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参加報告 平成25年9月5日UP
     ☆明治神社鎮座百年祭☆

 昨年、例大祭に行って、色々と見せて頂きました。
 この神社の由来というか、建立された経過は明治天皇が崩御されたことにより設立され、そして、今年が100年目となりました。
 今年も案内が来たのもあり、例大祭に行ってみました。

 

 今年の日程としては・・・
   9月2日 午後4時30分 〜
              山岸禮三翁碑前祭
        午後5時〜 余市町殉国遺族会碑前祭
        午後6時〜 宵宮祭
     3日 午前10時〜
              本 祭
              鎮座百年祭・明治天皇御創祀百年祭


 
 国道から本殿までに至る石段は150段があり・・・・上がるのが大変です〜
 石段の途中には、折れた石碑が・・・『大東亜建設記念』と書かれてあります。日付は昭和17年12月8日という事で、前年同月、アメリカとの戦争が始まった、いわゆる真珠湾攻撃の日であり、これを記念し作成。17年の同日に除幕したのだろうと推測します。う〜ん歴史だよねぇ・・・

 
 いゃ〜150段の石段は途中、3回ほど休憩にしないと・・・上がってこれないですが・・・
 今ではないですが、20〜30年程前までは、この石段をクラブ活動の練習場所にしていた学校も・・・まぁ、東中学校が多かったとは思いますが、ここを駆け上った記憶がある方もいると思っています。
 
神社設立は大正2年であり、この当時というか、余市町としては、現在の大川橋は明治時代からあったのでしょうが、余市橋は、ある程度年数が経過してからの建設であった。つまり、駅から沢へ向うには、大川橋しか無く、この神社は大川橋のたもとにあるために、当時、行き交う方は、かならず前を通った・・・そして、当時の世情からして、この神社は多いに賑わっていたと推測されます。
 ・・・今は、ひっそとして、訪れる方も少ないのですが・・・・偶然ですが、神事をしている最中に、階段を登って来て・・・参拝して帰る女性の方がおりました。何を祈願したのかは知る由もありませんし、また、話しかけもしませんでしたが、地元の神社という事で、それなりに地域の方は認識されているんだなぁ・・・とも感じていました。

 
 さて、今年は100年祭。という事で、去年と大きく違っていたのは・・・・山岸さんの石碑の前に、大型の写真がありました。写真の解説は『明治神宮 元崇敬会長 軍医中佐 山岸禮三翁』とあります。つまり、この神社の実質的な創立者の方。という事でした。

 縁とは不思議なもので・・・昨年、明治神社の大祭に参列して、この神社の歴史を知りました。
 そして、今年になって、たまたま町内の書店を訪れた所、この山岸さんの豆本が発売されていました。
 モイレ台在住の方が書かれた豆本で、自分はこの豆本を購入し明治神社の宮司さんに送って差し上げました。
 これが縁で、明治神社の宮司さんと豆本著者の方と連絡を取り合い、この大型写真の作成に繋がったそうです。ちなみに、豆本の表紙の写真と同じもので、山岸さんの関係者の方が黒川町に在住しておられ、この方から元写真を借りて拡大したそうです。

 

 豆本の著者の方は、9月2日の宵宮の最中にお見えになり、『ここには初めて上がって来た』との事で、私とも色々とお話をさせてもらいました。
 著者の方は、医師としの山岸さんにお世話になっていた経過があり、本の作成に繋がった。という事ですし、それなりの事を調べられており、『写真の一番大きな勲章は天皇陛下(明治天皇だと思いますが・・)より頂いたものでしょうし、勲章の中心にはルビーがはめてある』『旭川の陸軍師団の副師団長の後、札幌の陸軍病院の院長であった。階級としては軍医としては、これ以上の階級が無かったので、中佐であったが、実際は大佐待遇であった』との事。昔の大佐クラスといえば・・・陸軍では連隊長、海軍では戦艦の艦長クラスという事で、相当偉かった人という事ですね。

 100年記念としては・・記念の日本手ぬぐい、提灯、幕が新調されていました。
 


 
 時間になったので・・・山岸禮三翁碑前祭、余市町殉国遺族会碑前祭となり、どちらも玉串を捧げての参拝となりましたが、神社という事で、地元の方と、また、殉国遺族会の方が参列しておりましたが、参列者としては、ごく少数でした。
 

 
 本殿の上にある『聖論の碑』までは行きませんでしたが、草刈りはされていました。ですが・・・ここの石段も崩れていて、注意しなければ行けないですよねぇ・・・
 偶然ですが、神事の最中に、トンビかなぁ・・・


 
神社だから、菊の紋章なのでしょうか、それとも、明治天皇を御祀しているので、菊御紋なのかは・・・・解りません・・・そして、この額は、おそらく、裏に書かれた年月日や作者が書かれてあると思うのですが・・・・

 

 
 午後6時から宵宮という事で・・・参拝者としては、日中よりさら少なくなっていますが一昔前は、人も溢れていたと思っています・・・

 
 夜の7時過ぎに、帰宅しましたが・。いゃ〜街灯も無い石段は、降りて来るのに、エラクじかんんがかかりました。転んで転がったら大ケガでしょうねぇ〜

 さて翌日の3日は、所用があったので、本祭には不参加でしたが、神社から記念の大福餅が届きました。余市町内のお菓子屋さんが作ってものでしたが・・・・こういうのも少なくなった事により、町の経済も活性化しない。という面もあると思います。
 町の経済とお祭りも微妙な関係があるのでしょうが、どちらも、地域としては、益々少なくなってゆく行事だと感じています。

 100年たったら、もう歴史の中・・だと思っています。