参加報告 平成17年9月23日
    ☆17年度招魂祭☆

 毎年実施されている招魂祭が今年も行われました。
 さて、招魂祭とは、いったい何なのか?ですが、簡単に言うと、国の為に戦争に出征し、戦死された方々に対し、弔い、恒久平和を誓うもの。という解釈を私個人ではしています。

今ではすっかり見かけなくなった軍艦旗。正式には旭日旗といいますが、外国では、日本の国旗は、この旭日旗だと思っている人も少なくないようです。
 
             
会場は沢町福祉センターで行われました
招魂とは?
 死者の霊を天から招いて鎮魂する事。日本では古代より行われており、平安時代から戦国時にかけて御霊信仰と合わさり、戦争で亡くなった方々の霊を弔う習慣に発達していった。

御霊信仰とは?
 民間信仰の一つで、動乱・騒乱・戦争・天変地異などの天災によって非業の死を遂げた方の霊を、祭神として祀り、慰め、霊威が我が身にふりかかってこないように祈る事。

安宅議長と野呂議員
 
                    松原議員も受付をしています
招魂祭とは?
 これが全国統一的に始まったのが、明治2年に大村益次郎の手によって建立された東京招魂社であって、戊辰戦争で新政府側について戦死した官軍兵士が祀られた事による。
 そして、この時から、いわゆる賊軍側に立った兵士は祀られず、以後、東京招魂社は国に尽くして命を失った人のみを祀る神社となった。
 この東京招魂社の建立の後に、全国に招魂社・招魂場・招魂墳墓が作られるようになって、明治5年に東京招魂社が陸軍省・海軍省の管轄となった事により、各地の祭神を合祀し、靖国神社へと発展していったものである。


式典では、追悼の辞という事で、町長・議長の言葉がありました
 

 さて、余市町の場合は、忠魂碑が明治43年に建てられています。日露戦争は1904年・明治37年ですが、『祀られている方は、日清戦争(1894年)から』と遺族会の代表の方は話しておられました。
 以後、第二次世界大戦までの間、という事で、余市町では680名余りが祀られています。
 
                    
遺族による献花
 私は議員職を預からせて頂いて以後、招魂祭は欠かさず参列させて頂いておりますが、年々参列者は少なくなっているようで、今日の招魂祭では、関係者も含め150名の参列だったそうです。
 戦後から60年という歳月が流れ、遺族の高齢化も顕著に表れて来ており、『遺族』に該当される方で一番若い方でも65歳だそうです。

 
最後は、奉納詩吟で締めくくられました

 小泉首相の靖国神社の参拝問題を含め、この戦没者の問題は、国内外を問わず、戦後60年を過ぎても、未だに解決出来ない問題の一つとなっています。
 今年は、皇紀でいえば2665年という年になり、日本という国の生い立ちを考えれば、天皇政と軍政とか長く続き、そして、20世紀に入っての西欧化に伴う、様々な文化の流入。そして敗戦によっての民主主義の構築は“自由”という権利を得た変わりに“無責任”という功罪も生んだと私は考えています。

 今日の招魂祭をどう、とらえるのか。そして、歴史を改めて見直す機会になればと考えています。


 せっかくですので忠魂碑まで行ってみました。午後から出掛けたので逆光となって、よく、分かりませんが・・・
 
石碑は2基あり、台座の高い方には忠魂碑と刻んでありました
 
 台座の裏側には、余市戦友團と刻んでありましたが、年月が経過している事もあり、よく判別が出来ません。

 忠魂碑は円山公園の頂上にあり、ここからの眺望は最高です。
 
  竹鶴ジャンプ台              沢町小学校
 
   シリパ山                真ん中は水産試験場です


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