ひろかずニュース 平成19年4月14日UP
      ☆ニュース第32号☆


 3カ月に一度のニュースの発行。定例会終了の都度、発行していますが、自分の定例会はこのニュースを発行して、ようやく“終わり〜”という事になり、まずは“ホッ”と感じています。ちなみに、発行までの時間が、かなりかかってしまいました。

 さて、紙面ニュースの方とホームページの方では、毎回同じですが、記事的には、かなりダブっています。本当はまったく別記事にすれば良いのですが、なかなか出来ない。というのも本当の所です。まぁ、「紙面に残す」という観点もあって、以前UPしたものも、それなりに整理してやっているつもりなんですが・・・・・

 道議選挙もようやく終わって、余市町は違いますが、近隣の市町村では、首長と議員選挙が始まります。
 それなりに忙しい人は忙しいと思うのですが・・・・

 今回の道議選挙については、私は、あえて、どの候補にもはまっていませんでしたが、ウワサとは不思議というか、火のない所に煙が立つ。とうのでしょうか、私に関するウワサも聞こえて来ていて「なんで?」と思う所もたくさんあります。

 某候補者の選挙カーに乗っていた。某候補者の選挙カーの伴走をした。某候補者と一緒に回った。というものでした。
 そのどれもが、今回の選挙は、一切、ありませんでした。

 なぜ、そんなウワサになったのか?という事を、自分自身で思いつく所を・・・・

 自分の場合、選挙カーが来ると、手を振れる状態にある時は、どんな候補者であろうとも、また、自分で支持をしているいないにかかわらず、出来るだけ近くまで行って、手を振る事にしています。また、ご存じの通り、自分の車はスピーカーセットが常設してあるので、車を運転中の場合、これまた、選挙カーとすれ違うときには、マイクを通じてエールを送ります。

 選挙の時、支持していないからいって、すぐ隣を選挙カーが通っても、背を向けている方もいるようですが、自分も選挙で選ばれる一人としては“仁義に反する”と思っています。
 また、選挙期間中の4月2日・月曜日、後志支庁に議員の後援会活動の収支報告書を提出に行きました。これが『某候補者の選挙カーの伴走をした』という事になっているのではないか?と想像していますが、これまた、まったく違います。
 『選挙カーに乗っていた』については、確かに、1月末でしたが、たまたま暇だった事、また、たまに乗らないとその感覚を忘れるので、その練習のために乗った事があり、その事が、まだ言われ続けているのかなぁ?とも思っています。
 さらに、某候補者と回った。という事は、一切ありません。

 まぁ、とにかく、作為的なものも含めて、ウワサの的とされやすいようですし、また、議会での発言についても、湾曲して伝える輩がいるようです。

 選挙結果については、道議選挙については自民2の民主1となり、余市町在住の道議が二人になったという事は、余市町に住む者としては非常に良かったと思っています。
 ただ、前回と比較した時、投票率が落ち、かろうじて70%でしたが、前回以上に、白票を含めた無効票がかなりあったと聞こえて来ています。
 その数値はまだ正確に押さえていないのですが、有効投票のみで計算をした場合、投票率としては70%を切ったのではないか?と考えられます。
 結果として地元から2名の道議を送り出した割には、投票率が前回より下がった・・・・ということをどう解釈すれば良いのでしょうか・・・・・
 
自宅前を通過の時に、写しました〜。ちなみに、あと2名の候補者は、うちの前を通らなかった??

 さてさて、統一地方選挙も、後半を向かえました。
 新聞に掲載されていましたが、夕張市では、市長候補者が公開討論会を実施したようですし、小樽でも実施したようです。
 自分の知っている、ある町議の町でも、議員選挙において、選挙カーを出さないで、自転車で回り、街頭演説はハンドスピーカーで行う。町内の各会館等で、候補者全員による立会演説会を実施する。という取り決めがされ、選挙をするそうです。

 首町と議員では、その役割がまったく違うのと、持っている権限が違う事もあり、国レベルや県議・道議クラスのように、政党政治をやっているのであれば、対立軸も明確でしょうが、末端自治体の小さな町で、議員の討論会とは、どんなふうになるのか?という事が、よく分かりません。
 ですが、これも新しい手法だと思いますが、では、余市町でこの手法が取れるのか?という事は、難しいと思っています。

 ちなみに、今、話題になっている、議員年金の関係で、3月31日で引退した議員は、余市町にはおりません。



ひろかずニュース32号

平成19年第一回定例会

 平成19年第1回余市町定例議会が3月6日から開催されました。3月定例会は、新年度の予算委員会も日程に組み込まれるために、一年で一番、長い期間の議会となります。

  日 曜日 種別  内容(※土曜、日曜、祝日休みです)
 5日 月 委 員 会   議会運営委員会
 6日 火 本 会 議   一般質問
 7日 水   〃      〃
 8日 木   〃    18年度の補正予算の審議
 9日 金   〃    19年度、町政・教育執行方針
12日 月 本 会 議  各会派代表質問
13日 火  予算委員会  一般会計歳出(議会・総務・民生・衛生)
14日 水 予算委員会  一般会計歳出(議会・総務・民生・衛生)
15日 木 予算委員会  一般会計歳出(議会・総務・民生・衛生
                      ・労働・農林水産・商工)
16日 金 予算委員会  一般会計歳出(労働・農林水産・商工
                     土木・消防・教育・公債・予備)
19日 月 予算委員会  一般会計歳出(土木・消防・教育・公債・予備)
20日 火 予算委員会  一般会計歳入関係
             特別会計関係(民生関係・建設部関係)
22日 木 予算委員会  特別会計関係(民生関係・建設部関係)
             19年度予算案委員会採決
23日 金 本 会 議  19年度予算本会議採決他

