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独り言 平成24年11月2日UP
       
☆議員の補欠選挙について☆

 北海道新聞、後志版の記事にも掲載されていましたが、前副議長で、当選回数10回の渡辺正治議員が、10月27日に逝去されました。昭和12年10月生まれで、満75歳でした。

  
10月27日は十三夜でした。真ん丸ではない、チョット変形した丸に美しさを感じるのは、日本人だけなんでしょうねぇ・・・

 10月27日は土曜日で、夕方に携帯電話が鳴りました。見たら役場関係者で、「はて?土曜日に電話?」と思い、あまり好ましくはない内容だろうなぁ。と思いつつ電話に出ると、『渡辺議員、亡くなりました』との連絡でした。
 亡くなられた原因は、肺ガンでしたが、数年前から体調を崩しておられ、入退院を繰り返しており、年々、入院する期間や回数も多くなって来ていましたが、本年6月定例会までは、登庁していました。
 今回の9月定例会は、全日欠席となっており、今の任期である平成27年までは厳しいだろうなぁ。とは思っていましたが、こんなに早く逝ってしまうとは思ってもいませんでした。

 さて、葬儀告別式の時、葬儀社の司会者が『ワタナベ・ショウジ殿の・・・』と発言していました。葬儀の中で、『あれ?マサジではないのか?』と聞いてこられた方もいました。
 多くの方は『ワタナベ・マサジ』と思っているでしょうし、選挙もそうしているのですが、戸籍上では『ショウジ』であって、これは、自分の場合もそうですが、浩一と書いて、何と読むか?では『コウイチ』となるのが一般的です。
 つまり、読み方の問題であり、読みやすいほうを通り名としたのだと思っていますが、以前、選挙の当選証書の交付式で、選挙管理委員長が『ワタナベショウジ』と読み上げたことがあり、自分も「あれ?」と思って本人に聞いた事がありました。

平成19年3月豊丘小学校閉校式の後の忍ぶ会での挨拶
 
                 平成20年2月、札幌での勉強会に参加

 渡辺正治議員の初当選は、昭和46年8月となっています。初当選の年齢は33歳であり、この時の選挙は、定数24名で32名が立候補。当時のトップは兼平純吉で1018票。2位は初当選で野呂栄で962票。渡辺正治は12位で484票。また、最下位の24位は406票という結果でした。
 その後、3期連続当選となり、昭和58年の町長選挙に出馬。町長選挙の結果としては、
小柄義信 56歳 8015票
林  勝 49歳 7071票
渡辺正治 45歳 1418票 という結果でした。
 ちなみに、この時の町長選挙の前に、北海道議会議員にも立候補をされています。


 昭和62年の町議選挙に再び立候補し、この時の選挙は、共産党の大躍進だったようで、
1位 野呂 栄 1233票
2位 熊倉義城  919票
3位 渡辺正治  875票
4位 吉田広之丞 756票
5位 藤田茂樹  736票
6位 安宅俊威  720票
7位 安達尚男  718票
   ・
   ・
24位      417票
という結果で、定数24名に対し、26名が立候補しての結果でした。ちなみに、この時の町長選挙は、小柄を破り、阿部省吾が初当選となった年でした。

 その後、7期連続当選となり、通算で現在10期目に入った所ですが、現在の議員の中では、安宅議員も10期目ですが、安宅議員の初当選は昭和50年という事で、余市町議会の中では、本当の最古参の議員でした。

 平成11年の改選時に、議長は野呂栄となり、渡辺正治は副議長となりました。また、平成15年の選挙では、議長は安宅俊威と変わりましたが、副議長は同じく渡辺正治で、最終的には平成19年の選挙後も副議長となり、3期連続で副議長となりました。

 
平成20年5月、森林林業活性化議員連盟の総会に二人で参加しました。元営林所職員の経験を生かして、スルドイ質問をされておられました。

 自分が初当選をした時の印象としては、風貌としては「コワイ」とは思わなかったのですが、どちらかといえば、いかつい顔でムスッとして話し掛けずらい風貌を漂わせていました。
 ところが、話をすると、これが非常に面白い方で、自分の経験や体験をユーモアたっぷりに交えて話し、思わず、笑ってしまいます。
 また、こちらが、冷やかして話をしても、これを怒る事なく、ユーモアで切り返して、非常に気さくで、何でも話が出来る人でした。

