に至る過程はどうだったのか。そして、将来に向けて、どうなのか。という事を議員として総合的に判断し、採決に望んでおり、その集大成が討論であると考えています。
 私の場合、他人が作った文章の代読ではなく、自身で作成していますし、また、討論を作成するに当たっては、質疑も重要であって、質疑の中で、さまざまな角度で質問をした上で、採決の結論を出すようにしています。
 それをもって、討論の作成をしていますし、本会議での討論実施回数もけっして少なくは無いと思っています。

平成23年9月以後に私が実施した討論
平成24年3月 介護保険条例(第5期)一部改正賛成討論
平成26年3月 平成26年度暫定予算賛成討論
平成27年3月 介護保険条例(第6期)一部改正賛成討論


 討論をすることによって、自らの考え方、そして、住民の方にも、その説明と理解を求めて行くのが、議員としての使命ではないでしょうか。


まもなく、任期終了となります
 平成23年8月に、現在の議会構成となり、本年8月18日に任期満了を迎えます。
 今期は、選挙終了後の会派構成と議長選挙から混乱の極致となり、異例の深夜議会となって、正副議長他の役職が決まり、その途中に、会派が解散する事態に発展してしまいました。
 元々会派が多い余市町議会でしたが、今期は前期よりさらに増えて、5会派となっただけではなく、所属議員が一番多いのが5名の無会派という事で議会がスタートしました。
 嶋町長の1期目ということもあって、行政側の問題も多く、副町長の選出の遅れ、職員による職務違反、さらには、事業者の決算数値に端を発した問題、臨時職員の事故と賠償金問題。そして、土地区画事業に係わっての条例不備の問題がありました。
 議会側としては、議長の不信任案の提案、新年度予算案の否決によっての暫定予算の成立、また、余市町議会では初めての議員補欠選挙も実施されました。
 はじめてずくしの4年間だったと思いますが、混乱の要因の一つには、議会会派の構成があったと感じています。
 野呂議長、安宅議長時代は、正副議長会派で、ほぼ過半数となっていたために、議会としても、安定運営が出来た事が上げられますが、今期は、正副議長会派での票数は4名と過半数の半分、つまり、全体の約1/4票しかありません。
 これでは安定運営が出来る訳が無く、結果、混乱する議会となってしまいました。これに至る過程は、様々でしょうし、また、私としても、決して望んだ訳ではないのですが、結果として、会派から出なければならない状況となってしまった。これは、私だけではなく、他の議員もいましたが、これによって、より混乱した議会運営となってしまった事は否めないと感じています。
 とにかく、混乱の極みだったと私は感じていますが、本年8月の選挙後は、新たに会派の組み直しもされると推測されますし、また、しなければならないと感じています。


選挙は必要か
 今年は統一地方選挙の年であり、都道府県の知事と議会議員選挙、政令指定都市の市長と市議会議員選挙が4月前半に実施されました。そして、4月後半には、末端市町村の首長と議会議員の選挙が行われました。
 4年前の選挙では、平成23年3月に発生した東日本大震災の関係もあり、4月の統一地方選挙では『選挙自粛』を取り決めた地域も多かったようですが、今回の選挙では、外的要因で自粛をした所は無かったようです。
 選挙の都度、また、末端町村になればなるほど、『立候補者がいないので、無投票当選』という事で、4月の選挙でも、道議会議員選挙の後志選挙区では、2回続けての無投票で確定をしてしまいましたが、統一地方選挙の後半戦では、厳しい選挙戦が繰り広げられた地域も少なくはありませんでした。
 今回、後志管内の市町村議員選挙を、私は注目していました。なぜなら、一つの時代、また、回りの環境が大きく変わった中での選挙だったからです。
 そんな中で、上位に当選出来た方は、やはり、しっかりとした議員活動をしていた方であって、自己中心的な自己基準に基づいた活動だけをしていたような議員は落選したのではないか。また、新人で『年齢の若い人は当選出来る』という事でも無いようで、年齢が若い候補者でも落選していた候補者も多かったように見ていました。
 