 今回の定例会では、私を含めて10名が一般質問を提出しましたが、私が経験した定例議会の中で、もっとも少ない人数しか一般質問を提出しませんでした。
 また、予算委員会の全体的な質疑の個数としては、いつもより少なかったと感じました。


19年度の予算
 19年度の予算については、平成18年度に続いて2年連続の赤字予算となりました。
 赤字部分は予算書上では“その他雑入”となっており、3億8000万円が計上され、この金額が『赤字』という事になります。

 ※千の位はすべて切り捨としました。よって、縦計が合わない場合があります。

            ☆過去3年間の当初予算比較☆

会計区分     19年度     18年度       17年度
一般会計  77億3000万円  79億8000万円  81億6000万円
介護保険  18億1485万円  17億5698万円  14億4434万円
国民保険  30億2272万円  26億9220万円  24億7200万円
老人保険  28億6214万円  28億9363万円  28億9829万円
簡易水道     7159万円     7277万円   1億1183万円
下水道   14億9707万円  15億5624万円  16億0293万円
合  計 169億9837万円 169億5184万円 166億8941万円


水道会計
水道料金 収入5億2379万円  4億6148万円   4億5671万円
     支出4億4177万円  4億3441万円   4億4031万円
事業利益     8202万円     2707万円      1640万円
工事関係 収入5億5535万円  7億3151万円   1億1840万円
     支出7億6968万円  8億6339万円   2億5664万円


           ☆過去3年間の歳入歳出款別予算☆
               ※一般会計の内訳です。 
                 歳      入
          19年度当初予算   18年度当初予算   17年度当初予算 
町  税     19億7398万円  18億1103万円  18億7356万円
地方譲与税      1億1900万円   2億6991万円   1億9629万円
利子割交付金       1000万円     1500万円     1500万円
配当割交付金        200万円       120万円       180万円
株式等譲渡所得渡交付金   300万円      120万円      120万円
地方消費税交付金   2億3500万円   2億3500万円   2億3500万円
ゴルフ場利用税交付金    120万円      140万円      150万円
自動車取得税交付金    3700万円     3600万円     4000万円
地方特例交付金      1214万円     2460万円     5000万円
地方交付税     33億1797万円  33億5883万円  33億8021万円
交通安全対策特別交付金   350万円      350万円      350万円
分担金及び手数料     7160万円     7195万円     7250万円
使用料及び手数料   1億8251万円   1億4725万円   1億2385万円
国庫支出金     3億2302万円    3億8768万円   4億0713万円
道 支 出 金    3億7582万円   3億1000万円   4億2656万円
財 産 収 入      1158万円      550万円      4215円
寄  付  金         1万円        1万円        1万円
繰  入  金   1億0983万円   1億7967万円   3億5323万円
繰  越  金       0.1万円      100万円      100万円
諸  収  入    5億3370万円   5億7503万円   1億8687万円
町     債    4億7100万円   5億4420万円   7億4860万円
歳 入 合 計   77億3000万円  79億8000万円  81億6000万円


                 歳        出
          19年度当初予算    18年度当初予算    17年度当初予算
議  会  費    1億4252万円    1億5183万円    1億5494万円
総  務  費    7億3133万円    7億2921万円    7億4397万円
民  生  費   13億8554万円   13億2920万円   12億9944万円
衛  生  費   14億4181万円  14億0514万円  13億5047万円
労  働  費      4051万円      5411万円      4257万円
農林水産業費     2億7181万円    2億9675万円   3億0068万円
商  工  費    1億5595万円    1億6971万円   1億7877万円
土  木  費   12億0188万円   14億3449万円   16億1739万円
消  防  費    4億7638万円    5億0006万円    4億9252万円
教  育  費    6億0359万円    6億2875万円    6億7462万円
公  債  費   12億7365万円   12億7570万円   12億9958万円
予  備  費       500万円       500万円       500万円
歳 出 合 計   77億3000万円  79億8000万円  81億6000万円


自治体の倒産
 18年度は約4億円の赤字予算でスタートしました。ですが予算編成時点から、人件費の条例改正が行われる事が決まっており、また、予算執行後の削減もはかる事として、予算成立の時点でも、実質的には2億円程度の赤字あろうとの予測がされていました。
 そして、年度末を迎えるに当たり、18年度は暖冬という事で、除雪・排雪費が大幅に削減出来た事により、実質的な赤字は1億5千万円程度になると予測されています。
 では19年度はどうなのか?ですが、予算と執行の関係と人件費の関係で3千万円程度は削減出来る見込みはありますが、18年度のように、当初見込みから、実質的に半分程度になる。という事はありません。

