独り言 平成25年8月18日日UP
☆4回目の『会派に所属しない議員』となりました☆

 さて、自分は現在4期目ですが、8月6日付けで、所属会派である『よいち未来』に対し「会派脱会届」を提出。4度目の無会派となってしまいました。

 『またかょ〜』『結局、あいつは、何もしない一匹狼だね』そして、『なんで?』『議会を壊すつもりなのか〜』・・・・という感想を持たれる方も多いと思います。


 一般的に『会派』と呼ばれるのは、『議会交渉会派』が正式名称・・なのかどうかは分かりませんが、2名以上の議員で構成されるグループを『会派』と呼びます。
 『交渉会派』という事は、会派間の交渉をするものであって、その前提となるのは、会派内の協議というか、話し合いが必要となります。
 会派を組む要素となるのは、自らが考える、政党の支持や自らの選挙においての支援を受ける立場によって組織される。代表的ものは、共産党や公明党という事となります。
 これ以外で会派を組む要素としては、『長』を目指す場合、多数決というもので決まるのであれば、当然ですが多数派工作という事で、会派も組織して行く。という事となります。

 議会という組織を運営して行くためには、各種の『長』が必要であって、『長』を取りに行く場合、個人、また、組織として取りに行く場合もあるのですが、『長』の決定までの間は、非常に複雑で時間もかかるものです。これを肯定も否定しませんが、度が過ぎれば、後々、尾を引く事となります。

 選挙で選ばれる者としては、自らの選挙において、政党と係わりあいが無い者どうしが、一つの会派となる事は、互いに努力を重ねていかなければならない事であって、それには、相当の話し合いが必要です。
 話し合いが無い場合、そして、相手を利用して自らの立場を有利にしようとするような考え方を持った場合は・・・・結果として別れてゆく事となります。



 今回の自分の脱会の選択は、最終的には会派内での話し合が決裂した事によって、無会派を選択せざるを得ない状況となった事。そして、会派に対しては、退会ではなく、「脱会届」として書類を提出して抜けました。
 その要因については、この2年間、常に「会派とは何か」「なぜ、いつも事後報告や時間が無い所で話し合いをしなければならないのか」という事が毎回、繰り返され、その都度、会派の2名の議員には苦言を呈していたのですが、最後までこれが改善されなかった事もあります。

 会派内の役職としては、土屋議員が会派代表、そして、岸本議員が幹事長。そして、この二人の議会内の役職としては、土屋議員は議会運営委員会の委員長で、岸本議員は議会運営委員会の委員となっています。
 つまり立場的には、本会議における議題を事前に知る立場にあり、また、会派代表者は議会内の取り決め等の情報を知る立場にあるのですが、どういう訳か、これらの会議で出された話が、自分には伝達されず、「なぜ連絡して来ない」と何度言っても、最後まで変わらなかったという事です。


 そして、今回、無会派になるまでの直接の経過としては、8月6日、午前10時までに結論を出さなければならない話しを、会派からの連絡で知った訳ではなく、自分が役場に行って、この日時を知った事。つまり、会派からの連絡は、ここでも無かった。
 次に、最終的に3名で集まったのは5日の午後9時からで、話し合いの結果、決裂したのですが、もし、時間があれば、第三者の調整も頼めたのかもしれませんが、結果として、これを依頼する時間も無かった。という事でした。


 「連絡が無い」という事の主たる要因が代表者にあるとするならば、代表者の交替を要求するのは、当たり前の話であり、「会派代表者の交替」と要望をした所、『それは出来ない』と即答がされました。
 また、会派の解散についても『それも出来ない』との事だったので、結果として「脱会」を選択したのでした。




 平成23年の改選後、余市町の議会運営は議長選挙を含む議会内人事から大混乱となり、以後の議会運営は混乱を続け、何度も新聞に掲載されただけではなく、全道版の月刊誌にも掲載されました。

 この要因は、「これ」と言った、特定のものではなく、また、今期に始まった訳ではなく、その火種は相当の昔からあったと考えています。
 その積み重ねと、その時代時代によって、摩擦が大きくなったり、小さくなったりを繰り返して、今期に、それが噴出した結果だと判断しています。

