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独り言 平成26年7月17日UP
      ☆上野前町長逝去☆

 地元紙の地域版に掲載されましたが、前の町長である上野 盛(ウエノ シゲル)氏が、平成26年7月12日、75歳で逝去されました。


自分の莫大なデータの中から、探し出して・・・
上野町長を最初に写真に収めたのは平成15年9月、招魂祭からでした・・
 
平成16年1月、北後志合併協議会。上野町長の方針は明確で、ブレなかった事により、余市町の方針は明確でした。

 上野 盛 氏 略歴
昭和14年5月 樺太野田町にて出生
戦後、樺太より引き上げ
昭和33年 余市高校卒業。学生時代は、柔道では強く黒帯
昭和33年11月より余市町奉職
  以後、教育委員会次長、企画室長、総務部長、阿部町長時代に助役
平成15年8月の町長選挙で初当選
平成19年8月の町長選挙は無投票で再任
平成20年8月、脳梗塞で入院。
平成22年8月10日、町長退任

 
平成16年4月、フゴッペ洞窟、改築オープン。そしてこの年、台風18号で町内大被害・・・この時も町長の明確な判断があって、復旧もスムースでした・・・写真は改良住宅の屋根鉄板が飛んで、電線に引っかかりました。


 さて、上野町長時代はどんな時代だったのか?ですが、平成11年〜平成15年は、景気は悪化していたものの、末端自治体では、国からの交付税も多く、余市町の一般会計としは100億円を越える予算編成が出来た時代でした。
 ちなみに、この100億円の中には、沢町小学校の新校舎の建設があったこともあり、予算が増えたのですが、新校舎落成の時の町長は上野町長でした。
 また、教育関係では直接的な管轄ではありませんが、地域の高校についても、当時、古平・余市・仁木と北後志にあった3高校を一つにすべく、余市高校から紅志高校へと決定したのも、この時代でした。

平成16年10月、交通安全運動のため、街角に立っての啓発
 
町長になると、消防団の指揮者も兼任〜。という事で、制服姿ですが・・制服は・・・あまり似合わなかった??


 時代は小泉内閣となり、三位一体の改革が進み、交付税の削減。一気にではなかったですが、一般会計は80億円割り込み、75億程度まで削減され、余市町としても赤字予算の編成をしなければならない時代となってしまいました。
 そして、これに伴い、余市町としては、いち早く行政改革に着手。職員給与の削減を行い、余市町の職員給与を、国や他の地方公共団体の職員給与水準より下回った水準にしたのも、上野町長でした。
 その結果、赤字予算の編成は1年限りで、また、赤字幅も当初予算より大幅に削減して、2年目には、なんとか黒字決算が出来ました。

初公開の写真ですが・・・17年6月、町営球状で役場職員組合の野球試合があり、下駄履きで応援に来ていました。野球好き・・だったようで、試合応援には、けっこう出向いていたと聞いています。ちなみに、この写真には、今の町幹部も写っていますが・・・10年前ですよねぇ〜
 
平成17年10月、何かの陳情の時に写した1枚です。町長として一番、油が乗っていた時かなぁ・・・

 また、この時代、平成の大合併が叫ばれ、北後志でも町村間で合併協議会が開催されましたが、上野町長に就任して、すぐに北後志で協議に入らなければならない時代でした。
 数度の協議会を開催して、結果として、合併はしませんでしだが、これとて、町民の多数の意に添った形となったのではないか。と考えています。
 また、町内の行政としても、前町長の時代に残された様々な問題を解決して行った。特にリサイクル問題については、早期解決をはかった事は、正に町長の手腕であったと感じています。

18年3月、公民館にて町長の行政報告会でしたぁ〜。もっとも、来年、選挙の年だったから?
 
