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町角ショット 平成20年9月19日UP
     ☆余市町青少年会館解体へ☆

 9月定例会において、浜中町にある『青少年会館』の解体費が550万円計上され、さらに昭和44年制定された『余市町青少年会館設置条例』の廃止が提案され、どちらも“可決”正式に解体される事となりました。
 解体される理由としては『老朽化が著しい』との事です。

国道からは正面を見たときには、樹木が覆ってしまい、よく分かりません・・・

 
                     玄関ホーチは半円形で作られています
玄関アーチの上には『余市郡漁業協同組合』の看板がかけられていたそうです
 
 玄関の上の飾り窓は半円形です。建設当時は、さぞモダンな形であったと言われたと想像しています。


 玄関ポーチは3方向がアーチ形となっており、角には彫刻が・・・うーん、どんな意味の彫刻だったんでしょうか?
 

 さて、この建物、関係者は知っている事でしようが・・・・解体されるという事もあって、少し、調べてみました。
 以下の文章は、昭和54年5月3日発行(非売品)の余市郡漁業組合『創立100周年記念誌』、59〜60ページを引用しました。

水産会館(事務所)の建設
 これまでの組合事務所は、明治30年代の建設で、当時は洋風を取り入れた斬新な建設であったが木造建設のため老朽化が著しい上に、組合の発展と共に職員数も増加して峡隘になったので大正15年猪股組合長は新築を計画し、その場所も余市町の位置する浜町53番地に定めた。
 この事務所は余市としては初めての本格的鉄筋コンクリート造りの永久建物で、地下一階地上二階一部三階建ての近代建築で、組合直営工事として着手した。
 当初工事予算1万7千円を計上したが、建築技術が低かったことと天候不順に災されて工期も長引き予算を超過して2万3千円で完成した。猪股組合長は、責任を負って不足分の寄附を申し出たが役員会では組合長にのみ負担させることは適当ではないとして、組合所有の落葉林を売却して之に充当した。
 この建物の完成は大正15年11月で、12月2日事務所を移転同月15日盛大に落成式を挙行し、この建物を「余市水産会館」と命令した。
 この会館は昭和41年まで、約40年間組合事務所として使用され、現事務所が新築移転されるに当り、余市町へ寄附され、今も余市町青少年会館として本町後継者教養の場としての役割を果たしている。
 尚、会館建設に当り猪股組合長が制定した組合のシンボルマークは会館の内外を飾っているが造形的優れた作品で余市郡魚業共同組合の栄光と繁栄を表わしており、現在も組合のマークとして使用されている。


玄関ホーチを横から見る

 
この時に漁組のマークが決められ、今も使われている?そうです。魚の形もしていますが、“余市”という漢字を変形させたそうです。・・・なんとなく、そう見えますよねぇ〜

 大正15年は昭和元年であり、80年を越えています。建設費としては、現在の価格に直すと・・・当時は、まだ“銭”の単位が使われており、また、比較するものによりますが、千倍〜一万倍という事になり、最低2300万円〜最高2億3000万円の範囲となります・・・・・

 この場所に建設した理由としては、本文にあるとおり『町の中間地点』とあり、この当時、この前にはガソリン機関車が走っていた事実もあり、余市町としても栄華を誇っていた時代であったといえます。尚、現在の住所は昭和30年代に住所変更が行われており、浜中189−1番地となっています。
 

 私は地域的にも、また、仕事柄としても、この建物の存在は、小さいころから知ってはいましたが、何の建物かは解りませんでした。
 外観は洋風であって、子供ながら、「なんで、こんな所に洋館があるのかなぁ?」と不思議に感じて・・・・洋館=怖いもの・・・・と感じていました。

 

 この件で調べた範囲から推測して、昭和44年から余市町のものとなって、青少年の活動の場所として使われた。室内運動に関する活動に使われていたようです。
 この時代は昭和が終わる頃まで使われていたようで、その後、一時、町の保管庫的にも使われていたようですが、老朽化が進んだことによって、完全閉鎖をされた。ということではないか・・・・と考えています。

 どちらにせよ、一つの時代の象徴が、一つ消えて行くことだけは確かです。
 
  
最上階にある“やぐら”?からは、建設当時、何が見えたんでしようか・・・
 尚、跡地については、『さら地にして今後検討する』との事でした。

 ちなみに・・・・条例廃止については、今回の定例会の中で、解体費の計上には賛成したのですか、条例廃止には、自分だけ
“反対”をしました。
・・・・・なぜって?色々ありますよ(;;)