 議会の役職を決める時点では、その過程の中で、様々なウワサもあり「こいつは、・・・取引したな」と感じる事も多々あります。
 この取引とは、議員対議員、対役職、対第三者というように、特定の事例という事ではなく、なんでもありうる話なのですが、それはそれとして、また、議会のスタート時点では、良くある話だと、自分では考えています。
 ただ、一定時間が過ぎれば、ある程度、落ち着くものだと考えますが、これも度を過ぎていたとすれば、いつまで経っても混乱が続くことの要因の一つとなります。、



 理想の会派運営とはいかなるものなのか。正解は無いのでしょうが、少なくとも、平成15年の時に結成した新自治研究会は、その理想的な形を持っていたと感じています。 政党の所属、選挙での支援の形、保守・革新という枠組みでも、まったくバラバラの議員が集まり、また、新人・女性も一つの会派として集い、間違いなく、議会をリードしていたと思っています。そして、この中には、初当選をした土屋議員もいました。

 ですが、今期、新しい会派を結成したのにもかかわらず、会派としては一向に集まらず、土屋・岸本の両議員は、他会派が主催する勉強会や懇親会には参加するのですが、3名で集まる。という事は、自分としては「無かった」という認識です。

 そして、どういう訳か議会内部の会派代表者会議や議会運営委員会の情報が、自分には伝達されず、この2年間、捨ておかれる状況となっていました。

 議会の議題となる重要な案件も、本会議の当日、本会議場の自席に座ると、その議題が机の上に乗っている。
 当然、会派の二人に対しては「これ、なによ?いつ、俺が同意したんだ?」と聞くと、平謝り・・・・それが一度や二度では無く、毎定例会の都度、このような状況が続いていました。

 さらに、『代表者会議で○○と決まったけれども、どうしたら良いか?』というように、主要部分が決まった後の、事後相談となっており、これについても、「なんで、いつも、決まった後に連絡してくるんだ!」という事も、毎回の事でした。



 なぜ、土屋議員を会派代表者にしたのか?という事は、一応は、民主系議員が2名という事と、前期、自分は無会派だった事もあり、3期目となった土屋議員を会派代表と決めました。
 その時は、会派の理想形を目指して・・・いたのかどうかは、分かりませんか、結果として『会派で集まる』という事は無く、そして、平成23年11月に新幹線の問題が発生しました。


 新幹線の同意問題では『在来線』主張する土屋議員。自分は「民主党が決めた北海道新幹線に民主党が反対してどうなるのか。今回は二者択一なので、在来線を取れば新幹線は×となるし、新幹線は完成までに20年もかかるとするならば、今は新幹線」という意見で、真っ向から対立してしまいました。
 ただ、この問題は、議会の議案ではなく、町長は『議員の意見を聴取する』という事で開催された議員協議会であり、会派内で意見を一致させる必要はありませんでしたが、自分としては、ここから会派の亀裂が表面化して行く事となってしまったと考えています。
 新幹線問題では、2回の議員協議会が開催されましたが、会派で話し合ったのは2回目の議員協議会の前でした。つまり1回目の協議会の前には会派内協議はしておらず、自分としては「なぜ、会派で話し合わず、勝手に発言(1回の協議会の時のこと)したのか」という応酬を土屋議員とした記憶があります。


 新幹線が問題となり、結論が出たのは平成23年12月中旬でしたが、次に会派として問題となったのは、平成24年2月24日でした。
 この日、第2回臨時会が開催されたのですが、当日、議場に着席すると、議員報酬の削減案の議案が上がっていました。

 議会の議題は、突然と来る場合もありますが、議長から会派代表者会議において『次の本会議において、○○という議案が提案されますので、会派で調整をお願いします』という場合もあります。
 人事にかかわる事項、議員自らにかかわる事項が多いのですが、この時の議員報酬の削減提案は、自分は、まったく知りませんでした。
 議案の中身としては、新規の提案ではなく、今まで削減していたのが、時限条例だった事もあって、再度の期日の延期という事なので、特別、どうこう言う問題ではありません。
 この議案について、無会派議員に聞くと「議長から聞いていて、事前に了解したよ」との事で、自分には、会派から一切の報告も相談もなし。結果として、知らなかったのは自分だけ。という始末でした。
 記憶では、この時に町が委嘱する人事案件もありました。この人事案件も、事前に連絡が来る事になっているのですが、この時の人事案件の連絡も無かったように記憶しています。ちなみに、どういう訳か人事案件では、会派からの連絡なし。が何度もありました。