 さて、19年度から夕張市が財政再建団体となりましたが、夕張市の場合は、数年前から財政破綻状態となっており、それを“一時借入金”という短期の借入を、いくつもあわせて、自転車操業をしていたのが実態でした。尚、夕張市の18年度の財政は予算書上では“黒字”でした。
 では、余市町の場合、どの程度の“赤字”で財政再建団体となるのかですが、これは標準財政規模という数値から割り出され、余市町の標準財政規模は約50億円となっており、これから割り出される目安の数値とて10億円となっています。つまり、累計赤字が10億円を越えた場合、財政再建団体となる事になります。
 一時借入金は公債費(長期借入金)とは異なり、また、一時借入金の額は予算の議決事項に含まれており、余市町場合、偶然でしょうが、一時借入金の最高額は10億円となっています。尚、夕張市の場合は、一時借入金が292億円、この他の負債が300億円といわれています。

 今回の予算委員では、この赤字予算ということについて、どのような質疑が交わされたのか。ですが、予算委員会での質疑個数としては、けっして多くなく、また、歳入にかかわる部分では、滞納問題を含めてほとんど出されませんでした。
 私は「国保税等を含めて、同一世帯で親族が同居していれば、切符の発行名者だけでなく、同居の方も含めて回収すべきではないのか」「公用地・公有財産は積極的に販売をしてゆくべきではないのか」さらには時代と逆行はしていますが「タバコ税の増加に努めるべきではないのか」とも質問の展開をしました。
 国の増税路線の方針は一向に変わらず、また『景気が良い』と言われていますが、余市町では、それを全く感じず、厳しい時代が続いています。それに伴い、納税の不公平感は益々増大していると感じています。そして各種の税や使用料が100%収められれば、赤字財政ではない。という現実があります。
 収入見込額より多い支出は出来ない時代だけではなく、余市町としても過去の清算をしなければならない時代となっています。
 これに対して余市町としては、人員見直しと組織見直しをして、おおよそ5年を目処に黒字転換をはかる計画となっており、今後、本格的に着手する予定となっています。
 

議員報酬と政務調査費
 昨年9月の定例会において、議員定数の削減が決定され、22名から18名となる事がきまりました。
 定数削減が決定して後、様々な意見も耳にしましたが、いくら定数を削減しても、根本的な理解は得られていない。という事を感じています。
 『生活のために議員に出ているのではないか』『普段、何をやっているのかも分からない』というものが大半です。また、今年は統一地方選挙の年ということもあるのでしょうが、テレビでも政務調査費にかかわる件の報道も多く、その使い方に対しても、多くの疑問を出され、『余市町でも政務調査費はあるのか?』と聞かれる事も多くなっています。

 では、議員は実際にどの程度の報酬をもらっているのか?ですが、議員報酬や政務調査については、各々の市町村で個別に設定しているので、他の自治体はどうなっているかは分かりませんが、私の12月・1月の報酬は以下の通りになっています。


平成18年12月分
 例月報酬20万円  費用弁償9千円   支給合計20万9千円
 所得税1万400円 共済掛金3万円   支給総額16万8000円
 議員会会費6千500円  会派会費0円 差引支給額16万2100円

平成18年12月期
 期末手当46万5750円  所得税4万6575円  共済特別掛金2万3250円
                     差引支給額39万5925円

平成19年1月分
 例月報酬20万円  費用弁償6千円   支給合計20万6千円
 所得税1万1500円 共済掛金3万円   支給総額16万4500円
 議員会会費6千500円  会派会費0円 差引支給額15万8000円


 “金銭的にもらうもの”としては、月額報酬と6月と12月の期末手当です。例月(月額)報酬と費用弁償が同時に支給されます。また、政務調査費は余市町議会としては制度が無いために支給されていません。

 報酬月額については議長29万円、副議長23万5千円、常任3委員長と議会運営委員会委員長は21万7千円、一般議員は20万円。
 費用弁償は、議会(委員会を含む)に出席した際の手当で、一日1500円となっていて、×日数という計算となっています。尚、この費用弁償は余市町から委嘱されている様々な委員に対して、会議に出席した場合、支給されています。
 所得税は所得税で、支給金額によって変わります。
 共済掛金は、議員年金の掛金です。
 議員会会費は、定額で引かれます。使用目的は議員控室で飲むお茶代、また議員会主催の研修会のバス代等がここから出ます。尚、以前は町の補助金もありましたが、現在は補助金はなく、報酬からの天引き分のみで運営されています。
 会派会費は、会派で取り決められます。よって、会派に所属していない議員は無い事となり、使用目的は様々で、以前、会派に所属していた時は、会派の活動費として、また、親睦費として使われています。
 期末手当はいわゆるボーナスであり、この中の共済特別掛金は、期末手当分の年金掛金分。尚、6月と12月の年2回あり、6月は、この金額より5万円くらい低くなっています。さらに期末手当は“月額報酬”×率となっており“長”になれば、当然、多くなります。

 議員年金については、町村議会共済会で集められており、月額報酬からの掛金分と自治体負担分として、余市町の場合、議員一人当たり、月額3万円の合わせて5万2000円が負担されます。尚、本年4月から負担率が変わります。
 議員年金をもらえる条件として、@議員として12年以上在職した者。A65歳以上で現職でない者。となっており、もらう金額については、掛けた年数によって違うようですし、また、今回法律改正がされた関係、さらには、今年の統一地方選挙の関係があり、将来的には、ごくわずかな金額でしかないと予想されます。なぜなら。町村議員年金は国の補助金はなく、天引きと町村負担分のみで運営されており、町村合併をした事と、各自治体で議員定数が削減されている事もあり、つまり、年金を掛ける人数より、もらう人数の方が圧倒的に多くなるからです。

