独り言 平成23年9月3日UP
          ☆議長選挙一考☆

 議員選挙が終わっての初議会では、人事について多くの駆け引きが行われ、なかなか決まらない。という事がよく言われます。
 では余市町の議会はどうなのか・・・自分が体験した中では、会派間の駆け引きで話し合いが付かず。結果として数の論理で決まる。というパターンが繰り返されています。
 昔は、過半数を持つ会派があって、その中で決められていた。という話も聞きますし、以前は話し合いで決まっていたようですが、自分が当選した平成11年からは、全て『選挙』という結果となっていました。
 
 さて、今回、改めてHPの威力というか、住民の方は情報を求めている。興味本位という側面を含め、けっして住民は無関心ではない、という事を自分のHPアクセス数を見て感じています。
 議員選挙結果については、投票日を含め、3日間で、1000件のアクセス。また、8月29日の臨時会の日は130件のアクセス。30日は160件となり、31日の朝刊に議長選挙のみの結果が出された事もあって、その後の結果を知りたい。という事でしょうか・・・31日は289件のアクセスがありました。
 また、9月1日も『その後の記事』との希望なのでしょうか・・・・150オーバーとなっています。


 この手の問題は、様々な面で今後に影響を及ぼす事もあって、当初、綴るつもりは無かったのですが、これだけの期待がある事。また、9月1日の新聞記事を読んで、「うーん、記事そのものに間違いもは無いけれども、少しニュアンスが違うなぁ」という部分もありました。
 新聞記事に氏名が掲載され者、つまり副議長選挙に名前が上がった者として、その経過というか、こういう考え方だった。という事を綴っておきたいと考えています。


 ちなみに、毎度のごとく、当然、長〜くなるでしょうし、公開出来る部分とそうでない部分があり、ある面では内部告発をする。というようなものである事から、当事者の一人として、それが許されるのかどうか。さらには、自分は会派代表者では無いことから、話し合いの中心であった『世話人会』には出席しておらず、思い込みや認識違いという面も含めて、非常に微妙な所にありますので、その点は、割り引いて、また、背景を想像しながら予測してもらえれば、有り難いです。


 さて、今回の議員選挙の結果、当選者の期数としては、10期生が2名、その下は一気に下がり5期生2名。4期生3名。3期生9名。1期生2名という陣容となりました。

 議会人事についての考え方というか、自分の予測としては、10期生である安宅・渡辺議員は、過去に連続して正副議長という事もあり多選批判がある。5期生の吉田豊議員も昨年の町長選挙に出馬した関係がある。4期生の自分は前期の4年間無会派だった。
 という訳で、1期生を除いて全員にそのチャンスがあり、だれが正副議長となっても、『えぇ〜!!』という声が出ることを予想していました。

 また、議長の登竜門かどうかは解りませんが、議事運営上で経験しておかなければならない、議会運営委員会の委員長についても、今回の当選議員の中では、自分と土屋議員の2名のみ。
 副議長・監査委員の経験という事でも、10期生が長年やっていた事もあり、その二人を除けは、三役経験者は『ゼロ』という状況でした。
 ちなみに、今回の選挙に立候補をした中では、これらの要件を満たしていたのは1名の候補者のみであり、今回再選出来れば8期目という事で、もっとも議長に近いポジションであった事には違いなかったのでしょうが、結果これもまた運命だっと思います。そしてこれもまた運命なのでしょうが、再選8期組からは、ついに議長は輩出されずに議員職を去った事となりました。

 要件を満たしている議員が不在であれば、三役経験・議会運営委員長の経験無しでの3期生の議長誕生もありうる。と考えていましたし、結果としても、3期生の議長誕生となりました。また、投票の結果、かろうじて過半数を獲得出来た正副議長が誕生した。という結果でした。
 正に神が微笑んだ、偶然と強運を持っていた方が、各種の役職を射止めたといえる人事であったと感じています。


 さて、どの議会でも、正副議長の決定つにいては、第一会派が議長で第二会派が副議長というパターンが比較的多く、それが出来ない場合は、第三会派が付いた方が勝つ。つまり、第三会派が『漁夫の利』を得る事になります。