 立候補者の数については、波があるようで、今回の選挙では、後志管内各地の議員選挙は、激戦であって、世代交替が進んだと思います。
 では、余市町はどうなのか。ですが、私が初当選をしたのが平成11年の選挙でしたが、この時は、私を含めて新人が5名当選しました。そして、平成15年の時は新人が7名当選となっていました。
 しかし、平成19年は新人1名、平成23年は新人2名の当選でしたが、共に、初当選の年齢として、60歳を越えていたのが現状です。
 また、最近の余市町の選挙の傾向として、「後援会活動をあまりしなくなったなぁ」とも感じています。

 余市町の選挙は8月上旬という事で『余市祭までに名乗りを上げる』事となっていました。
 選挙は後援会の設立や看板・ポスター・選挙カーの準備等、物理的にも時間がかかるものであって、その準備と後援会の参加の呼び掛けの時間もある事から、概ね2カ月前と言われていました。
 新人の場合は、さらに早いのが定説でしたが、最近の傾向としては一カ月前という事になって来ています。
 私の経験から言えば、一カ月前では、選挙の準備だけで手一杯であって、とても、後援会活動までは出来ないと考えていますが、世間の流れとしては、そうなっているようです。 選挙前に、いかにして地域を、そして、余市町を回るのかが選挙の勝敗を決めるものでしょうし、また、地域を回ることによって、当選後の議員としての活動に大きく差が出る。という事になると考えています。
 これは、役場の議案・案件というのは、文字と言葉での説明であって、『町道○○線』とか『○○橋』と言ったように、言葉だけの説明であり、この時、その場所なりのイメージが出来なければ、その判断や回りの状況が分からず、結果として、『判断が出来ない』『分からないけれども、賛成してしまった』というような事となってしまうからです。
 議員の判断には責任が伴うものであって、その基礎となるのが、選挙前の後援会活動だと私は考えています。
 余市町の議員選挙の歴史において、無投票で当選が決まった事は無く、今回の選挙も投票を伴う選挙となるのでしょうが、近年の選挙では立候補する方が少なくなって来ているのが現状であり、また、有権者の方が求める議員像は様々なのでしょうが、変わって良いこと、変わってはダメな事とがあると思っていますが、少なくとも、立候補を考えている側は、地域を回る。という事をしなくてはダメだと感じています。
 また、実際の5日間の選挙戦において、選挙カーを出す日程を調整したり、また、時間も話し合いによって決める地域もあるようですが、これは、おかしいのではないか。と考えています。
 これが区会連合会等からの申し入れで『時間を短くしてほしい』との要望が出されたのであれば、別ですが、議員間の話し合いのみで決められる。という事は、どうなのか。少なくとも、議員は、登庁しようがしまいが、決まった月額報酬を手にする事が出来るのであれば、法律で決まっている日程だけは、最低限、実施すべきだと、私は考えています。
 選挙は資金と莫大な労力が必要とされますが、これすらも出来ない候補者がいるとするならば、いかがなものなのかなぁ。と考えます。
 尚、今回の議員選挙の日程は、7月28日告示、8月2日投票日となっており、また、今のところ、投票行為が伴う選挙になる見込みです。
 お騒がせ致しますが、ご理解の程、お願い申し上げます。