 さて、個人的な見解として、私は政務調査費は必要無いと考えています。議員一人が手にする金額としては年間270万円前後となっており、これが高いか安いのは、それぞれ思う所があり、一概に言えませんが、けっして少ない額では無いですし、給与ではなく報酬です。
 議員活動をすればする程、資金が必要であり、私の場合、紙面ニュースを一回発行すれば、ほぼ一月分の手取り分が無くなりますし、また、ホームページの維持管理費として一月1万円がかかっています。
 テレビの報道等では、どの職種の議員でも、政務調査費や事務所経費の計上の仕方に、疑問がよせられています。無論、ごく一部の議員だけでしょうが、結果として、これもまた議員に対する不信感に繋がっていると思います。
 正しく使っている議員もいるでしょうが、実際問題として現金を手にすれば、どうしても、変わってしまうのもまた人のが“性”だと思っていますし、金銭にかかわる事項は、いくら制度として厳しくしても、常にグレーゾンは存在しており、最終的には個人の金銭感覚の違いになると考えています。

 議員活動とそれに見合うだけの報酬というのも、非常に難しい問題ですが、金額の多い少ないだけでなく、議員自身が目に見える活動をすることが、一番理解を得られる近道ではないでしょうか。


安宅議長の入院
 2月10日の夜、上野しげる後援会主催の新年交流会が開催されました。安宅議長も出席しており、その帰り道で、凍結していた道路に足を取られ、滑って転倒し、その弾みで左大腿部を骨折してしまいました。
 場所は大川4丁目の大川北1線の町道で、小樽の病院に搬送され、そのまま入院となってしまいました。
 その結果、3月の定例会は欠席する事となり、副議長である渡辺正治議員が議長席に座り、議事を統裁する事となりました。
 そのために、新年度の予算委員会は、通常の場合は『議長を除く21名で構成』するのですが、今回は『正副議長を除く20名で構成する』事となりましたが、予定通りの日程で終了しました。
 さて、議長が入院して2週間程たった頃、『議長と町長に対する怪文章が出回っている』との話を聞きました。私はその文章は見ていませんので、内容については掲載しませんが、聞く範囲として、事実と異なる内容となっていました。
 今年は選挙の年ですが、4年前の選挙においても、様々な怪文章といわれるものが出され、また、目にしましたが、総じて事実と反しています。
 尚、安宅議長は3月末には公務に復帰し、4月3日には退院をしております。


上野町長出馬表明と一般質問
 今年は選挙の年という事で、一番に気になる事は、上野町長が2期目を目指すのか?という事ではないでしょうか。
 平成18年3月に町長の町政報告会があり、また、本年の2月10日では、上野しげる後援会主催の新年交流会が開催されましたが、そのどちらでも、『次の選挙も出馬します』という明言はなかったと聞いておりました。
 そんな背景もあり、今回の定例会において、町長自身が、4年前に掲げた公約に対して、どうご自身で判断をしているのか。また、その上で、二期目を目指すのか。という事を聞いてみようと思い、今回の定例会において、一般質問で質問しました。
 質問通告書に対する答弁書は、事前に作成しているために、このニュースでは、定例会終了後に役場側からデータとして頂き引用致しました。再質問は、その場でのやり取りなので、私の議場でのメモなので、不正確な場合があります。


上野町長の公約について
  平成15年の選挙当時において、当時の上野盛候補は、現職町長を破り、余市町長に初当選を致しました。
 当時の選挙公報、並びに後援会便りには『町民と共に歩む町政、信頼と参加のまちづくりを進めます』をスローガンとして、政策として“暮らしを大切にするまちづくり”“町内経済に元気を取り戻すまちづくり”“教育・文化・スポーツの環境を整えるまちづくり”“町民パワーを活かすまちづくり”と4つの項目を上げ、さらに細分化した取り組みを公約として掲げました。
 上野町長は、昭和14年生まれで、地元の中学・高校を卒業後、昭和33年に余市町に奉職し、その間、教育次長、総務部長等を経験しており、平成7年から平成11年までは余市町助役としての経歴をもち、行政経験は豊富でありましたが、平成11年から平成15年までの間において、国としての方向転換や小泉内閣の影響もあり、それ以前の地方自治とは、比較にならないほどの激変をしており、町長当選当時の議会答弁でも『これだけ変わっているとは思ってもいなかった』というような趣旨の答弁をされておられます。
 そして、今、小泉内閣より引き続いた安倍内閣においても、国の方向性は一向に変わらず、以前にも増して、地方いじめと地方つぶしの状況になっておりますが、時代の背景はあるものの、選挙で掲げた“公約”は、公約として成し遂げなければならない。
 また、出来なかった場合でも、その理由については明確な説明責任がなければならないと感じております。
 町長となられたこの4年間において、公約として掲げ、出来たもの、出来なかったものは、何があったのか。また、実際に町長に就任して、早急にしなければならないと考え、実践したものは何であったのかをお聞きします。