 その反面、議会での質問は非常に厳しいものがあり、理事者側が答弁出来ない事もしばしばでした。 
 議会は、過去の経験がものを言う世界でもあり、『あの時は、こうだった』とその経過も含め、質問するのですが、『あの時』の事は、8期9期ともなれば、役場職員でも『あの時』の事は、知らない場合が多く、こうなれば独壇場でした。
 
 質問の鋭さ。また、深さ、人を説得させれるような話術。また、一度、質問に立つと平気で1時間くらいやっていますし、時間が許せば、3時間でも4時間でもやっているし、出来る議員でした。
 そして、汗をかいてハンカチで汗を拭いながらマイクを握っていた姿は、議員の見本たるべき姿であったと自分では感じていました。
 自らの発言だけでなく、他の議員の発言に対しての反応も素早く、問題があれば『議事進行!』と挙手をして、議員の発言を正常に戻すことも、よくやられておりました。

 自分も様々な面で、正面からぶつかった事もありましたが、それが過ぎれば、何事も無かったように話が出来ますし、また、渡辺副議長と二人で札幌の研修等に行った事もありました。


 一度だけ、頭ごなしに怒られた事がありました。平成18年9月15日ですが、この時の定例会において、議員定数の削減案が提案されました。
 そして、自分は当時、新自治研究会に所属して、幹事長という役職を預かり、定数4減に対する賛成討論を実施しました。
 そして、討論の最後に付けて「会派を退会します」と発言しました。その後、休憩となり、休憩に入った時に渡辺副議長から、『お前!本会議で何をやってんだぁ!!』と思いっきり、怒られました。

 自分の発言はさておいて、なぜ渡辺副議長は怒ったのか・・・は、後でもその訳を聞かなかったので、分かりません。
 ですが、現代社会において、本気で怒ってくれる。という人は、そうざらにいるとは思えません。

葬儀の時、祭壇には、各種の表彰状がありました。
左は『50年党員証』で2年前に発行されていますが、入党は1960年9月となっています。自分は1961年生まれですので、自分が生まれた時には党員だったという事ですね。
  
右の写真は、昨年受賞した、議員35年の感謝状です。重たい感謝状ですし、持っておられる方は、そうはいないでしょうね。


 お酒が好きで、また、タバコについても、常に煙をはいておられました。それこそ、時間が許せば、朝まで飲んでいたような方でした。

 選挙の時、選挙カーで回っていて、一番困るのはトイレですが、沢町観光トイレに停車すると、どういう訳か渡辺選隊も来ます。
 15年、19年と渡辺選隊はトラックでは無く、ワゴン車となっており、「副議長、ワゴン車なんて、気合入ってないなぁ。余市の選挙はトラックでなきゃ落選するよ〜」と言うと、どいう訳か、渡辺選隊の運動員も『そうだ、そうだ』と声がかかり、本人は、頭をかいて『いゃ〜、トラック無かったんだぁ〜』と苦しい言い訳をしておられ、笑っていた事が思い出されます。


 平成23年の改選後、議長選挙の後、副議長選挙と進みましたが、様々な経過の中で、うちの会派で『副議長を取りに行く』という結論に達しました。
 そして、自分が出るか、また、土屋議員が出るのかを、自身でも決められず、渡辺議員と話をしました。
 自分自身でも副議長に出馬をすべきなのかどうか。また、自分としては議長選挙においては中井と書かなかった事により、仮に副議長に当選をしたとするならば、議長とうまくやっていけるのか。という事に関しても、今一つ、自信がありませんでした。
 そして、渡辺議員と二人で話をして、『お前が出れ』と強く言われ、副議長選挙に名乗りを上げる事としました。
 そして、結果としては、自分が一票差で負けてしまったのですが、この後、渡辺議員は、自分に対して、『申し訳無かった』と頭を下げてくれました。
 自分としては、投票結果は投票結果であって、また、けっして乗り気では無かった事もあり、謝ってもらう筋合いのものでもなく、逆に「頭を下げさせる結果となってしまい、申し訳無かったなぁ」と感じていました。
 結果に対しての責任の取り方、また、人への配慮、さらには、議員として、数多く見習うべきものがあった方だと思っています。
 