議員選挙の過去の話題・・・ 
 明治33年7月1日、余市町で一級町村制度が施行され、この日を持って、余市町がスタートしたという事によって、7月1日を開町記念日としています。
 そして明治33年8月に第1回の議員選挙が行われました。当時の定数は20名で、一級議員と二級議員に別れており、任期は明治33年9月から3年間でした。以後の改選は、一級・二級の半数ずつを改選して行ったようです。
 そして、戦前は昭和17年の第14回まで選挙は続き、第14回の当選者の中に、『マッサン』で有名になった竹鶴政孝氏の名前もあります。
 以後は戦争と敗戦によって、選挙は中止されており、戦後、議員選挙が再スタートしたのは昭和22年4月で統一地方選挙として実施されました。
議員任期は3年から4年間に変更され、定数は30名となり、当選者の名前を見れば、みなさんご存知の、町内名士の方が連なっています。
 昭和26年に入り、昭和の大合併によって、大江村、現在の仁木町との合併話が進んでおり、その準備と、新町において選挙を実施する考え方から、特例的に数ヶ月、任期を延ばし、合併後に選挙を行う予定だったそうですが、結果として、合併が出来なくなった。そして、任期を延長していたこともあって、それぞれに8月に選挙を行った事により、余市町と仁木町は、選挙日が統一地方選挙から外れ、また、同じような日程で選挙が実施されています。
 ちなみに、町長選挙も以前は議員選挙と同時に実施されていましたが、仁木町も余市町も町長が任期途中で辞任した事によって、現在は別日程で実施されています。
 昭和30年、第17回の選挙から、定数24名となり、この時から政党所属で立候補される方が出始め、この時は社会党と公明政治連盟所属で当選された方もおります。
 余市町における女性議員の初当選は昭和34年の第18回〜第20回において、中村ミエ氏が当選、その後はしばらく不在でしだか、平成3年の第26回において、松原友香氏が当選。以後、切れることなく、現在に至っております。 
 そして、平成15年の選挙時では、定数22名に対して5名の女性議員が当選しており、占有率としては22%。現在は定数18名で3名の女性議員が在職しており占有率は16%と、他町村の議会と比べて高い部類に入ります。
 以後、平成3年には定数2減の22名となり、平成19年には定数4減の18名となって現在に至っております。
 私の調べた範囲では、議員の当選者名簿はありますが、選挙得票記録としては昭和34年8月の第18回以降のものしか無く、その中で、チョット面白い数値や記録を・・・

・過去立候補者が一番多かった選挙 
 昭和42年8月 定数24名で37名が立候補。この時は町長選挙も5名が立候補しており、現職・海野氏対新人・小柄氏で、町長・町議と合わせて42名の各候補者が町内を回っていたという事は、大変、騒がしかったのではないか。と想像されます。
 この時の町長選挙は僅差で海野町長が2回目の当選となっており、議員の方は兼平純吉議員が1000票台にのせ、2位との差が500票近くとダントツという極端な結果となっています。
・過去最高の得票を得た議員    
    平成 3年8月 野呂 栄  1235票
・過去最低の得票だった数値
    昭和46年8月 10票
・最下位当選者で最も得票数が多かった数
    平成19年8月  499票
・最下位当選者で最も得票数が少なかった数
    昭和42年8月  326票
・過去最多の立候補があった選挙
    昭和42年8月 定数24名に対して37名立候補で13名落選
・最も古い選挙に出馬し現在も現職の議員
    昭和50年8月 安宅俊威 現在10期目
・有権者数が最も多かった選挙
    昭和62年8月 19112人
・投票率がもっとも高かった選挙
    昭和62年8月 89.81%


余市町における議員選挙と他選挙との投票率の各種数値
 実施日    定数 立候補者数 当日有権者数 投票者数   投票率%
昭和58年8月 24   27   18924  16763  88.58
昭和62年8月 24   26   19112  17164  89.81
平成 3年8月  22   25   19045  16402  86.12
平成 7年8月  22   25   19324  16313  84.42
平成11年8月  22   25   19315  15374  79.60
平成15年8月  22   27   19103  15352  80.36
平成19年8月 18   21   18559  13468  72.57
平成22年9月 初の町長単独選挙 17932  11754  65.55
平成23年4月 北海道知事選挙  17697   9593  54.21
※北海道議会議員選挙は無投票で確定
平成23年8月 18  20   17741  11477  64.69
※町長選挙と別日程となって始めての議員単独選挙
平成24年12月 第46回衆議院議員選挙
   ※余市町から初の代議士誕生 17600 11027  62.65
平成25年7月 第23回参議院議員選挙
                 17596  9037  51.36
平成26年8月 余市町議会初の議員補欠選挙
   ※町長選挙は無投票で確定  17115  6181  36.11