平成18年度開町記念日で・・・ちなみに、町長は公式の場所はモーニングなんですよねぇ・・・

 そんな中で、あゆ場公園パークゴルフ場には、前町長時代の計画を大幅に変更。36ホールの公認コースへと変更させる。
 そして、『余市町の水はおいしくない』という声もあった中で、浄水場の新築に着手して、完成させました。
 最近は『余市町の水はおいしくない』とは、だいぶ聞かなくなりましたが、浄水場が新しくなった関係だと考えていますし、また、新浄水場は、震度7クラスの地震にも耐えうる設計であり、この機能が将来、発揮されない事を祈りますが、万が一の場合は、おそらく、その機能を発揮してくれるものと考えています。

現在、建設の進む小樽・余市間の高速道路。平成18年10月に中心くい打ち式が行われました。
 
平成19年3月24日、新入生が入学しなくなり、全校生徒が10名を切る事となった豊丘小学校の閉校式。これも時代の流れでしょうが・・・

 今年の8月(来月)に町長選挙が行われますが、任期を1年残しての退職となってしまいましたが、2期目の選挙となった、これは、平成19年8月であり、この時は無投票で確定となりましたが、おそらく、この時の上野町長に対抗する候補者は、いなかったのではなく、『選挙をやっても、勝てない』から、つまり、対立候補が存在しなかった。と考えていてます。
 行政手腕、また、自身の後援会も組織としても強固であった。これを選挙で打ち破る。という事は、当時は不可能では無かったのか。だから、無投票で確定したのだと思います。
 平成22年に脳梗塞で倒れ、その後、3カ月程で復帰しましたが、復帰直後は、見た目は、いわゆる「当たったなぁ」と見れましたが、頭の方は、まったく問題なく、また、言葉の方も、多少、話す速度は遅くなったとは感じていましたが、とりたてて「問題あり」とは感じていませんでしたし、逆に、話す速度が遅くなったことにより、答弁を書き留めるには、好都合で、答弁がよく理解出来ました。

平成19年4月、町民待望のパークゴルフ場オープン。今も利用者数はほとんど減っておらず構想段階での考え方は、間違いは無かった・・という事でしょうね。
 
平成19年5月の消防団の訓練で・・・「町長だって消防車見たい!」という事でしょうが・・・なにもそんな体勢で覗き込まなくても・・・


2期目の選挙は無投票で確定となりました。平成19年8月20日、この日、2期目の初登庁の日でした。

 それでも、数度、再発をて、最後は、やはり、厳しい状況になった。結果として、『迷惑をかける』という事で退任となったのでしょうが、任期を1年残しての退職は、本人にとっても、残念だったと思いますし、また、現在の町行政の混乱ぶりを、どう見ていたのか。という事は・・・・分かりませんが、おそらく『何やってんだ!』と怒っていた思います。

脳梗塞を発症して、平成20年11月4日、職場に復帰して・・・復帰した日に1枚、写させて頂きました。
 
体調が悪い中でも公務をこなし、平成21年3月、あゆ場・新浄水場完成!安心・安全で美味しい水工場がスタートしました。

平成21年7月、ソーラン祭りにもしっかり参加していましたが・・・

 
この写真も初公開の写真ですが・・・病状は悪化の一途となり、入退院を繰り返して、平成22年8月10日を最後に、余市町に別れを告げられました。写真はブレでいますが、感極まった町長は、ハンカチを手に持って・・・さぞ、無念であり、心残りが多かったのではないか。と考えていました・・
尚、この日の模様は、リンクしてあります・・・


 上野前町長の葬儀は7月14日・15日に行われ、葬儀委員長は、嶋町長でした。そして、管内の首長を始めとし、多くの方が弔問に訪れておりました。
 そして、弔辞は、町長が葬儀委員長という事で副町長が行いました。その中で、『剛直にして温情あふれるお人柄。熱烈な郷土愛と使命感を持って貫かれたあなたの生涯は、後進の範と仰がれる』とありました。

 上野町長、大変、お疲れさまでした。合掌

7月20日追加
 上野前町長の逝去を受けて、職員と話していたところ、『教育委員会のポスターのモデルは上野元町長ですよ』といしう話を聞きました。
で、このポスターだそうです。
 
 運上家のポスターで、町内の各文化財施設に貼ってります。モデルになったのは、当時、教育次長だった?からでしょうか・・・言われれば、「そうかなぁ・・」とも思いますが・・・
 ・・・ちなみに、1枚500円で販売されているそうで、年に1〜2枚、売れているそうです。