 当然ですが、会派の2名の議員に対しては、「俺がいつ同意したんだ?なんでこんな議案が出ているんだ?会派ってなんだ!なんで、事後報告や直前でなければ連絡が来ないのか!」と言えば、平謝りでしたが、結果としては、最後の最後まで変わらなかった。という事でした。

 そして、次に問題となったのは、24年8月に発覚した職員の不正経理問題での特別職の処分案の議案についてでした。
 これについても、過去のホームページ等で自分の考え方は出していたように「ここまでの処分は必要ない」という事で、自分は終始、考えは変えずにいました。
 ですが、会派の二人の議員が賛成した理由としては、よく分からず、『理事者側の提案だから賛成』というような理由でした。
 会派内の結果として2対1となったので、本会議採決前に自分は退席。という態度を示しましたが、この問題でも、会派内の協議としては数分間、話し合っただけでした。


 次に問題となったのは、同年10月の渡辺議員の逝去に伴う、後任の委員長決めに関してでした。
 後任の委員長の人選は、代表者会議の中で、方針が決められたのですが、代表者会議が終わった後、電話が入り、『代表者会議で○○と決まったけれども、どうしたら良いか』と、会派間の取り決めが済んでからの連絡でした。
 当時、渡辺議員は総務文教常任委員会の委員長だった事により、療養中は、副委員長である岸本議員が委員長の代行していました。
 渡辺議員が亡くなった事は、委員長席が空席になった事であり、次の委員長をすぐに決めなければならないのは、当たり前の話しです。ですが、これもまた、会派内での協議は一切ありませんでした。
 電話で呼び出される格好となり、役場に行った所、すでに二人は揃っていて、その経過を話して来ましたが、ここでも意見が合いません。
 「何も、俺は自分の意見が通らないからと言って、怒っている訳ではない。委員長が空席になったら、次の委員長を決めるのは当然の話しであって、会派なら、なぜ、先にその相談をしないのか?会派で話しを決めて、その方針を持って代表者会議に望み、代表者会議の結果、会派の意見が通らない。とするのは、これは、相手もいるので、致し方ないだろう。だが、代表者会議で方針を決めた上で、『だれがイィ?』では話しにならない!」と言いました。・・・・自分では当然の話し、だと思っています。


 
 その後、24年11月末から開催された、23年度各会計決算委員会。この委員会での出来事は、過去のホームページで触れているので、改めて触れませんが、土屋議員にその自覚があるのかどうかは、分かりませんが、少なくとも、混乱をさせた発端を作った一人であり、さらに、混乱に拍車をかけた一人だったと思っています。
 そして、この時、「土屋議員とこれ以上、一緒にやっていたら、マズイだろう」という事も強烈に感じ始めていました。


 決算委員会の話し、並びにその後、議長不信任案が本会議で提案される等、議会の混乱も続き、新聞にも連日のように掲載されるに至り、他会派の議員や一般の方からも『なぜ会派の代表をやらないのか』という質問や意見を受ける事も多くなってきました。
 これに対しては「民主二人だし、第一、今やっている土屋議員自身が『変わって』と言って来ない以上、こちらから言い出す話しでもないだろう」と返答していました。
 そして、様々な方とも、『よいち未来』という会派について、あるべき姿や方向性についての話し合いがされたこともありましたが、話はまとまっても、その後の実働がされない。という状況でした。



 そうこうしているうちに、平成25年に入り、自分としても今年の冬は除雪に明け暮れた毎日となり、さらに、これに起因すると思われますが、静脈炎となってしまいました。
 この病気によって、議会も欠席する事も多くなりましたが、欠席しても、『今日の議会はこうだった』という連絡もありません。
 そして、会派を組んでいる以上、会派としての一番大切な行事である、会派要望書の提出についても、結果として、2月に入ってから提出する始末では、もはや会派としての体をなしていない状況となっていました。