 また、その過程における会派の組み合わせついては、無所属といえども、自民系・民主系というように自らが支持している政党が基本となります。
 規模が大きくなれば、その傾向が強くなって来るのでしょうし、また、今は何を持って保守なのか?が言われるように、ある程度の人数が集まれば、保守会派が割れる傾向にもあります。
 逆に極端に少なくなれば、議会運営のために、協力して行かなければ、議会そのものが動かなくなるのでしょうが、「中規模」となればどうでしょうか・・・・

 結果として、離合集散を繰り返し、また、議長が変わる時期や、会派構成が大きく変わる時期は、結果として混乱する事は、けっして否めません。
 
 余市町の議会は・・・・改選期ではいつも会派構成が変わっており、すんなり行かない。その中でも、今回は特別というか、自分が期待していた結果とは、まったく違う、予想外の結果となってしまいました。



 自分が当選した平成11年当時、議員定数は22名であり、政党内訳としては共産党4名、公明党2名、社会党1名、連合系3名、後は保守系無所属12名でした。
 この12名ついては、その以前から、それなりの会派間の移動がされていたようで、つまり『あいつとは一緒に出来ない』という事となれば、離合集散を繰り返して行きます。
 また選挙という関門をくぐる以上、同じ会派であっても、選挙はライバルであり、選挙のマナーも含めて、選挙が終わって『あいつとは組めない』という事も発生する場合もあります。さらには同じ会派内でも同レベルのライバルがいれば、役職を巡り別れて行くのが自然の流れです。
 それらを経て、議員選挙が終われば、第一会派を目指して、特に議長をやりたい人がいれば、まずは第一会派を目指して会派構成をして行きます。

 そして平成11年当時の会派結成状況は、
町政クラブ7名  新政会6名  共産党4名  町民連合3名 公明党2名

 詳しくは不明ですが、余市町議会でも、ある時期においては、第一会派が議長、第二会派が副議長という時代もあったようですが、平成11年の時は、第二会派の新政会側から『議長は選挙で』という事が猛烈に言われ、結果として選挙をする事になりました。

 ここで問題となるのは、議長選挙と副議長選挙は、議題としては別個に扱われます。つまり、議長選挙と副議長選挙は、連動しているようで、別々に決めるもので、投票行動も同一になるとは限らず、100%結果が見えている。というものでもありません。

 ちなみに、議長が選出されるまでの間、議事は仮議長が進めます。仮議長は最年長の議員が行う決まりとなっており、議長決定後、新議長の元で、副議長選挙が行われます。

 また、当選は、法定得票数を獲得した者の中で最得票者。同数の場合はくじ引き。となっており、つまり、過半数が無くとも当選出来る可能性があります。ですが、まずは過半数を目指します。
 ちなみに、法定得票数とは、議員定数×率で出される数値であり、議員定数が変わることによって数値が変わります。今の定数、18名の場合の法定得票は5票であって、場合によっては5票で議長に当選、という場合もありえます。


 さて、平成11年の時は、過半数の11に届く組み合わせは、町政クラブ+共産党という事となります。反対に新政会が11に届くためには共産党が入れたとしても11には届かず、どういう組み合わせをしたとしても3会派の協力が必要となってしまいます。結果としては、これが出来た側が勝者となります。
 投票結果としては議長においては12対10となりましたが、副議長においては、投票行動が変わり、11対11、まつり、副議長においては、新政会は3会派の協力を得たという結果となりました。
 という訳で、同数となった事により『くじ引き』が行われ、その結果、明政会側の候補者がハズレを引いた事により、渡辺議員が副議長と決定しました。

 結果としては第一会派と第三会派の共産党のいう組み合わせになってしまいましが、第二会派の新政会が副議長となってもおかしくありませんでした。
 なお、この時に監査委員は第一会派から選出されました。