 渡辺議員は議員になる前は営林署に勤めておられ、『共産党やっていたら、飛ばされてよぅ。夕張の山の中で、熊と一緒にいてよう。山の中だから、どこにも遊びに行けないし、暗くなったら毎晩、酒しか楽しみがなくってな。営林署を辞めて議員にたった。』とユーモアを交えて話されていた事を、つい昨日のように思い出されます。

 おそらく、議員としては、任期途中で辞する事となった事は、本人も悔やんでいると思います。ですが、間違いなく、名前と伝説を残し続けた名議員であった事は、間違いない事実ではないでしょうか・・・


 ちなみに、葬儀委員長につていは、生前、本人が『野呂栄に頼め』と奥様に言っておられたようです。
 これは、年齢も近い。また、同期当選組だったからではないか。と想像しており、野呂栄氏が葬儀委員長でした。また、告別式においての弔辞は、嶋町長、安宅俊威議員、外2名の4名の方が実施しました。

平成20年8月後志議員研修会
 
                平成21年10月余市町議会の議員研修会


 さて、現職の議員が亡くなった。という事で、世間としての注目事項は『補欠選挙あるの?』と言う事は、興味のある所で、『補欠選挙は実施されるの?』と質問される方も多くおります。


 話題は少しそれますが、現職の議員が亡くなるのは、けっして珍しい事ではありません。
 自分が議員に就任してからですが、平成11年の期には、中根議員が逝去されております。また、この時は、3名の議員が体調不良で長期欠席となっていました。
 自分が就任する以前では、樋口議員、西崎議員も任期途中で逝去されておられ、けっして珍しい事ではありませんが、どの場合でも、補欠選挙は行われておりません。
 これは、補欠選挙をする条件に達していなかった事によります。


 

 という訳で、本題に入りましょう。

 結論から言えば、「現時点では補欠選挙はありません。ですが、2年以内には、補欠選挙は実施されます。」です。
 え?現在の議員の任期満了は平成27年8月ですが、2年後とえば、平成26年という事なります・・・・

 
まもなく冬・・・10月26日、美園街路で街路樹の冬支度がされていました。丸坊主になるのですが、1年たてば、元に戻ります〜


 まず、議員選挙に関しては、投票により当落が決定されますが、最下位のすぐ下の候補者は、次点者となります。現時点の余市町議会の場合は、18名が定数ですので、19番目の候補者が、これに当たります。
 まず、この次点者の繰り上げ当選ですが、次点候補者の有効期限は3ケ月となっています。つまり、選挙終了後、3カ月以内に欠員が出れば、自動的に繰り上げ当選となります。ですが、4カ月目に入ると、その権利はなくなります。
 今回の場合は、改選後、すでに14カ月を過ぎているので、この規定は当てはまりません。つまり、繰り上げ当選者は『無し』です。


 さて、補欠選挙についてですが、議員定数の割合から算出され、18名の定数の場合は、3名の欠員が発生した場合は、補欠選挙が実施されます。
 つまり、15名となった場合は、3名の補充をするために選挙が行われます。この場合の議員任期ですが、27年8月までとなっており、つまり、残任期間のみ。という事となります。
 ただし、任期満了の日から起算して、6カ月以上なければ、実施されません。つまり、平成27年2月中旬を過ぎてからは、3名以上の欠員となっても、補欠選挙は実施されません。

 では、なぜ、平成26年に補欠選挙なのか?ですが・・・・・

 補欠選挙に関しては、もう一つ項目があります。簡単に言えば、『議員任期満了前に、また、任期満了6カ月以上前に首長選挙がある場合は、補欠選挙を行う』という事です。

 平成19年までは、町長・議員と同一選挙でしたが、上野町長が辞職した事により、町長選挙の日程が変わり、22年9月に行われました。
 つまり、次の町長選挙は、26年9月ですから、この時に、議員の補欠選挙も一緒に実施しなければなりません。
 現時点で1名が欠員ですので、最低1名。また、26年9月までの間に、さらに1名の欠員が出れば、2名の補欠選挙が実施されます。
 また、町長の任期は前掲のように26年9月ですが、可能性の問題として、不慮の事故や場合によっては辞任する可能性もあり、町長選挙が早く行われる可能性もあります。
 この場合、当然、一緒に議員の補欠選挙も実施しなければならない事となることから、一カ月後に議員の補欠選挙の可能性も『0』ではありません。
 