 その後、決算委員会の本会議採決と3月の予算委員会は、なんとか乗り切りましたが、会派状況としては、会派としての機能はまったく機能しなくなっていました。


 一般的に、会派運営をしている場合、定例会の前には勉強会。また、定例会が終わった後は、『反省会』と称して、懇親会をするのが習わしとなっていますが、結成時を除いて、役場以外の場所で3人が集まったのは4回だけであり、定例会後の反省会を含め、3人で懇親会をやったのは、一度もありませんでした。

 議会の会派とは、どうあるべきなのか。という事の正解はないのでしょうが、少なくとも、自分が2期目の時、新自治研究会という新しい会派が結成された当時は、定例会前には必ず勉強会を企画し、また、会派としても町民向けに報告会も実施しました。
 当然、この時の様子を土屋議員は、1期生で所属していたので実施した側の一人なのですが、今期において時期ははっきりしませんが、「なぜ、定例会前の勉強会をしないのか」と聞いた時は『前の会派ではやっていなかった』との返答がされました。
 これは、どういう意味なのか・・・・土屋議員は1期目と2期目は新自治研究会という会派に所属していた以上、それなりの会合は持っていたと見ていましたが、自分は平成18年9月に新自治研究会を退会し、平成19年からの4年間は無会派だったので分かりません。
 また、『よいち未来』という会派を結成して、まもなくの時期でしたが、他会派が主催する勉強会や懇親会に、土屋・岸本両は議員は参加していましたが、「自分の会派でやらないのに、なんでよその会派のには、参加するの?」とも、よく言っていました。

 だれが、どうこうという問題では無いのでしょうが、結果として、集まらなかったのは事実であって、これで会派を維持して行く。というのは無理な話しです。
 つまり、『よいち未来』という会派は最初から会派としての体をなしていなかった。そして、その根底にあったのは、今期の議長選挙を初めとする役職決めからであったと感じています。


 平成25年3月の定例会が終わり、その後も、様々な出来事があり、本年6月の定例会前に、3名で昼食を兼ねて1時間ほど集まりました。
 結論としては、「前期(25年8月)で会派解散」という結論を出しましたが、岸本議員だけは『解散に反対』を表明していました。
 「何も連絡がない」のは、年度が変わっても同じであり、会派代表者へは、代表者会議の件や理事者側から様々な伝達事項が来るのでしょうが、自分には、相変わらず連絡がなく、回りから聞いて知る状況が続いていました。
 これも改善される様子がない以上、そして、あらゆる選挙で選挙協力がある訳でも、その必要性の無い以上、会派として歩む必要性はまったくありませんし、個人的には、『よいち未来』という会派に所属しなければならない意味も見当たりません。
 ただ、この時の取り決めとしては「解散までは、このままで協力して行く」という合意もされました。

 ところが、この話が済んだ後、各委員会の報告がされた中で、またもや「なんだこれは?俺は賛成しない!」という事態が発覚してしまいました。
 今期の議会運営委員会の中で、協議が続けられていたようですが、今年の6月定例会には、議員協議会の公開について、文章化と一部、変更がされました。
 つまり、かなり以前から議会運営委員会の中で話し合われていたようですが、いきなり改正案を出して来て、『こうなると思います』と知らされました。
 「この内容ではダメだ。俺は反対。改正案まで出来ていて、これから変更出来るのか」と問い詰めても『うーん』と唸るだけでした。
 改正案は議会運営委員会の中で話し合われており、その委員会を主催しているのは、土屋議員であって、この案は、正副委員長が提案しており、自ら提案したものを「会派内がまとまっていません」とは、言えないのは、分かり切った話しです。
 ちなみに、この案件は議案ではないために、後日、議員控室の各自の机の上に配布されたのをもって決定されたのでしだが、結果として、自分の意見は一切聴取されず、まったく知らない所で決まってしまった。という事となってしまいました。


 そして、本年6月定例会を迎え、会派解散の方針は、一応、決まっていたものの、会派3名が合意した訳でもなかった事から、どうなるのか、どうするのかは微妙でしたが、結果としては、最後の最後まで、状況は変わりませんでした。
 6月定例会では、自分の病気である静脈炎が再発し、「午後から通院だから早退する」と伝え、議会を早退していた事もありましたが、この時には、何も言わず、その後、携帯電話のメールだけで『どうしますか?』との問い合わせが来て、返信をしても、その結果を再度連絡して来る。という事もありませんでした。


