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参加報告 平成26年9月4日UP
      ☆明治神社例大祭☆


 毎年、同じような写真と解説になってしまいますが・・・
 9月に入り、秋祭りの季節となり、各地で地元神社のお祭。が開催されています。
 町内には、それぞれの神社があり、それなりのお祭を開催しているのでしょうが、社務所を備えた神社というのは、町内には、余市神社と、三吉神社と、この明治神社の3箇所しかありません。
 地域の神社は、地域の氏神様を祭っているのが多いようで、作物の豊作を祈願して、建てられているのが、主になっていると考えています。

 

 そんな中で、明治神社は、明治天皇と明治以降の戦死者をお祀りしているということで、地域限定の護国神社として存在しています。
 明治天皇が崩御され、その翌年に、この明治神社は建立されており、明治天皇を御神体としている神社は、全国で3箇所だけだそうで、日本で一番早く建立された神社だそうです。

 
 ある程度の年配の方ならば、この石段は登った事があるのでしょうが・・・例大祭に合わせて、草刈もされてしましたが、ホントに大変な石段です。ちなみに、車は脇の道を上がりますが、ここも急坂です〜

 
まずは、山岸禮三翁碑前祭という事で、一同、玉串となりますが・・・いゃ〜、蚊が多くて、蚊取り線香をつけていますが、ブンブンですわぁ〜

 
次に余市町殉国遺族会碑前祭と進みますが、司会者はそれぞれによって変わります。
 
 遺族会からの追悼の言葉が述べられ、祝詞、玉串と進んで終了です。
 

 今年の日程としては・・・
   9月2日 午後4時30分 〜
              山岸禮三翁碑前祭
        午後5時〜 余市町殉国遺族会碑前祭
        午後6時〜 宵宮祭
     3日 午前10時〜本 祭

 この神社は、軍医 山岸禮三 中佐が音頭をとり、地元の方と共に建立された経過を考えれば、山岸中佐自身が、明治天皇と、なんらかの関係が強かった・・・のかもしれません。

 
 
最後は本殿にて、明治神社例大祭の宵宮ですが、まぁ、祝詞と玉串、そして、この神社のみでしょうが、追悼の歌が流されます。

 昭和20年までは、軍国日本でしたでしょうし、また、余市駅から、当時の街の繁華街であった、沢地域に向かうには、この神社下の道路というか、大川橋しか無かった事により、多くの人が往来するメイン通りであったと推測されます。
 当然でしょうが、出征兵士や退役軍人も多かった時代は、それだけでも、かなりの人が訪れた神社であったと推測出来ます。

 
 玉串を終えて、まだ、明るいうちに帰って来ましたが・・・この石段を真っ暗の中、下って来るのは、危ないですね。ちなみに、鳥居の提灯には明かりが灯りました。

 昭和20年代から30年代前半頃までは、『明治神社のお祭の時は、鳥居下の道路沿いに、多数の露天商が出店して、三吉神社より、多くの人が訪れて、おおいに賑わっていた』と話される出席者の方もおりました。

日付変わって、3日の御本祭です。
 
 
 一般的に神社は年数が経過すれば、近隣の神社を合祀して行くのですが、この明治神社は、明治天皇と戦死者のみ、となっているそうで、当然ですが、いわゆる遺族も本当に高齢化をしていますし、また、この神社の石段を登るには・・・・それは、厳しいでしょうね。

 
昨日は20名チョットの参拝者がいましたが、今日は半分です。この人数で、準備をして、また、片付けをする。という事は、本当に大変な事でしょうねぇ・・・
 

 日本で一番早く明治天皇をお祀りして、神社として100年を迎えましたが、戦死者を合祀したのは昭和22年という事で、あと数年で70年という事になります。
 戦争遺族も直接の関係者は、極めて少なくなる中、3年後、この神社というより、余市町が毎年実施している招魂もどうするのか。という事が行政的に課題になって来るのではないか。と考えています。

 ただ、今の政治と現在の政権、さらには、軍事力を行使した戦いと憲法という問題も含め、これから先に、再び合祀される方があるとするならば、これは、憂慮すべき問題です。
 どちらにしても、非常に難しい問題であって、その議論が本当に必要な時となったと感じています。