平成26年12月 第47回衆議院議員選挙
                 17184  9690  57.83
平成27年4月 北海道知事選挙  
※北海道議会議員選挙は無投票確定
 16834  9224  54.79

 町長選挙と同一日程の時は、投票率も高くなっていましたが、平成20年前後を境にして、有権者数の目減りも目立ち始め、投票率も70%台を切るようになって来ました。
 今回の議員選挙も投票となる見込みですが、投票率60%で約1万票となる事から、1万票を立候補見込み者数で割る事と、500票が中間ラインとなります。
 以前は600票が中間ラインだった事から、100票あまり下がる事となると推測しています。
 では、最下位当選者のラインも100票下がるのか。といえば、そんな事はないと考えていますが、最低数当選の記録更新の可能性もあります。
 選挙における投票率の低下は、高齢の方が選挙に行けなくなった。また、若い年齢の方も選挙に行かない。全体的には選挙に興味が無くなったのが要因だと推測しています。
 また、議員の高齢化も一段と進み、前回の選挙後の議員の平均年齢は62歳でしたが、4年が経過した事により、現職では70歳以上が7議員、また、69歳以上が半数を占めるまでとなってしまいました。
 平均年齢が上がり人生90年時代となっていますが、共に平均年齢が上がった事が、投票率の低下の一因とも考えられます。

 今回で引退を表明された現職議員の方もおり、改選後は議員の平均年齢は下がると推測されますが、3カ月以上の住民票があれば、立候補する資格がありますし、また、議員選挙については、供託金の必要もありません。
 4年に一度、町の将来を決める事が出来るチャンスなので、チャレンジとくれぐれも棄権の無いようにお願い致します。


余市町議会議員選挙結果 ※小数点は削除
平成19年 選挙結果      平成23年 選挙結果
候補者氏名  年齢 得票数  候補者氏名  年齢 当選回数 得票数
野呂 栄二  51 896  野呂 栄二  55  3  900
山本 哲男  63 860  白川 栄美子 55  4  894
白川 栄美子 51 822  岸本 好且  61  1  890
溝口 賢誇  61 774  藤野 博三  60  2  712
中井 寿夫  49 725  中井 寿夫  53  3  691
安宅 俊威  69 711  野崎 奎一  64  3  621
土屋 美奈子 39 689  吉田  豊  66  5  610
吉田 広之丞 73 688  佐々木 正江 67  4  586
野崎 奎一  59 643  土屋 美奈子 44  3  576
吉田  豊  62 642  吉田 浩一  49  4  569
納谷 準一  67 640  渡辺 正治  74 10  559
吉田 浩一  45 598  溝口 賢誇  65  3  541
熊倉 義城  77 590  佐藤 一夫  70  5  539
辻井  潤  60 574  中谷 栄利  54  3  515
近藤 徹哉  68 562  辻井  潤  65  3  501
佐々木 正江 63 533  安宅 俊威  74 10  463
佐藤 一夫  66 507  近藤 徹哉  72  3  387
渡辺 正治  69 499  彫谷 吉英  69  1  371
 以下落選3候補者1393  以下落選2候補者       440
※この時から定数18名、前は22名



