過去の一般質問を見る
一般質問 平成29年12月4日UP
☆平成29年第4回(12月)定例会一般質問通告内容☆

 
 今年も残すところ、30日あまりとなりました。いよいよ根雪のシーズンという事となりましたが、やっぱり、天候的にはおかしい・・・と感じています。どちらにしても、早起きと朝からの仕事が増えるので、みなさん、体調管理には注意して行きましょう。

 さて、本年最後の定例会が告示されました。そして、一般質問の受付も始まり、今回も1番で提出して来ました。

 以下の質問ですが、今月号の『広報よいち』は区切りの800号で、トップページの写真は・・・11月に余市町の住民の方が、会津へ親善訪問した時の写真が掲載されていました。

 と、いう訳ではありませんが、今回の質問・・・スバリ、会津との件です。
戊辰戦争終結後、来年が150年という事で、会津では150年一色となっており、そして、今回、余市から行かれた方々も、感銘を受けて帰って来られたと推測しています。

 ちなみに、過日、会津若松市役所にお願いをして、ポスターを送って頂きました。2枚あって、うーん、並べて掲示しています。


 ポスターを見て、どう感じるでしょうか。プロが作ったものだとは思いますが、ガッコイィというか、引き付けるポスターですね。

 2問目は、過日開催した、私の議員報告会の中で、よせられせた意見をもとに一般質問を作成しました。
 この問題も、解決していかなければならない問題ですし、他の町村でやっている所も多いのですが・・・さて、余市町の見解は、どうでしょう。

 
  
会津若松市議会より、カキを送って頂きました。御馳走様です。

1.会津藩士、余市入植150年について
 1868年9月、会津鶴ケ城が開城し、戊辰戦争は実質的には終わりを告げ、元号も慶応から明治となり、近代日本がスタートしました。
 戊辰戦争で敗れた会津藩士の一団は、敗戦後、すぐに東京に送られ、その後、流罪的意味が込められ、蝦夷地に送られることとなり、移住に当たり、形だけの希望が取られたと言われております。
 明治2年8月には、蝦夷地から北海道と名称変更がされ、東京謹慎組の会津藩士の一団は、明治2年9月にオタルナイノブカハマに上陸、最終的には約200戸、800名余りが、北海道に移動したと記録されております。
 その後、紆余曲折があり、明治4年元旦に、当時の北海道長官であった、黒田清隆氏に対し、会津藩士団より、血判書である『御受書』が提出され、明治4年の雪解け時期に合わせて、現在のニッカ沼からJR余市駅前近辺、並びに山田町に入植。荒れ地を開墾し、リンゴ栽培に成功、余市町を漁業だけでなく、果樹の町として基礎を作った事は、歴史上の事実であります。
 さて、1868年から数え、来年は150年目の年となり、会津若松市では、全市を上げ戊辰150年という節目の年を様々な企画で迎えようとしているようです。
 余市町としては平成27年10月に、会津若松市と親善交流書が締結され、毎年9月に開催される「会津まつり」には、嶋町長、中井議長も出向き、その規模等は、町長、ご自身が理解されていると思いますが、150年に当たって過去最大規模の事業になるのではないかと推測しており、流れ的にも余市町において、なんらかの形で、150年の事業をしなければならないのではないかと考えます。
 会津藩士が北海道に上陸した時から数えれば、2019年が150年目に当たり、明治4年から数えれば2021年という事となりますが、余市町として、150年という節目の年は、いつと考え、この節目の年を、具体的にどのように考えておられるのか、町長としての見解を伺います。
 次に、11月10日から2泊3日で、余市町の有志の方が、会津若松市を訪問、会津若松市民との交流を深めて参りましたが、この時に、会津側参加者の方より「余市町の会津藩士の墓には案内図も無い。こちらで募金を集めて、看板設置に動いている」との意見を頂いたそうです。
 会津藩士の墓は、町営の美園墓地にあり、墓地となった経過としては会津関係者の方が埋葬されたのが始まりで、明治30年代に入り町営墓地として指定され、以後、会津とは関係の無い方も埋葬されるようになっております。
 しかしながら、近年、会津との関係が深まる中、会津関係者の方が余市町を訪れた場合、会津藩士の墓は必ずと言っていいほど、参拝する場所であり、役場側で押さえている以上の方が訪れていると推測しております。そのような背景の中で、案内板設置の希望があるのであれば、余市町として、今後、どう対応されて行くのか、町長の見解を伺います。

2.冬期間の公共交通の在り方について
 先日、中央バス協会病院線沿線の方から、協会病院線の要望を受けました。内容としては「以前より減便され、利用しづらくなったが、雪が降る季節となり、今以上に減便がされてしまった。夏場は自転車等もあるので、なんとかなったが、冬場はバスが頼りで、なんとかならないのか」というものでした。
 議会では、毎年、10月、または11月の臨時会において、中央バスへの協会病院線の運営赤字補填の補正予算が提案されており、総体の収支としては、減便による経費削減によって、改善している事は質疑の中で理解していましたが、一方、理事者側からは『利用増となるように、地域との話し合いも進めて行く』との答弁もされております。
 さて、協会病院線に限らず、バス路線の維持拡大、並びに住民の足の確保という問題については、常に出されている問題でありますが、10年程前と比較して社会的背景が変わって来ている現状があります。
 特に社会全体が高齢化となり、運転免許証の返納について、検討しなければならない方も多数となり、高齢なるが故、車を手放すかどうかの、決断をしなければならない事も、その背景の一つとなっております。
 既存のバス路線については、縮小または、減便の方向にあると見ておりますが、余市町としても、新たな路線開拓という意味において、中央バスに依頼をして、平成14年9月にJR余市駅から美園・山田を経由して協会病院に向かう路線のテスト運行がされましたが、結果として、朝の一便を除いて、日中の利用者数は一桁であった事から、1カ月ほどで中止となりました。
 また、バス運行とは違いますが、平成12年頃から数年間、公衆浴場に対する入浴者の送迎の実証実験もした経過がありましたが、結果としては、特定の方のみの利用という事と、運行側の事由に
よって中止となってしまいました。
 山田・美園のテスト運行時から、時代背景も変わり、また、住民の足となる手立ても無くなりつつある中で、これは、町中、周辺地域という枠組みでは無く、すべての住民の足の確保という面で、単に『事業者との相談』という事ではない、町独自の考え方と方針を伺います。


 定例会は14日から開催予定ですが、一般質問は、どのタイミングで議題となるのかは、現時点では、未定です。
 どちらにせよ、本会議は午前10時から開会ですので、議会傍聴にお越し下さい。