 では、その時の選挙はどうなるのか・・・ですが、これもまた、読みが難しい・・・という事になります。

 まず、いつ行われるのか?は、前掲のように、最大限伸びて、平成26年9月です。つまり、いつ行われるかは、本当に分からない。という事で、その準備は、今からでもしておかなければならない。という事となります。

 こうなると、組織を持っている場合が有利で、一般的には『政党』という事となりますが、今回、共産党としては1議席が減となった事により、当然、返り咲きを狙って来ると思われます。
 また、組織を持っている。という事では公明党と民主党・連合という事となります。
 

 町長選挙については、告示となり、二通りが考えられます。
 まず、投票を伴う場合ですが、前回の町長選挙の数値は以下の通りとなっています。

  年月    有権者総数  総投票数   投票率
平成22年9月 17932  11754  65.55%
平成19年8月 18559  無投票で 議員選挙は72.57%
平成15年8月 19103  15353  80.37%
平成11年8月 19315  15376  79.61%

 人口減も加速しており、平成26年は、おそらく、17500前後の有権者総数となるのではないか。と予想されます。そして、投票率も、年々減少傾向にあり、仮に60%と仮定すれば、投票総数としては10500票を争う事となります。
 つまり、単純計算で5000票を越えなければ、当選ラインは見えてこない。という事となります。

 議員の補欠選挙は、余市町では初めて実施されることとなりますが、議員選挙も定数と立候補者数の関係にもよりますが、町長選と同じだけの得票を得なければならない。という事であって、これは、非常に大変な事ではないでしょうか。
 ちなみに、これは、町長選挙において投票を伴う場合であって、町長選挙が無投票の可能性もあります。
 
10月28日、あゆ場公園パークゴルフ場は、シーズンも終わりという事で、多くの方が楽しんでおられました。相変わらずの人気のようですね。

 無投票の場合はどうなるのか・・・ですが、当然、議員の補欠選挙も1名しか立候補の届け出が無ければ、無投票という事となりますが、こちらの方は、無投票の可能性は低いのではないか。と推測されます。

 町長選無投票の場合、投票率はグンと下がると思います。ですが、投票率の数値によって、選挙が無効となる訳でもありません。
 つまり、投票率が10%でも20%でも有効であり、その中で最大得票数を獲得した候補者が当選となります。
 ちなみに、余市町の議員で政党の公認・推薦議員の得票数は以下の通りです。

    平成23年  平成19年  平成15年
共産党  1660  2086   2003
公明党  1606  1465   1552
民主党  1466  1549   1313 ※連合推薦は除く

 民主党には、この他に連合票もある事から、平成23年の選挙結果から見れば、どの政党にもチャンスはある事になりますが、町長選挙が投票となれば、それに見合う票というのは、未知の世界です。
 また、町長選挙が無投票の場合は、投票率はかなり低くなると思いますので、保守系無所属の方でも当選の可能性が出て来るでしょうが、これとて、2000票前後を獲得しなければならないという事となります。

 どちらにしても、今から準備をしておかなければならないという事で、準備期間の長〜い選挙となる事だけは確かなようです。

 
町内の某所にある、『双碧の溜り』地下水がわき出ている所です〜場所は・・・内緒です〜

 渡辺議員が亡くなった事により、今後、各種委員会の委員の入れ替え、また、総務文教常任委員会は、渡辺議員が委員長だったことにより、委員長を再度、決め直さなければなりません。
 また、これによって、3名会派としては、議長会派の『明政会』と『よいち未来』だけとなってしまいますが、明政会は議長を出している関係で実質的には2名であって、最大会派が3名で1会派。2名会派が4会派となれば、本会議における採決では、本当に読めない状況となるのではないか。と予想されます。

 今後に与える影響も含め、渡辺議員の逝去は、本当に痛いなぁ。と感じているのは、自分だけ・・・でしょうか。

 ご冥福をお祈り致すとともに、余市町の未来を御加護下さい。
                               合掌