 その後の任期の中で、第一会派である町政クラブは民友クラブとに分裂。新政会は任期満了前に解散。15年の選挙後には第4会派である町民連合も、会派分裂ということになってしまいました。
 そして、平成15年の議員選挙は、定数22名に対し、新人が7名当選するということになりました。

 議員選挙後の会派構成としては、新政会が母体(自分ではそういう認識です)となって新会派の明政会が8名、民友クラブと町民連合が母体となって、こちらも新会派として新自治研究会7名としてスタート。この他の会派としは、共産党4名、公明党2名、無会派1名でした。
 11年の会派が母体になっている以上、対立構造はそのままの形となっており、正副議長の選出については、第二会派の新自治研究会側から『選挙』と言われ、第一会派の明政会は11年の時に選挙を言い出した過程がある事から、選挙を受けざるを得なかった。という結果となってしまいました。
 投票結果としては、新自治研究会+共産党+無会派=12であり、議長は第一会派。副議長は第三会派の共産党。その後の監査委員は第二会派の明政会という結果となりました。

 その後の任期の中では、自分は選択して、無会派となったのですが、会派間対立に対し疑問を持っていた事も、背景の一つであった事には違いありません。また、第二会派からも1名が離れるという事態も発生していました。

 平成19年の議員改選期では、定数が22名から4名減の18名(現在も18名)となり、選挙結果としては、新人が1名と返り咲きの1名が加わりましたが、会派の基本線は変わっていませんでした。
 その中で、自分としては、過去の経験から『過半数を獲得出来る会派』を目指し、話し合いを進めましたが、それが達成出来ない結果となってしまいました。
 「目的が達成出来なかったので、どこかの会派に所属する」では筋が通らないと考え、自ら無会派を選択しましたが、議会運営上では出来うる限りの協力をするつもりでした。
 会派構成としは、新自治研究会5名、明政会4名、共産党3名、清新会3名、公明党2名、無会派の自分という事となりました。
 正副議長については三度選挙となったのてすが、選挙結果としては、第一会派の新自治研究会から議長、第三会派の共産党から副議長、監査委員も第三会派の清新会という事となりました。
 ちなみに、この時、自分の所には第二会派からの協力要請は一切ありませんでした。


 その後の任期の中では、任期の折り返し時期に清新会が解散。結果として、新自治研究会が+2名の7名となり、無会派が+1の自分と合わせ2名となりました。


 さて、今回の議員改選期に当たっては、自分としては、「自らを含め、無会派議員は作らない。作ってはいけない」という考え方を持っていました。
 この4年間、無会派議員をしていて、議員活動上は取りだてて不自由は感じる事はありませんでしたが、議会ルール上において会派運営をしている以上、無会派議員がいることはけっして好ましい事でない。とも感じていました。
 また、役職については、自分は4年間無会派であった事もあり、他の議員に迷惑を掛けていた事でもあり、自らが手を上げるべきではない。とも考えていました。
 議員選挙終了後から21日まで間で、新会派の立ち上げ、既存の会派への所属も含め、会派所属を考え、数名の議員と接触しましたが、既存会派から誘いがあったのは、一会派のみでした。

 それらの過程を経た中で、また、任期満了日に、新自治研究会に退会届けを提出した後、つまり無会派となってからの土屋議員と接触。結果として新人の岸本議員と3名とで新会派を組むことに合意をしました。なお、会派の代表としては、土屋・岸本議員はどちらも民主党推薦議員でもある事から土屋議員という事となりました。


 さて、22日の議員協議会の模様は、8月24日にUPした「独り言」に掲載の通りでしたが、議長選出に至る基本的な考え方として、「会派届けは議長選挙の前哨戦であり、また、その過程の中では、無会派を作らない」というコンセプトを持っていました。
 協議会初日の22日、朝の時点では、我が会派は会派名も決定していた事もあり、すぐに会派届けを提出すことは可能でしたが、届けを出すことは、自らの会派に塀を巡らす事にもなり、「門戸は広げておこう」という考え方の下、他会派の状況を見ながら提出する事にしていました。
 また、その過程の中で、第一会派を目指していた訳ではありませんが、第一会派になる可能性も残しておきました。