上野町長答弁
 ご質問にもありますとおり、平成15年8月の余市町長選挙において、町民の皆様の暖かいご支持を頂き、余市町長に就任をいたしました。町長選挙に立候補するにあたり、私は町政全般にわたって町づくりの政策を掲げたわけですが、その公約について、現時点でどのように総括するかというご質問でございます。
 振り返ってみますと、私が町長選挙への立起を決意した4年前、既に地方自治体をめぐる情勢は大きく変わり始めていました。高度経済成長の右肩上がりの時代は終わり、国、地方を問わず深刻な財政難が指摘される中で、かつてのような公共投資を主軸にしたいわゆる「箱モノ行政」ではない、新たな町づくりの模索が求められていたと思います。
 このような情勢の中、私は「暮らしを大切にするまちづくり」「町内経済に元気を取り戻すまちづくり」「教育・文化・スポーツの環境を整えるまちづくり」そして「町民パワーを活かすまちづくり」を政策の大きな柱として掲げました。これは、町民が本当にこの町に住んでよかったと思えるような余市町を築くため、様々な施策を、「福祉や生活基盤の整備」「町内経済の活性化」「教育・文化の振興」の3つの要素に大別した上で、町民のパワーを結集して町づくりを進めたい、との考えに基づくものでありました。
 さて、まず「町長に就任して早急にしなければならないと考え、実践したものは何か」という点についてお答えいたします。
 私が町長に就任して最初に痛感したことは、行政のトップとして責任を持って様々な施策の進め方を決断し、職員とともにその施策を着実に実行してゆくことの必要性でありました。その一例として、私は就任してすぐに、当時進められていたパークゴルフ場建設計画に疑問があると判断し、担当職員に見直しを指示し、新たな計画を策定することにより、それまでの計画の変更を決断いたしました。この計画変更につきましては議会のご理解を頂き、この4月に町民待望のあゆ場公園パークゴルフ場がオープンする運びとなりました。
 このように、私はまず、行政の最高責任者としての町長の役割を踏まえた上で、決断すべきときには明確にその決断を示して、それに基づいて職員が一丸となって町民のために働き、町民から信頼される行政を構築してゆくこと、このことを第一に考え、実践して参りました。もとよりこれは、行政運営の基本となるものであり、職員の力を結集することができなければ、町民パワーを結集することもできません。今後とも、就任時の初心を忘れることなく、「町民のための役場」の構築を進めなければならないと考えております。
 次に、公約の中で実行できたこと、またできなかったことは何か、というご質問でございます。
 まず「暮らしを大切にする町づくり」につきましては、命の源である清浄な水を安定的に供給するため、老朽化が進んでいる浄水場の新設を実施するとともに、無水地区の解消に努め、町民生活の基本となるライフラインの整備に努めたところであります。また、環境対策としてゴミの減量化・有料化に踏み切り、地域の方々の大きなご協力を頂きながら、新たなルールによるゴミ処理の体制を整備したところであります。さらに、関係機関との連携によりまして、余市川内水排水対策の推進や特別養護老人ホームの増床など、町民生活に密着する施策を進めてきたところであります。
 次に「町内経済に元気を呼び起こすまちづくり」でございますが、私は余市町経済の活性化のためには、やはり基幹産業である農業・漁業の振興が核になると考えております。そのためにも、私が公約として掲げた「後継者の育成」が必要であり、この課題について関係機関と連携しながら、新規就業者を含めた担い手育成の取り組みを進めております。人材の育成につきましては、その効果が形になるまでには相応の年月が求められると思いますが、今後とも地道に息の長い取り組みを進め、産業振興の基盤を構築してゆくことが必要であると考えております。
 このほか、各産業と観光とを結びつける施策として、道の駅での「アイ・センター」の常設や地場産品販売スペースの提供、また町有地を活用した登市民農園の開設による都市と農村との交流の促進、更には町ホームページによる移住・定住の促進など、町内経済の活性化に向けての施策を推進して参りました。
 一方で、北海道内における景気の低迷や、台風や記録的豪雪などの災害が相次いだことにより、本町経済は依然として厳しい状況が続いていると認識しております。そのような中で、町をあげての要望活動が実り、北海道横断自動車道余市・小樽間の着手が決定したことは、将来に向けて町づくりの大きな核となるものであります。特に経済面において流通の促進により大きな効果が期待できることから、高速道路の完成に向けて、今から有効活用の方策を、町民の知恵を結集しながら考えていかなければならないと思います。
 次に「教育・文化・スポーツの環境を整えるまちづくり」でありますが、先ほど申し上げましたように、町民から強く要望されておりましたパークゴルフ場の建設を実現できたほか、地域と学校との連携やサークル活動の育成、また図書館の祝日開館など、教育委員会と連携しながら、利用者の立場に立った施設の整備・運営を進めてきたところでございます。こうした中で、一例でございますが、体育館において開催した町民向けの体力づくり教室をきっかけとして、「ストック・ウオーク」という中高年の健康づくりサークルが新たに生まれるなど、施策の効果が現れてきているところでございます。
 さらに、「町民パワーを活かす町づくり」におきましては、地域と行政のパイプ役として役場職員を区会に配置する、「地域連絡員制度の創設」をお約束しておりましたが、各区会のご理解を頂き、平成18年9月より実施をすることができました。地域と行政が手を携え力を合わせて町づくりを進めてゆくためにも、今後この制度の充実と活用を図ってゆくことが必要であると考えております。
 また、町づくりを進めるにあたっては、自らの足元を見つめ直し、町発展の礎(いしづえ)を築いた先人の足跡に学ぶことが必要と考え、広報誌において町の歩みを振り返る特集記事を連載しております。こうした取り組みについても、今後とも継続してゆく必要があると考えております。
 さて、町長就任以来今日まで実行してきた施策について申し上げて参りましたが、これは決して私一人の力で出来るものではなく、議員各位のご理解や関係機関のお力添え、そして町民の皆様の暖かいご支援とご協力を頂くことにより、職員が一丸となって知恵と力を結集し、実現が図られたものであると考えております。
さて一方で、現在取り組んでいる大きな課題もございます。その最優先課題としては、「三位一体の改革」による地方交付税の激減が地方財政を直撃する中で、現在財政危機を迎えている現実があり、行財政改革の推進による財政基盤の確立が、新たに重要な行政課題となりました。さらには、市町村合併や道からの権限移譲に対する対応など、町行政の枠組みに係る課題にも当面しております。
 既存施設の整備や各種団体への町からの支援についてなど、多くの要望が寄せられていることは私も承知をしております。しかしながら、厳しい財政事情の中で、新たな財政支出を伴う施策につきましては着手が困難な状況にあり、また様々な面で町民の皆様にご辛抱を願ったり負担増をお願いする、苦渋の決断をする場面もございました。
 このように、大変厳しい状況の中ではありますが、私は4年前に選挙公約としてお約束した施策につきましては、100%の実現をみていないものであっても、今後に向けてその布石は打ったと考えております。そして今、それらの布石を生かしてまちづくりにつなげてゆく、そういった大きな課題が残されていると考えます。さらに、将来にわたる安定したまちづくりに向けては、行財政改革を進めながら財政基盤を確立することが最も重要な課題となると思います。
 町長就任以来、私は「町民と共に歩む町政」を基本に、町民の皆様とのお約束を果たすため、職員一丸となって全力を尽くして参りました。一方この4年間を総括するとき、私が布石を打ちながらまだ十分に実を結んでいない施策や、高速道路の活用のように、今後町民の智恵を結集しながら大きく実を結ばせてゆかなければならない、そのような施策の推進が今後の課題として残されていると考えておりますので、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。


