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一般質問 平成28年6月10日UP
☆平成28年第2回(6月)定例会一般質問通告内容☆

 行政的には、6月は、さほど忙しい時期ではありません。
ですが・・・余市町としては、なにかしら、忙しく、そして、私としても、なんだかんだと・・・忙しいです。

 忙しい最大の理由は・・・余市神社例大祭のお手伝い。という事で、ここ数年、その役目を預かっていますが、神事の進行司会をやっています。
 例大祭、つまり、お祭りですが、本殿で行われる神事の他に、神様がお神輿に乗って町内各所を回る・・・そして、その場所、場所によって、神事を行う。という事で、その進行をやっています。
 
 まぁ、そんな訳で、進行次第の作成、また、呼び出す方の氏名の確認と・・・けっこう面倒です。
 司会といっても、3日間で23回をやらないとダメだし、おまけに大半が野外で実施・・・という事で、それなりに大きな声でなければ、聞こえない〜という事で・・・さぁて、年齢とともに、喉も弱くなって来ているし・・はたして、声が持つかなぁ・・・

 さて、さて、本日、定例会が告示となりましたが、今日は、10日という事で、神輿のルートとしては、神社を出発して、港線→国道229号→浜中町→運上家→大川橋→国道5号→北海信金本店前→農協会館→国道5号→余市駅→ニッカ工場内→二手に別れて、黒川町と大川町の町中・・・
 というルートでした。
 で、この間に、行列をチョット抜けて、役場まで行って、提出して来ましたぁ〜


 提出順番は、1番でしたので、おそらく・・・・一般質問の1番で出来ると思っています。

 提出した内容は、以下の通りですが、これに関連して「これも聞いてほしい」という事項がございましたら、メールにてご連絡下さい。

 ・・・・正直、ヤッパリ、タイヘンですわぁwwww
 


1.町内の高校について
 過日、私立北星高校の存続について、新聞報道がされました。報道上では、本年の新入生徒数が90名に満たない場合は閉校する。との事で、最終的には、本年度は新入生60名が入学。当初の目標数は満たさなかったものの、先日開催された北星学園理事会では、閉校の決定には至らず、再度、理事会で協議がされる。との事でありました。
 さて、町内には、高校としては、道立の紅志高校もありますが、紅志高校は、平成22年に新設された高校であって、初めて新入生を迎える時は、4クラスの編成がされていたと記憶しておりますが、以後、定員を満たすこと無く、本年度の募集数は2クラス80名となっておりました。
 実際に何名の生徒が入学したのかは、わかりませんが、元々、総合学科としてスタートしている事から、一定程度のクラス数が確保出来なければ、当然、教員配置も出来なくなるのではないかと推測され、結果として、総合学科として機能しなくなるのではないかと、考えております。
 どちらにせよ、人口2万の町に、将来的に高校が無くなる可能性もけっして否定出来ない状況になっているのではないかと考えており、以下、質問致します。

1)北星高校について
・現時点で余市町は北星高校に対し、学校・外郭団体を含め、どのような助成等の支援を行っているのか。
・現在の1〜3年生のそれぞれの生徒数は何名なのか。うち、それぞれの学年で町内出身者の生徒は何名いるのか。
・余市町として、北星高校存続に、どのような働きかけをして来たのか。
・今後予定されている北星学園の理事会に向けて、余市町としては、どのような行動をするのか。
・町内で存続を求めている団体等は、なんらかのアクションを起こす予定はあるのか。

2)紅志高校について
・現時点で余市町は紅志高校に対し、学校・外郭団体を含め、どのような助成等の支援を行っているのか。
・現在の1〜3年生のそれぞれの生徒数は何名なのか。うち、それぞれの学年で町内出身者の生徒は何名いるのか。
・志願者数の減少によって、間口削減が行われていますが、削減になる時は、後志教育局から余市町に対して、何か連絡等があったのか。
・将来的にどうなるのか。特に、総合学科という事では、生徒が希望するコース選択が出来なくなる事も推測されますが、この点について、余市町として、後志教育局に対し、何らかの行動を起こした経過はあるのか。



2.美園墓地の通路整備について
 余市町の公営墓地の歴史としては、明治33年に余市町が一級町村となり、明治33年には町営の火葬場と共同墓地の記述があります。(昭和44年、余市町史編さん審議委員会が発行した「年表余市少史」より)
 この美園の町営墓地は、歴史的にも古いのですが、この地に人が埋葬されだしたのは、会津藩入植者が明治4年以後、黒川・山田村の開墾を初めて間もなくから、使用し始めたのではないか。当然、この頃は、この地域は未墾の地であった事から、いわば、早い物勝ちで、墓地として、勝手に埋葬して行ったのではないか。と推測されます。
 つまり、現在のように墓地の区画をした訳でもなく、そして、埋葬者の増加に伴い、必然的に拡張されていったものではないのか。そして明治33年以後に、町営となったものの、基本的には、同じような考え方の元、運営がされて行ったのではないか。とも推測されます。
 そのために、美園墓地は、墓石を縫うように、通路が通っており、それが現在も続いており、その都度、余市町としても、通路等の整備をしている事は理解しております。
 元々、それなりの勾配のある斜面に通路がある事、また、墓石の修理のために、工作機械が入る頻度も多く、また、参拝の方も、少なくない事から、町が土留め工事等をしても、数年で壊れてしまうケースも少なくなく、階段状の形状が崩れて、また、雨によって土砂が流されてしまい、滑って転倒の恐れのある箇所も、多数、見られるようになりました。
 そして、昨年から、マッサンブームと、それに続く、会津若松市との交流締結もあいまって、本来の墓石所有者以外の方が、通年でこの美園墓地を訪れる方も増えているのが現状となっております。
 美園墓地を訪れる方の安全確保と整備は、余市町として行っていかなければならない事項だと考えておりますが、町長の考え方をお聞き致します。