 他の会派届け状況としては、政党会派である共産党・公明党は、22日の午前中に提出したようです。また、明政会も4名で22日の昼過ぎには届け出を済ませたようでした。
 この時点で届け出の無い議員は9名でしたが、19年の改選後の議員協議会の時も、二日間にわたって協議をしていた関係もあり、また、日程としても非公式ながら二日間を見込んでいた事もありました。
 結果として、22日は午後3時頃に終了しましたが、一応の取り決めとして『23日の10時までに提出する』という申し合わせをして延会となりました。

 当然ですが、会派構成=議長選出があり、22日の延会後、それぞれが話し合いをしていたようですが、自分の所には、土屋・岸本議員を除いた、どの議員からも接触はありませんでした。

 さて、23日となり、昨日の申し合わせの通り、午前10時前には我々3名で『よいち未来』として会派届けを提出。佐藤・彫谷議員も『明友会』として提出しましたが、残り4名の議員がどう動くのかは、まったく分かりませんでした。
 その4名で断続的には話し合いがされており、結果として4名で新自治研究会として届け出がされたのは、午後2時を過ぎた頃だったと記憶しています。

 会派届けが出された結果、
 第一会派  明政会4名  新自治研究会4名
 第三会派  共産党3名  よいち未来3名
 第五会派  公明党2名  明友会2名 という、偶然ですが、同数会派となってしまいました。

 会派が出揃った事により、各会派から代表者が出され、会派間の交渉をする『世話人会』が発足。その中で、話し合いが進められる事となります。
 当然というか、第一会派が議長を出す優先権があり、奇しくも二つの会派が同数となってしまい、また、どちらの会派からも議長候補が出される事となりました。

 自分としては、第一会派が2つ出来た以上、また、過去における正副議長選挙の結果からして、選挙となればシコリが残る事も予想されるので、両方の会派で話し合い、正副議長を選出してくれればと考えていました。
 この考え方は、ある程度の議員も共通していた事項だと思いますが、話し合いは平行線をたどりました。

 会派間の多数工作は別として、『時間切れ』となれば、選挙とならざるを得ないのは必定であり、逆に、選挙をしないために、最後まで話し合いを続ける。という事で、あえて結論(投票で行うのか)を先延ばしにした。というのが23日終了時点の考え方であったと、自分は認識していました。

 また、23日の昼頃だったと記憶していますが、明政会側より、自分個人に対しても、『◎◎でお願いしたい。明政会としては議長を頂ければ、後の役職は、他の会派で受けてもらいたい。よいち未来には、議運でお願いしたい』との話も出されました。
 一方、新自治研究会側からは、23日以降、候補が変わる前日の29日までの間に公式・非公式・個別を問わず、『◎◎でお願いしたい』という打診は電話を含め自分にはありませんでした。


 結果としては、23日も時間切れとなり、話し合いの続きは29日の臨時会招集日へと移る事となりますが、その間、水面下でそれぞれが動いていたのだと推測していますが、自分の所には、他会派所属議員からの接触はありませんでした。


 第4回臨時会開催日の29日、結果として、明政会と新自治研究会を中心に断続的に話し合いが行われていました。
 その間は待つしかないのですが、どちらかが一歩下がるか、または、第三会派を巻き込み、第三会派から議長・または副議長を選出する。という手法もあるのでしょうが、第三会派である、よいち未来に対しては、どちらの会派からも、その話は無かったという認識を持っています。
 また、この他の選択肢として第三会派以下から出すとしても、「手を上げる議員」が居なければ成り立たない話であり、また、今後の議会運営を考えた場合、また、自分の考え方、つまり両会派で正副議長を選出してほしいという考えからは外れる事となり、話の筋としても通らない事項でした。

 尚、会派間での話の取りまとめや協議事項は、会派から出された代表者で構成する『世話人会』で取りまとめられ進められます。
 この世話人会の中では、最年長議員が座長として仕切り、今回は渡辺議員がその任となって、進められており、決定事項は各会派の代表者を通じて、各会派所属議員に伝えられます。ちなみに、よいち未来としては、会派代表者である土屋議員が世話人会に出席していました。