再質問
 町長、風邪はどうですか。体調もあると思いますので、簡潔に行いたいと思います。
 今年は選挙の年であり、任期は8月までであります。だとするならば、今後の課題もあるという事であれば、今年の8月に再度、町長として立候補するのか。という事を再度、質問致します。

上野町長答弁
 再出馬をしたい。まだ残されているものもある。平成19年から23年にかけて財政再建プランがあり、きちんとしたものにして後世に引き継ぎたい。


 町長の体調もあったので、あえて再々質問はしませんでした。また、私のこの質問の時だけ新聞社が取材に来ており、翌日7日の北海道新聞後志版にこの記事が掲載されました。


上野町長の入院?
 定例会の告示がされると、一般質問の受付も開始され、また、大筋の議会日程も決まります。そして、役場側では、提出された一般質問にたいする勉強会が開催されるようです。 一般質問は、単独の課に出される場合と、数課にまたがる場合があり、質問が提出されると、答弁書は各課で作成され、最終的には、この勉強会で答弁が合わされるそうです。
 私が一般質問をしたのは3月6日で、議会日程としては、最初に一般質問が行われ、また、提出の順番が本会議の発言順番となる事から、トップパッターで一般質問を行いました。
 さて、今年の冬は暖冬ということもあり、1カ月遅れでインフルエンザを含め風邪が流行しました。
 3月5日の情報として『町長は風邪で熱があって、勉強会も早めに切り上げて帰った』との事であり、自分の一般質問は、町長個人への質問であって、代理は利かない質問でした。
 「さぁて、困ったぞ。町長が休んだら、質問が出来ないなぁ」と考えていましたが、6日、朝の時点では『予定通り、開会』との事でしだか、やはり、風邪を引かれていた町長の体調もあまりよくないようで、また、3月議会は予算委員会もあり、長丁場ということもあって、先輩議員は『町長に“休め”と言ったのに』と話していました。

 さて、前掲のように、今回の定例会は議長が骨折のために欠席となり、副議長が議長席に座って、午前10時から開会。午前11時にはトイレタイムの休憩に入り、再開されました。
 元々、風邪で体調が思わしくなかった町長ですが、いつもより答弁書を読むのも時間がかかっていましたが、3番目の発言者の答弁をしている最中に、町長の様子がおかしくなって来ました。
 今まで、熱のせいで赤みをおびていた顔色が、急に青くなり答弁が滞るようになりました。
 議会中は、議長にすべての権限がありますが、議長席は演題の後ろにあるために、町長の様子が変わったことに気づかずにいましたが、異変に気がついて、町長の答弁中でしたが、『暫時休憩』が発せられ休憩となりました。
 町長は職員の手を借りて、自力で自席に戻り、さらに、大事を取って町長室に戻りましたが10分もしないで議場に戻って来ました。
 その間、休憩となりましたが、先輩議員の意見としては『3月は長いから、今、無理しなくても良いから、無理しないで休めばイィのに』との意見でした。
 過去の議会の中で、町長が風邪で休んだ時もあり、この時は、助役が代行して一般質問を実施した事があり、前例があれば、議会としても、前例にならって今後を進める。という事は、比較的、容易に受け入れられるものです。
 一旦、議場に戻った町長ですが、日程をこなす。という町長の意気込みは感じましたが、吉田豊議員と熊倉議員が町長に強く申し出て、結果として、町長はこれにて退席という事となり、以後の進行については、助役が代行して行われました。