 そして、今回の事態を迎える事となりましたが、これもまた、「話しにならない」と感じていますし、口では『会派が大事』と言っていても、それが実践されない。その気持ちが無い。と判断しています。

 7月16日に会派代表者会議が開催され、その中で、『8月上旬に、委員会の改選に向けての協議を行う』との伝達がされたそうです。
 そして、7月30日に正式に『8月6日に、後期委員会の編成を行う』との伝達が会派代表者に伝えられたそうです。
 ですが、この件は自分には会派からの連絡は無く、8月1日に自らが議会事務局に行った時に初めて知りましたが、「解散」をするのであれば、同然、連絡は無いものと解釈しましたが、やはり、面白くないのも事実です。

 そして、8月1日の夕方に、岸本議員が来て、8月6日の件と『後期で委員長をやってほしい』との依頼がされました。
 「なぜ、6日の件が会派から連絡が無いのか?6月の定例会の前に「会派解散」を決めていたのに、なぜ委員長を受ける必要があるのか?」「会派解散はどうなったのか?なぜ、土屋議員は来ないのか?」との質問には明確に答えが無く、結果として意見の一致を見ることなく別れました。

 6月に決めた「会派解散」には岸本議員だけは『解散に反対』と表明していましたが、土屋議員と自分は「解散」という事で、合意していました。
 最終的にどうするのかは、微妙でしたが、『方針を変える』という事であれば、再度、3名で集まる必要性はあるはずです。

 自分は8月2日の夜は所用があって不在でしたが、それ以外は町内にいたのですが、再度、岸本議員と会って話をしたのは、5日の午後7時前でした。
 
 話しは8月1日の繰り返しでしたが「土屋議員は会派について、なんと言っているのか?」と聞くと『『解散はしない』と言っている』と始めて方針を変更したと聞かされました。
 「だったら、なんで本人が来ないのか?3人で話をしなければ、話しにならないだろう」とは当然の話だと思っています。そして、この時に「会派代表」についても、土屋議員が不在でしたが意見を出し合い、岸本議員も『土屋議員にも話してみる』との事で、岸本議員は一度、帰ったのでした。

 そして会派3名が要約、揃ったのは、5日の午後9時からでした。

 「会派解散の方針を転換したのはいつなのか?」と自分が質問した所、土屋議員は『7月30日の代表者会議の後。前期が全部終わってから、後期の委員会編成を決めると思っていたので、今、解散出来ない』との言い分でしたが、これは、ウソであると思っています。
 議会の委員会編成を『よ〜いドン』で始めるのは選挙が終わった後の初議会の時だけで、すでに過去2回、それを経験している土屋議員は、『勘違いをしていた』とはウソであって、「また、取引をしたな」と感じていました。そして、翌日には、「やっぱり、そうであったか」と実感してしまいました。


 それはそれとして、1時間あまり押し問答をしていましたが、「会派代表」の件は、一切、言い出してこない。こちらも、いよいよシビレを切らして、「会派代表は岸本。そしたら、俺が委員長を一つやる」と発言したのでした。つまり、「会派はそのままで行く」という事を、暗に了解したのでした。
 これに対して、土屋議員は、即答で『会派代表者の交代は出来ない』との事で、岸本議員も会派代表を『受ける』とも言いません。
 「代表も変えない。会派解散もしない。という事であるならば会派を抜ける。明日、10時から代表者会議だから、その前に、議長宛に届けは出す」と言うと『しょうがないですね』という結論に達しました。

 これ以上、話す必要も無くなったので、別れましたが、岸本議員からは『退会届けを出すのはギリギリまで待ってほしい。再度、二人で話すから』と言い残し、その夜は別れました。

 会派運営をしてゆく前提としては、会派からの連絡が無ければ出来ない話であって、これが出来ない。何度言ってもやらない、出来ないのであれば「会派代表を交代せよ」と要望しても、これも『しない』というのではあれば、話し合いの余地はありません。