 29日の段階で、第一会派どうしで、断続的に協議が進められていたようですが、どういった内容のやり取りがされたのかは、第三会派所属で、また、会派の代表者でも無い自分が、予測で綴る話では無いので、正確な所は解りません。ですが、流れ的なものは、多数派工作を含め、進められるのが常となっています。

 議長選挙は単独で行いますが、副議長にも密接に関連しています。また、第三会派以下では、議長候補者は不在であったとしても、副議長や監査委員を立てる場合もあり、これらを含め水面下で話し合われるのも常です。


 さて、『選挙ならば、立候補者同士で、立ち会い演説でもさせて、それで判断すれば良いでしょう。』という意見を言われる方もいます。
 一般的には『議長選挙』と言いますが、正確に言えば『選挙』ではなく『投票』です。
 議長・副議長の選挙については、立候補制を取っている訳ではありません。では、どうやって選挙をするのか?ですが、議員18名の中で、各議員が意中とする議員の氏名を配布された投票用紙に書き投票します。
 それに至る過程として、水面下を含め、『◎◎議員を頼む』と言って来るのですが、前掲の世話人会の中で、議長候補者名が出される場合と、出されない場合があります。
 『うちの◎◎議員を議長にして頂きたい』という場合と『うちの会派から議長を出させて頂きたい』という二つの場合があり、これは交渉のテクニックでもあるのですが、言うか言わないかは、相手側次第、様子を見ながら。という事で、候補者名が公に出されないで行われるのも珍しくありません。
 つまり名乗りが上がらない、立候補表明の必要が無い選挙ですので、『投票』となります。


 ちなみに、今回の場合は、23日の時点、つまり、議員協議会の二日目の時点で、第一会派各々から、候補者名が出されたようで(自分は世話人会に出席していない以上、正確には分かりません)、この2名で29日も話し合いが行われていました。
 ところが、これは新聞掲載内容の通りですが、30日になってから両会派の候補者がどちらも下がってしまった。つまり、白紙に戻ってしまいました。
 以後、この世話人会の中では、次の候補者名が上がった訳ではなく、また、時間はとおに経過していた事もあり、これ以上の引き伸ばしは出来ない事もあって、『議長選挙は投票で行う』という事だけが決定されました。


 さて、投票がされた場合の『結果』ですが、正副議長選挙における『当選者』は『過半数を越える者』ではありません。
 『え?どういう事なの?』ですが、当選者は『法定得票数を獲得』したの中で、もっとも票の多い議員。という事になります。
 法定投票数ですが、率は◎/◎とあり、これは変化しませんが、定数によって数値が変わります。
 定数18名に対しての法定得票数は5票であり、つまり、5票以上獲得した議員の中で、もっとも多い議員。同数の場合は両者でくじ引き。という事に決まっています。
 18名の過半数は9ですが、場合によっては、8票で議長、5票でも可能性はあります。ですが、議会運営上では、過半数を越える数が、安定的に議会運営が出来る。つまり議長に対し与党議員が過半数を越えれば、安定的に議会運営が出来る事であり、まずは、10票を目指して行きます。
 なぜ、10票なのかですが、議長が選出されれば、議長は、採決結果が同数になった場合のみ、採決権を有する事となっています。9票で当選者となった場合は、自らは議長席に移動するために1票減となる事から、過半数の9票を確保するためには、選挙時には10票が必要です。


 
 さて、29日は朝から、断続的に話し合いが進められましたが、第一会派どうし、妥協点は見いだせず、結果、午後8時になりました。
 結論が出なかったこともあるでしょうが、少なくとも、両者粘り強く協議を重ねていた事は、話が付く可能性も『ゼロ』ではなかったという事です。
 しかしながら本当に時間切れとなりつつある事から、この日は『明日30日、午前10時から再開し、最後の協議を行い、話し合いが付かなければ投票を行う』との結論に達しました。もはや万策尽きたのかもしれませんが、政治は夜に動く場合もあるとも感じていました。

