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参加報告 平成27年9月3日UP
    ☆明治神社例大祭と安保法案講演会☆

 今年は戦後70年という事で、安部首相の総理談話の話題、さらには、現在国会で審議中の安保法案の件における、国会前のデモ行進の様子の報道等、何かと、戦争と平和が論じられる年だと感じています。

 さて、現時点での安倍政権の目玉というか、国会内では、いわゆる安保法案が成立するのは既成事実なのでしょうが『いつ可決するのか』が注目されています。
 これとは逆に、国会周辺を含めて、各地で、この安保法案に反対のデモ行進や反対集会が開催されており、最近では、自民党内部や長老議員からも、『反対』の声が出ています。
 『反対』の内訳としては、憲法解釈の仕方、さらには、日本をとりまく国際情勢もあって、様々な言い分があるのでしょうが、反対する側の意見としては、『違憲』と『戦争に巻き込まれる』の二つに別れるのであろうと、考えています。
 ちなみに、余市町内でも、8月30日・日曜日には、この関係でデモなのかパレードなのかは分かりませんが、自分は、この8月30日には参加しませんでしたが、参加者は200名くらい。と聞いています。


 今日は午後から雨が強く・・・・天候もあったと思われますが、年々、明治神社の例大祭も、参加者が少なくなって来ています。   

 そんな中、町議選挙が終了した後に、知人の方から『安倍政権の安保法案に反対する集会を超党派で行いたいので、協力してほしい』との話がありました。
 今回の講師の方は、憲法学者という事で、講師の方は、当然でしょうが、『安保法案反対』であって、自分としては、その意見を聞く。という事も大切な事だと考え、お手伝いをする事にしました。
 結果として、9月1日・2日と、自分の車で、午前中の2時間、町中を街宣して回っていましたが、お耳に届きましたか?


 さて、それは別に、毎年、9月2日は、明治神社の例大祭です。
 過去の自分のホームページにあるように、明治神社は、明治天皇の崩御により、建立された神社であり、実質的に創立者は、陸軍軍医・山岸禮三中佐です。
 昭和20年までは、まさに、この神社から兵隊さんが出ていった場所だと思っています。


 
雨ということで、神社社務所の中で山岸禮三翁碑前祭は行われました。 


         
 陸軍軍医・山岸禮三中佐

 そして、戦後は戦死者を奉る神社として存在し、現在680柱の戦死者が合祀されており、余市町殉国遺族会の石碑もあります。

 まずは4時30分から山岸禮三翁碑前祭 その後、余市町殉国遺族会碑前祭となりますが、今日はあいにくの雨。という事で、山岸禮三翁碑前祭は神社社務所内で行われ、その後、本殿に移動して余市町殉国遺族会碑前祭が執り行われました。
 
        
本殿で行われた、余市町殉国遺族会碑前祭
 ちなみに、午後6時から、明治神社宵宮祭でしたが、自分は、商工会議所の方に移動のため、5時半には、明治神社をあとにしました。



 さて、本日の商工会議所での集会は『憲法と安保法案を考える余市町集会』で、主催は同名の実行委員会。後援は後志平和運動フォーラムでした。
 時間は午後6時30分から、午後8時まで、主催者挨拶やら質疑応答を除いた、講演時間は1時間。講師は室蘭工業大学大学院・清末准教授でした。
  
 参加者としては150名ほどで、開会時間には、まだ雨がけっこう強く降っていましたが、会場はほぼ満席状態。この手の会合では、多かったと思っています。

 話す内容としては、憲法の解釈と安保法案がいかにして違憲なのか。という点に力点がおかれていたと感じましたが、参加者は総じて、安倍政権に反対の方が多かったように見受けました。

 講演としては、分かりやすく、また、どこが問題点なのか。という事を歴史上における、過去の事例を含めながらの講演でしたので、大変、勉強になったと感じています。

 


 さてさて、たまたま9月2日という同じ日に、『戦争』に関連する行事がありましたが、非常に難しい問題と感じています。

 江戸幕府から明治新政府となって、国家の生き残りをかけて戦った、明治・大正・昭和20年までの時代。そして、戦後から70年という事で、どちらも同じくらいの年月が経過しました。

 その中で、何か正しく、何が間違っていたのか。また、その歴史という事も、正しく、教育がされて来たのか。
 また、警察予備隊から自衛隊という組織に変化をさせて来た過程と、自衛隊は違憲なのか合憲なのかという問題については、一切、ふれずに来た事が、今、吹き出していると考えています。

 現時点でもそうでしょうが、好むと好まざると、戦地に行けば、戦いになるでしょうし、『戦死』という事が想定されますが、戦死者は、どう扱われるのでしょうか。
 戦前は『靖国(神社)で会おう』が合言葉だったのでしょうが、今は、どうなるのか。また、昔は戦死された方の家は『誉の家』という看板がもらえたはずです。

 戦死した場合の個人への保証は?その家庭への保証は?また、隣近所は、それらの方々に、どのようにして接すれば良いのか・・・・

 

 たまたま、海に囲まれて、この国に住む人は、単一の言語、つまり日本語を話す。という事で、それなりの独立をしているだけに過ぎない。
 これが陸続きの国であり、言語が違えば、間違いなく、紛争が起こることは、はっきりしています。

 どちらにしても、難しい問題であって、まだまだ議論をする余地か残されていると感じています。

 そんな、9月2日の行事でした。

権門上に傲れども 国を憂うる誠なし 財閥富を誇れども 社稷を思う心なし  
※『昭和維新の歌』2番より