 自分としては、過去の経験から無会派となっても困らないのも事実ですが、現在の議会全体の構造もあって、「無会派」はマズイ結果になるだろう。という事は、想像出来ていました。そして、今回の場合は、会派を抜けることは、さらなる対立構造を生む結果となりうる可能性もあります。
 ですから、6月に話し合った時も、「一度、解散した上で、あなたたち二人で新会派を立ち上げなさい」とも言ってきました。
 つまり、分裂解散ではなく「話し合い解散」にすれば、「話し合いによって、解散したとしても、以後も協力関係を維持して行きましょう」という考えの元、そう発言していたのですが、これも相手が理解出来なかった。という事でしょうし、なぜ、会派代表にそこまでこだわる必要があるのかは、自分は理解が出来ません。


 二人が帰った後、退会届けの作成に入りましたが、今回は「退会届」ではなく「脱会届」としました。
 言葉としては同じような言葉でしょうが、明確に意志を持って行います。という意味で「脱会届」としました。



 さて、8月5日の夜に土屋・岸本議員の両名が、どういう話しをしたのかは解りません。そして、6日の朝8時に、岸本議員が再度来て、『やっぱりダメだった』との事で「では、これから議長に届けを提出するから」と伝えました。
 そして、ここで何げない会話でしたが、自分の方から「俺が抜ける事によって、議運の委員長は、再度、土屋議員ではないか?」と質問か意見かは別でしたが、こう発言した所、岸本議員は『『議運の委員長は○○議員』と土屋議員が言っていた』との発言がありました。ちなみに、○○は他会派所属の議員名です。

 ちょっと待て・・・・6日の今日、これから各会派の代表者が集まり、これから話し合いが行われるのに、どうして、土屋議員の口から、議会運営委員長に他会派所属の議員名が出るのか・・・・
 後期の委員会編成に係わる代表者会議は7月16日と7月30日で、30日に『8月6日に委員会の割り振りを行う』という日付が伝達された。という事は8月6日に委員長の予定者等も決める。という事であり、会派として3名で話し合ったのは5日の午後9時からであって、話し合いが決裂したのは、午後10時半を過ぎていました。

 土屋議員は、昨晩、別れてから、他会派の議員と話し合ったのか・・・ではなく、事前に他会派と話をしていた。その中で、すでに役職等の割り振りを話し合っていた。
 自分の所に来た時は他会派との話を終えており、その取り決めの通りに、こちらを動かそうとした・・・・と言われても、しょうがない状況であると考えます。

 己の会派での話の前に、他の会派と話をしていた。とは断定出来ないかもしれませんが、土屋議員は今期のスタート時点の役職決めでも、「取引をした」と自分では感じています。
そして、今回も、それが繰り返されているとするならば、もはや、どう考えても会派としては成り立たないと判断します。



 さて、これからの流れとしては、8月末に常任委員会の任期満了が来ることによって、委員会の編成替え、そして、委員会のメンバーが変われば、正副委員長も再度、選任されます。
 以前の議会では、常任委員会は、無会派から順に選べたのですが、今は、どういう訳か『会派が優先』という事となって、空いている所に無会派が入る。という事となっています。ただし、あくまでも無会派議員が1〜2名程度の時の話しであり、現在のように全体の1/3を越える議員が無会派というケースは、過去にありませんでした。

 1委員会は6名定員であり、委員会の委員長は、本会議では無く、委員会で選ばれ、数の理論によって、4名以上の賛同が得られれば委員長という事となります。尚、3名づつになった場合は同数であり、この場合はくじ引きで決定されます。
 現在、1名の欠員、また、議長は委員会には所属しない事となっている事から、16名の議員となり、うち、会派所属の議員は10名という事であり、すべての委員会で絶対に委員長が取れる。という事にはならなくなってしまいました。

 これをどう割り振りをするのか。また、無会派はどう動くのかは、まったく分かりませんが、議長がどう調整をするかによって、後半の議会運営を左右すると感じています。

 ・・・・どういう事になるのか・・・は、これからの話しでしょうが、会派制を主張する側が、自ら崩れて行く。という可能性もあり、余市町議会の正念場だと感じています。

・・・とりあえず、次ぎは8月末の委員会編成の臨時会の後に・・・UPの予定です。

 ・・・・うーん、自分としては、会派所属であろうが無かろうが、しばらくは、静観していますが・・・・・

 一言・・・・「わかってないよね〜」


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