 そして29日、午後8時以降に、動きがあったようです。

 翌日、30日、午前10時過に世話人会が開催。その中で、『最初に新自治研究会から現在の議長候補者の辞退が発言されて、その後、明政会からも現在の候補者の辞退が発言された』という事となりました。つまり、両会派から出されていた候補者が、どちらも降りる結果となってしまいました。
 これには本当に驚きましたし、「今までやっていたのは何なの?」というのが正直な感想でした。
 その後の進行としては、『議長選挙は投票で行う』との決定がされただけでした。つまり、世話人会の中では、どの会派からも『我が会派で議長をやらせてほしい』とか『我が会派の☆☆でお願いしたい』という発言は無かった。その中で『投票』が行われる事となりました。

 実際の投票に入るまでの間、明政会側からは『中井議員でお願いしたい』との依頼が来ましたが、これは世話人会経由ではありません。一方、新自治研究会側からは、『◎◎でお願いしたい』との依頼は自分の所にも、会派にもありませんでしたが、憶測して『◇◇ではないのか?』と、勝手に予想が立てられていました。


 結果、午後3時過ぎに投票に入り、投票結果は
 中井議員10票  渡辺議員3票  白票4票  欠席1 となり、中井議員が議長を射止めた結果となりました。

 余市町の議長では、3期目、つまり議員経験8年で議長席に座るのも初めてであり、また、副議長・監査委員・議会運営委員長の経験も無く、議長になったのも初めてという結果となりました。
 ちなみに、投票の中に新自治研究会所属の議員の名前が無いのですが、世話人会の中で要求した訳でもありませんし、個々にも依頼もされなかったと推測される事から、信義に反するものでは無い。と判断しています。


 さて、ここでの投票行動ですが、明確に言えるのは、投票をしなかった、欠席していた議員は安宅議員でした。また、自分は白票を入れました。
 残りの投票は、予想は付きますが、断定は出来ない以上、「こう書いただろう」とも言えません。ただ、会派構成数と、欠席議員と自分の票を見れば、だれが、どう投票したのかは予想が付きます。

 自分としては、29日までの候補者の場合、つまり氏名の上がった二人の議員では、どちらに入れるのかは明確に決めていました。
 ですが、候補者が変われば、考えも変わるでしょうし、議長選挙において、どの会派とも『共同戦線』つまり、『議長に◎◎を入れるかわり、副議長(または監査)を☆☆で頼む』という話を、会派としても個人としてもしていたという認識はありません。
 また、新自治研究会側の候補予定者は『?』であり、あくまでも、勝手に予想をした中での話でした。

 自分としては最後まで、第一会派どうしで、正副議長を分けてほしい。その可能性は限りなくゼロであっても、その願望は持ち続けていました。
 結果、自分は白票を選択しましたが、議員個々にも個々の付き合いもある以上、会派拘束というのもいかがなものか。という考えもありました。

 この手の会派拘束に関しては、自分は過去の経験の中で、迷いながら、投票をした記憶がありました。
 会派=議長選挙を勝ち抜くため。のものである事は否定しませんし、それで会派の一員となった以上、そして、議長を会派として獲得するためには、他の会派と協力をしていかなければ、結果として勝ち取れない。
 それが心に反していても、会派として投票に加わった以上、反対行動は議員の信義に反する事となりますが、これを経験した記憶がありました。

 この手の事例で会派拘束をかけて同一行動が取れないのであれば、会派には残れないものであり、最近の事例では、菅前首相の不信任案が提出された時、賛成票を投じた議員が除名された。という事例がありました。
 会派としての同一行動が取れないのであれば、会派を出るのがルールであり、会派に残るのであれば、心に反しても行わなければなりません。これが『信義』であろうと自分は考えています。