マッサン効果
 NHK・朝の連続ドラマ小説『マッサン』は高視聴率で終了しました。
 ドラマ終了後において、余市町を訪れる方も、非常に増えて、ゴールデンウィークでは、町内の中心部の空き地は車で埋まっていて、5月3日は、6千台の車が駐車した。という統計もあります。
 また、特に『マッサン』の舞台となった、森野熊虎の屋敷は、旧福原漁場だった事もあり、『熊虎の居間』の見学に訪れる方が大挙して訪れ、ゴールデンウィーク期間では去年の10倍。さらには、相乗効果によって、各文化財施設も去年の倍の方が訪れたと聞きました。
 さらに、昨年、余市観光協会が商工会議所に委託していたのが独立し、一般社団法人となり、専属スタッフが常駐し、独自事業をする事となり、余市町を様々な形で各方面に売り込みがされています。
 その中で『よい願いが叶う町?』として『余市幸福運巡り』として売り込まれ、旅行業者のルートの一つと、余市神社を始めとする、旧福原漁場、下ヨイチ運上家を訪れているそうです。
 この幸福運巡りは、ホームページ上に公になったのは、平成17年4月に、私が「よいち"でささやかれる、ひそやかなウワサ?」と題してホームページ上に「余市神社をスタートして、5カ所を回ると、良い事に巡り会える」と施設の写真入りで紹介した所、以後、当時のiセンターの職員の方が5カ所を巡る用紙を作成して、現在に至っております。
 この間、平成19年には、JRヘルシーウォーキングの企画に取り上げられ、最近では、余市町教育委員会によって、『開運・文化財巡り』として9月第2週の週末に、毎年、企画・実施されていますし、また、これが材題となっての歌を作成された方もおりました。

 さて、マッサンも一段落しましたが、余市町以外でも、マッサンで盛り上がったのは、福島県会津若松市であり、マッサン最終回の放送日には、『マッサンとふくしま』と題しての新聞1面広告が出されていました。
 内容は、『余市で実った会津魂の結晶』という事で、ニッカウヰスキー創成期、ウィスキーを出荷するまでの間、リンゴでジュースを作り、会社を運営していた。という事は史実です。
 明治初期に戊辰戦争に敗れた会津藩士の武士の一部の方たちは、朝敵の汚名を晴らすべく、明治2年、北海道小樽市に上陸。その後、紆余曲折があったようですが、最終的に明治4年に200戸が余市町に入り、黒川村・山田村の開墾をして、現在の余市リンゴと農業の基礎を作った事は、紛れも無い事実であって、前掲の福島県での新聞広告は、この件の内容でした。
 ここ数年、福島県から余市町を訪れる方が増えて来ており、また、今回のマッサンの関係もあると思いますが、連休中にも、会津関係の歴史を訪ねる方が、当家にも来て、100年経過の『緋の衣(19号)』のリンゴ木の見学に来た方もおられます。
 町内には、会津関係の記念碑や記念樹があり、役場前の駐車場のオンコの木は会津入植者による贈呈のもので、小柄町長時代に現在の形となりました。

 余市町は、『海の幸、山の幸が豊富にあり、ウィスキーやワインもある。そして、文化財もたくさんあり、一村一品ではなく、一村百品。温暖で雪も少なく、平地で住みやすい所』と言われていますが、『町の活性化の特効薬的なものがない』とも言われています。
 今回の現象により、文化財施設は観光の目玉となりうる事が分かり、そして、それは、季節的なものでもなく、また、一時のブームではなく、長く続けられるものではないでしょうか。
 余市町の活性化には歴史を学ぶ事と、その事を住民の方が認知し、だれもが説明出来る。という事となれば、町外の方をもてなす事にも繋がると、私は考えています。
 5月上旬に、嶋町長が会津若松市を訪問し、その様子は、福島県内の新聞に掲載されていましたが、今後も会津若松市、そして、竹原市と『マッサン』繋がりが、余市町の発展のカギを握っているのではないでしょうか。


ひろかずニュースをご愛読頂き、ありがとうございました
 4年前の選挙において、公約として、ニュースの発行、ホームページの更新、議員報告会の実施を掲げました。この3点共、公約通に実施出来たと自負しております。
 ニュースに関しては『このニュースが無かったら、議会の事が分からない』という声を頂けるようになり、一定程度の市民権は得たのではないか。と考えております。
 現状、再選が叶えば、引き続き発行して行きたいと考えておりますが、選挙はやってみなければ分からないものです。
 今期のご愛読に感謝申し上げます。大変、ありがとうございました。