 さて、12時となり、昼休みなったので、弁当を買いに庁舎の外に出た所、外から来た人に『町長、倒れて救急車で運ばれたんだって?』と聞かれました。
 「そんな事ないですよ。救急車なんて呼ばないし、自分で帰ったんじゃあないですか?」と話しましたが、議会再開後から昼休憩に入るまでの間に、役場に救急車が来たのではれば、当然、サイレンを鳴らして来るでしょが、サイレン音は聞いていませんし、また、役場職員に聞いてみましたが『救急車は呼んでいない』との事でした。

 町長の具合が悪くなってから再開までの時間は15分程度であり、また、再開後から正午までの議会時間は30分でした。どうして、このわずかの時間帯に、このような話になったのか。
 最終的には『上野町長は脳溢血で倒れた』という話まで発展したようで、さらに、この間違った情報が、どこから発信されたのかは分かりませんが、全町に一気に広がっていたようです。
 町長は単なる風邪であり、結果として7・8日の二日間議会を欠席しましたが、9日には登庁して、通常に議会をこなし、また、23日の定例会が終了するまで欠席はしておらず、いつも通りの様子で議会に臨み、また、答弁もしていました。

 今日、携帯電話があるので、簡単に外部との連絡は取れるでしょうが、歪曲した情報を流した者が庁舎内に間違いなくいた事。また、議長の骨折の件といい、意図的に悪意を持って流した事だけは確かなようです。


役場組織等が変わりました
 国の行政改革の一環として、また、余市町でも退職者の関係があり、4月1日より組織変えと名称変更がされます。
 今までは、町長の次に来る職責名称は“助役”でしたが、これからは“副町長”という名称に変わりました。
 
名称変換に伴い、看板も直されました。
 収入役については、余市町では前任者の後の任命はされていませんが、今までの制度としては、助役が収入役を兼務する事となっていました。国の制度改正もあり、新たに会計課を新設し会計課長が責任者となります。
 教育委員会では、いままで次長(8級職で部長待遇)制度を取っていました。また、教育委員会の課長は“級”でいえば7級職だったのですが、次長制度を廃止し、学校教育課長と社会教育課長を8級職としました。これにより、会計課を含め新たに3名の課長が議会出席の義務を有する事となりました。
 今まで役場の昼休みは、正午から午後1時まででしたが、これも制度改正によって、正午から12時45分までとなりました。
 
北後志衛生施設組合も今までのNo2の呼称は助役でしだか、副組合長に変わりました。
 役場職員の給料は“級”と“号俸”による一覧表があり、これに基づいて支給されています。今までは、1級から8級までとなっていましたが、国の給料体系の見直しに伴い1級から6級までに改定されました。これにより、役場全体としての人件費は、平均4.8%給料が下がる事となり、特に35歳以上の職員は軒並ダウンとなります。このため、経過措置として今回の減給と今後の昇給の関係で、現在の給料が保障される事となりました。なお、これによっての給与総額の概ねの削減額は約3000万円と試算されています。

 

豊丘小学校閉校
 明治34年3月に北海道庁から認可され、同年6月に民家を校舎として、大江村字下山道番外地に『下山道簡易教育場』として開校した豊丘小学校。
 昭和10年代には分教場や、昭和30年代には全校生徒200名近くもいた学校でしたが、少子化と過疎化の進行により、18年度の卒業生を送り出した後、在校生は10名を切る事と、また、入学予定者が不在という事もあり、106年という歴史に幕を閉じることとなりました。
 平成15年の選挙の後、私は総務文教委員会の所属となり(任期2年間)、その時の委員会の中で、入学生の見込みと在校生の関係により、すでに廃校の方針が打ち出されていました。ちなみに、平成17年度の入学式に議員として参加をさせて頂き挨拶もさせて頂きました。
 18年度は、閉校記念という事で、様々な記念行事が行われており、そのフィナーレとなる、卒業式と閉校式が行われました。
 いわゆる僻地校は、地元密着型の学校であり、地域の行事=学校の行事という事もあって、生徒数より、地域の方の出席が多く、また、その声に答えるべく、子供たちも本当に一生懸命で、参列者一同、涙・涙の式典となっていました。

☆第59回卒業式☆
 余市町の小学校は、僻地校も合わせて、全部で6校あるのですが、卒業式は、別々の日程であり、豊丘小学校は3月21日・水曜日・春分の日に行われました。

 午前10時からの開始でしたが、卒業証書授与の後、生徒全員による楽器演奏や合唱、さらには、お礼の言葉と、全部で1時間30分にも渡る卒業式でした。
 ですが、けっして“長い”とは感じない、正に子供たちが主役の卒業式でした。
 尚、卒業の期数としては、今回の卒業式は第59回となっていますが、幾度の制度の変更によるもので、以下の通りになっています。

 下山道簡易教育所(尋常科4学年)
卒業年と回数 
 明治35年・第1回〜明治41年・第7回
  ◎明治34年3月、民家を改築してスタート
  ◎明治35年6月、校舎増築

