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参加報告 平成28年10月3日UP
   ☆会津若松市民親善団来町☆

 江戸から明治に変わる時代、会津戦争に敗れた会津藩士の一団は、会津→東京→小樽と移動して、最終的には、明治4年に余市町に入植。駅前近辺から山田町にかけて、荒地を開墾し、明治12年、日本における民間で初となる西洋リンゴの栽培に成功しました。
 そして、余市町は、漁業と果樹栽培を基幹産業として、発展して来ました。
 「マッサン」で一躍有名になった余市町と、会津藩士の開拓団。その歴史は、古くから知られていますが、公になってきたのは昭和30年代に入ってからでした。


先月末に会派会議を開催した時に、近藤議員が「会津一行の歓迎の意味を含めて、自費で幟を作製する」との事でした。で、自分もこの話に乗る事として・・・余市町内の事業所に発注していたので、電話をして注文をしました。
 
 幟は9月末に完成。さっそく、幟を立てたのですが・・・最初、温泉前にしたのですが、うーん、やっぱり、緋の衣の前だよねぇ・・と考えなおして、移動させました。 

 元々、それなりの交流があり、当家には、年間、数組の会津関係者は訪れていたのですが、「マッサン」の放送によって、より、会津と余市の繋がりが見直されて、昨年、会津若松市と余市町の交流親善都市の締結となりました。
 そして、今年の夏には会津若松市の中学生が公式に余市町を訪問、そして、この度、会津市民の方が、余市町を訪問する事となりました。

 さて、今回の会津若松市での募集方法としては、元々、会津若松市では、縁のある自治体と交流親善をしているようで、以下の表題で募集がされたそうです。

 第17回 会津若松市民親善交流推進事業 余市町と交流親善都市締結
北海道新幹線で行く 会津藩ゆかりの北海道余市町の旅
 募集定員70名。10月1日〜3日 大人お1人様税込み95700円 
  問い合わせ事務局
 会津若松市民親善交流推進実行委員会 会津まつり協会


 一行は予定通りに10月1日の早朝、会津若松市を出発。1日は、函館市内に宿泊して、会津藩ゆかりの地を訪問。2日の午後に、余市町に入って来ました。
 一行の中には、会津若松市の市長、議長、副議長も同行されており、公務の関係で、室井市長と目黒議長は一行と分かれ、別行動で、会津藩士の墓の参拝。また、当家の緋の衣の見学を先にされました。

最終的に幟は、余市町も含めて、数本ずつ作成して、それぞれが作成したところの団体名等を入れましたが、自分の所は、「吉田農園」ではなく、「緋の衣のふるさと」と入れました。
 
 
ちなみに・・・会津藩士の墓は、仏式ではなく、神式という事で・・・線香を供えるのではなく、二礼二拍手です。

 今回の旅行には、会津若松市から、福島民報社と福島民友新聞の2社の記者も同行しており、行く先々で、新聞用の写真撮影がされました。

 次に吉田農園の緋の衣の原木の見学で、自分の父親も一緒に写っていました。ちなみに、会津若松市の公園内の看板の中に、「吉田初美氏より、緋の衣の苗木を頂き・・・」と掲載してあるそうです。ちなみに、緋の衣の苗木を渡した時の市長は、現衆議院議員の管家一郎衆議院議員で、今は、室井市長となっていて、室井市長とは初顔合わせ。となりました。
 
 一行の宿泊先は、水明閣、あゆ見荘、サンアートと3か所に別れ、水明閣では、余市町市民との交流会が開催されました。

 そして、会津若松市より、目黒議長、清川副議長も来町された。という事で、余市町の議員との対面式が行われました。
 
 対面式の会場には、それぞれの町旗が飾られました。そして、この席は余市町の議員会が主催したので、議員会会長である、吉田豊議員から歓迎の挨拶がされました。

 
 その後、目黒議長、清川副議長と、挨拶を頂きました。

 午後6時から、市民団の方、余市町関係者として、各団体の長、議員、福島県人会の人ら、150名余りで交流会です。

 
 会津若松市民親善訪問団長の小林氏による訪問挨拶があり、その後、室井会津若松市長の挨拶がされました。

 室井市長の挨拶の中で・・・「旅行募集をしたところ、7分で完売となってしまった。キャンセル待ちも沢山いたが、余市町内での宿泊が90名と限定されていることから、この人数で打ち切った」との事でした。1人、10万円、ご夫婦で参加された方は20万円と、けっして安くない旅行代金だと思いますが・・・それだけ、会津市民の方の余市町に対する想いは、強かった。という事だと考えます。

 
 嶋町長の挨拶の後、記念品の交換。そして、握手の写真撮影となりましたが・・・新聞社の方のリクエストという事でしたぁ〜

 

 会津若松市議会の目黒議長の乾杯の発声で懇親会のスタートでした。目黒議長は「会津では乾杯条例があって、地酒で乾杯。という事となってます。本日は余市の地酒である、ニッカウィスキーで乾杯します」との事でした。
 
  会津若松市より頂いた記念品は会津塗と赤べこでした。
 
 余市町からのアトラクションとして、北海ソーラン太鼓でしたが、今日の演奏は、気合が入っていた・・と感じました。そして、懇親会のラストは、会津磐梯山の踊りと歌で、終了となりました。


 さて、日付変わって、10月3日、市民団の方が余市町内の見学という事で、「緋の衣の原木」「会津藩士の墓」の参拝。「水産博物館」と「福原漁場」の見学です。
 バス2台という事で、会津藩士の墓は、墓地という事で、一度の見学は不可能で、2班に分けての見学です。
 つまり、同じことを2回説明しなければならない。また、一度に40名という事は、それなりに大きな声で説明しなければならない・・・で、考えました。
 
 失礼とは思いましたが、箱の上に乗って、拡声器を使っての説明でしたが、一回、15分程度の説明ですが、大きな声を、連続しての声出しでしたので・・・すっかり、汗だく〜でした。
 
 今回のメンバーの中には、会津若松市内で、当家の緋の衣の枝から接ぎ木をして、現在、成木となった緋の衣を栽培している農家の方も参加されていました。ちなみに、平成りんごの会のメンバーで、平成10年に苗木を移動した時のメンバーの方もおり、父としては10年ぶりの再会となったようです。

 次に水産博物館に移動して・・・
 
 ここでは、会津藩士入植当時の資料が展示してある事から、自分も説明員としては、参加して・・・メンバーを入れ替えて、3回、説明をしました。ノド、カラカラですわぁwwww

 その後、福原漁場に移動しましたが、自分は、この場で、お見送りをして、別れました。みなさん、ありがとうございました。


 
 さて、町中には、歓迎幟が数か所に立っていました。みどりやさん、観光協会さん、そして、写真は無いですが、余市町のもありました。

 満足に歓迎出来たのかは、よく、分かりませんが、正直に言えば、人数が多かったので、十分なガイドは出来なかった。と考えています。
 会津関係の方は、連絡を頂ければ、町内ガイドをしますので、ご連絡下さい。

 会津若松市、御一行様、ありがとうございました。