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一般質問 平成27年9月9日UP
☆平成27年第3回(9月)定例会一般質問通告内容☆

 改選後、初めとなる9月定例会が告示され、一般質問の受付も開始されました。
 今回の選挙では、新人議員が当選した事もあって、初の一般質問を提出する議員がいるのか。という事を注目しています。

 平成11年9月、自分も初めての定例会において、1番で一般質問を提出し、1番で実施しました。緊張の中、正直、何をやってたのかは、よく覚えておりませんでしだが、とにかく、「やった」という実績だけを残したく、実施した覚えが記憶があります。
 この時、新人で初議会の一般質問を1番でやった議員は、過去においていたのかどうなのか。という点では、よくわからない。少なくとも、議員歴の長かった安宅議員に聞いた事があって『新人で1番でやったのは、過去にいなかったのではないか』と聞いていました。
 とにかく、新人で1番で提出したのは、知る範囲の中では、自分だけであり、実は、毎回の選挙の後、「新人で1番提出はいるのかなぁ?」という事をひそかに注目していました。
 結果、15年、19年、23年、また26年とおりませんでした。
・・・そして、今回はどうなのか・・・・定例会が始まり、一般質問が開始され、それが判るだろう。と考えています。

 定例会は15日に告示となっておりますので、議会傍聴にお運び頂きたいと思います。開始時間は午前10時からです。


 さて、今回の定例会には、以下の一般質問を、自分は提出しております。
 質問1の「余市町における食育推進基本計画の策定について」ては、医療費関係の増加を抑えるためには、子どもの時からの食育教育が大切。という事で、提出しました。
 質問2の「会津若松市との交流と提携について」は、マッサンの関係もあるのでしょうが、福島県から訪れる方も、本当に増えている。そして、福島県の方は、単にマッサンブームだけではなく、余市町農業を開拓したのが会津藩関係者。という事で、その想い。というのがまったく違います。
 知る人は知っていますが、余市町内にも、会津関係の石碑や記念樹も多数あり、町長も今回のマッサンの関係で、会津の地を訪問している。とい関係もあることから、今後、どう交流を図って行くのか。という事の質問です。
 以下、提出したその全文ですが、お気づきの点や、これらの事項に関連して『関連して、○○という質問もしてほしい』という方は、ご連絡下さい。



1.余市町における食育推進基本計画の策定について
 食育基本法は、平成17年6月に施行され、以後、改定が繰り返されております。この法律の施行に当たっては、「子供たちの健全な心と身体を培い、未来や国際社会に向かって羽ばたくことができるようにするとともに、すべての国民が心身の健康を確保し、生涯にわたって生き生きと暮らすことができるようにする事が大切である。子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていくためには、何よりも「食」が重要である。」との前文が明記されております。
 この背景には、子どもたちの健やかな成育があると共に、増え続ける医療費をどう抑制して行くのか。という事があり、余市町でも、医療関係に関する公費支出は、増えることはあっても、当分の間は減ることは無いのではないかと考えおります。
 さて、この食育基本法では、第18条において、「当該市町村の区域内における食育の推進に関する施策についての計画を作成するように努めなければならない」とあり、第2項においては「市町村食育推進会議の設置」とこの会議により「市町村食育推進計画を作成し」と書かれております。
 以上により、余市町としては、食育基本法に基づく、推進計画書の策定と推進会議については、どのように考えておられるのか。また、今後、どのように取り組まれているのか。



2.会津若松市との交流と提携について
 昨年からNHKで放映された、朝の連続ドラマ小説「マッサン」は、大好評により本年3月28日に最終回を迎えました。
 このドラマによって、余市町を訪れる方、特にニッカ工場見学の方は、前年対比で二倍とも三倍とも言われており、余市町としても全国に名をはせるまでになりました。
 ドラマのストーリーとしては歴史上の事実に基づいたフィクションでしたが、余市でのウイスキーの製造出荷に至る過程の中で、リンゴを使った製品でウイスキー出荷までの間を乗り切った事は事実であり、そのリンゴを余市町で栽培して、リンゴの地位を築いたのは、明治4年に余市町に入植した旧会津藩士の方々であった事は間違いの無い、事実であり、現在のニッカ工場正門横から余市駅、さらには、黒川15丁目・16丁目近辺までは、会津藩の方が開墾した場所でもあります。
 それらの過程があり、福島県会津若松市との関係は深く、今回の「マッサン」の放送に当たっても、ドラマ放送中に福島県内でも、多くの雑誌類が発行され、ドラマ最終日には、福島県内の新聞には、全面広告を出して、余市との関係をアピールをしておりました。
 さて、余市町と会津若松市との関係は、それなりに古い時代から町内では知られており、行政的な関係も深く、明治33年の一級町村の施行に当たり、初代の収入役や1級議員、2級議員が会津藩入植者の方であった事。また、昭和11年に役場庁舎の新築に当たり、現在の役場正面駐車場内にある、オンコの木が、会津入植者の関係者から移植されるなど、少なからず縁があったのでしょうが、昭和45年頃に、余市町の町史編纂のために、会津若松市を訪れた際、相手側には余市町への入植者の公式記録が残っていなかった事も判明致しました。
 そして、昭和46年に小柄町長が就任するに至り、役場庁舎前のオンコの木を現在の形にして永久保存し、また、会津若松市との交流調印の話しも進んだようですが、結果として、調印には至らなかったと聞き及んでおります。
 調印には至らなかったものの、その後も交流は続き、昭和50年代末には、当時の福島県知事であった、松平勇雄氏が余市町を訪問し、町内で植樹をして帰られましたが、この知事は、幕末の会津藩主であった松平容保公の直系の子孫でありました。
 その後も、行政的にも、また、民間的にも交流が続き、会津若松市内の「あいづ総合運動公園」に余市町の名前が入った記念樹と解説文章が掲示されている。また、現在行われている『余市町未来を担う人づくり寄付条例』に基づいた事業の実施に当たっては、最初の事業として、小中学生の派遣を、会津若松市に送った事も、記憶に新しいものです。
 そして、「マッサン」の放送に至り、その関係もあると思われますが、町長はマッサン縁の地として、広島県竹原市や福島県会津若松市を表敬訪問をされており、本年5月にも、会津若松市長との面会をされていると聞き及んでおります。
 以上の事により、町長は福島県会津若松市との交流については、今後、どのように考えておられるのか。
 また、過日、奈良県五條市との交流都市提携の調印が結ばれましたとの行政報告がありましたが、仮に交流する事が両者の間で整った場合、会津若松市との調印等は、どのように考えておられるのか。