下山道小学校(尋常科6学年)
 明治42年・第8回(第1回)〜昭和7年・第31回(第24回)
  ◎明治41年4月、学制変更
  ◎大正15年4月、大江村から分離、余市町に編入

山道尋常小学校
 昭和8年・第32回(第25回)〜昭和16年・第40回(第32回)
  ◎昭和6年5月、名称変更
  ◎昭和6年8月、現在地に校舎移転
  ◎昭和8年から、在籍数100名台となり、昭和36年まで続く
  ◎昭和12年4月、町役場旧庁舎の下附により、運動場設置
  ◎昭和12年5月、住友鉱山に桜ヶ丘分教所新設
  ◎昭和13年、在籍生徒数199名で最大

山道国民学校(初等科6学年)
 昭和17年・第41回(第1回)〜昭和22年・第46回(第6回)
  ◎昭和16年4月、名称変更
  ◎昭和16年9月、40周年に合わせて、校旗・初代校歌(それまで校歌
          は無かった)・校章制定の他、校門新設、二宮尊徳銅像建設
  ◎昭和21年1月、二宮尊徳銅像代替石像除幕式(戦時中に物資として出された)

山道小学校
 昭和23年・第47回(第1回)〜昭和30年・第54回(第8回)
  ◎昭和22年4月、新学制により名称変更
  ◎昭和23年4月〜新校舎(現校舎)建設に着手
  ◎昭和24年1月、新校舎落成
  ◎昭和26年9月、50周年に合わせて、2代目校歌制定

豊丘小学校
 昭和31年・第55回(第9回)〜平成19年・第106回(第59回)
  ◎昭和30年9月、町名変更により名称変更
  ◎昭和33年11月、バス路線開通
  ◎昭和36年9月、校庭拡張整備完了、校旗・3代目校歌・校章制定
  ◎昭和43年7月、ビニールプール新設

 豊丘小学校としての卒業生番号は608号が最後でしたが、卒業生の総数としては1179名です。

☆閉校式☆
 閉校の期日としては、平成19年3月31日ですが、一足早く、3月24日・土曜日、午前10時から、豊丘小学校体育館において、閉校式が行われました。
 閉校式次第
・開式の辞
・黙  祷
・国歌斉唱
・閉校宣言
・学校長挨拶
・式  辞
・PTA会長挨拶
・感謝状贈呈ならびに謝辞
・電文披露
・児童発表
・校札返還
・校歌斉唱
・閉式の辞

 閉校式は教育委員長から『閉校宣言』が発せられ、学校長の挨拶は『赴任した時に、『最後の校長になるかもしれないよ』と言われて、そうなってしまった。』と複雑な心境を表されておられました。
 閉校という事で、学校周年行事と同じように、各団体や歴代関係者に各種の感謝状の贈呈がされた後、卒業したばかりの6年生も式典には参加して、豊丘小学校の歴史のスライドを交えて、発表していました。その中で2代目校歌の斉唱も行われました。
 式の最後の『校札返還』ですが、言葉だけでは「何を返すのか?」という事が判りませんでしたが、学校長から町長に手渡されたものが、ステージ上の演台に置かれて、初めてわかりました。学校の表札でした。そして、最後は校歌の大合唱で終了しました。
 歴史ある学校の閉校に際しては、新入学生が不在という現状があります。これは、どうにもならない事です。ですが、記憶に残る式典だった事は、間違いありませんでした。
 尚、現在の校舎は、地域とも話し合いのうえ、地域の福祉施設が譲り受ける事となっており、校舎としては今後も歴史を刻むことになっています。


ホームページアクセス8万件突破
 平成14年3月に開設してホームページ。正直、だれが見ているのかは分かりませんが、本年3月に、トップページのカウンター8万件を突破しました。
 単純に計算すると、一日、50件程度カウンターが動く事になりますが、あくまでもトップページを見た時にカウントされるもので、検索等により、どのページにも入れます。
 カウンターはあくまでも目安ですが、管理者としてアクセスレポートを見れば、以下の通りになっています。

一日最高アクセス者数  平成19年4月4日 688人
一日最高閲覧ページ数  平成19年4月4日 1392ページ
転送ファイル数     平成19年4月7日現在 約5600ファイル
転送容量        113.71MB

平成19年3月1日〜31日
 月間訪問者数   11047人(一日平均356人) 
 閲覧ページ総数  23663ページ(一日平均763ページ)
 平均閲覧時間   252秒

 
 光通信の普及、パソコン自体の処理能力の向上、そして各家庭のパソコン所持率も上がって来た事により、このようにアクセスが伸びていると感じています。
 私はブログ(日記)はやっていませんが、平均すると月に4〜6回更新はしていますが、どうしても、審議が終わったものが中心となってしまいます。
 審議経過や政策上程の背景等も掲載出来れば思っていますが、いかんせん、一人での作業という事もあります。
 私の言い分が議会の全てではないと思っていますので、他の議員もホームページや会報等で、その考えを示すことが、住民への周知と議会の活性化へと繋がると信じています。


私の履歴歴
※紙面の方には、このページも掲載していますが、今回、新たにプロフィールのページを更新しており、そこと同内容になっています。

                      ニュース第32号完

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