 今回の事例で会派拘束が取れるのか。また、会派代表である土屋議員からは『自主投票で行きましょう』という意見も出されていしました。
 さらには、議会運営上においての過半数である9票は確保出来る。つまり、投票結果として、中井議員は10票は確保しただろう。とも推測していました。
 これらの事由によって、自分としては白票を入れ、また、中井議員の票は自分の予想通りでした。



 さて、議長が決まった事により、次は副議長の選出に移りますが、議長選挙と連動している場合とそうでない場合があり、また、議長が決まれば、候補予定者も変わる場合もあります。

 今回の正副議長の選出においては、自分としては、最初から「第一会派どうしで、正副議長をやってほしい」という希望をもっていました。つまり、よいち未来としては、会派としては副議長を希望していた訳ではありません。
 ですが、議長が決まった事により、また、投票結果から判断して、「うちの会派3名だけで、他の会派に働きかけること無く、吉田浩一で行こう」という話を議長戦直後の本会議場で自分から切り出しました。

 非公式ながら、当初から副議長に手を上げていたのは、5期生の佐藤議員だけであったと自分は認識していましたし、議長選挙の結果から判断して、議長選挙においては、佐藤議員は中井議員に投票したでしょう。また、佐藤議員は明友会の代表であって、世話人会にも参加していた事から、非公式も含め、その希望を明政会側に伝えていたと推測していました。
 さらに、議長選挙において、新自治研究会側の候補者の名前が無かった事は、新自治研究会としては、以後、『一切の役職は放棄する。やらない。』と表明したと自分では判断しました。
 新自治研究会が降りたと判断した以上、第三会派である、よいち未来は、手を上げても、不自然では無く、さらに、自分は議長選挙において、白票を投じた者としては、その権利はあると考えたからです。
 なぜ、「うちの会派だけ」としたのか、ですが、当初から佐藤議員が副議長に手を上げていた事を中井議員に投票した議員は知っていたであろうし、中井議員に投票したのであれば、佐藤副議長を間接的に認めたといえると考えました。
 副議長の票読みとしてもある程度の予想が付いていたので、他の会派にとやかく言う筋合いの問題では無い。結果として中井議長が誕生した以上、佐藤議員に入れないとするならば逆に『議員間の信義に反する』と考え、それを他会派に働きかける何物もないと判断したからです。


 さて、議長選挙が終了したことにより、世話人会も副議長選出に移る事になるのですが、ここで、新自治研究会が『議長に対し、会派解散届けを提出した』という事と『佐藤議員は正式に『私がやりたい』と副議長に名乗りを上げた』という事が伝達されてきました。
 当初から副議長に手を上げていたのは、佐藤議員だけであったと認識していましたし、佐藤議員からも個人的に『副議長を頼む』とも声を掛けられました。


 会派の解散ですが、会派運営をしている以上、会派解散という事は、役職を受ける権利も放棄する事となり、また、議会運営においても、いわゆる会派の代表者会議に参加する義務も無くなり、当然、現在開催されている副議長選出における世話人会への参加もしない事となります。
 無会派議員は、すべての会議(委員会の全て、また、代表者会議等の交渉的会議)に参加する事は可能ですが、義務はありません。また、その会議での発言は、その会議の出席者の同意が無ければ発言出来ないルールとなっています。
 異論がある場合でも、その会議で発言権が無い以上、無会派議員は、本会議ですることしか手立てが無く、議事の進め方においても、その意見が通らないとしても『採決を願いたい』とするしかなく、また、議長はそれに応じなければならない決まりとなっています。

 前打ち合わせ的な会議も参加しない。という事であれば、これは正副議長が、その手当を直接しなければならない。という事となりますが、一度に4名という事、さらには、『議会は経験がものをいう』世界です。
 無会派議員は自分が体験済みであり、議員活動をする上では、多少の不便はありますが、議員活動上では困る事はありません。
 ですが、議会運営上としては、4名という事は、時間と手間がかかる事になるのではないか。と推測しています。



 さて、副議長選出方法つにいては、『投票』とする事が決定され、名乗りを上げていたのは佐藤議員のみでしたが、ここで、事態が少し変わって来ました。
 だれが、どう切り出したのかは分かりませんが、『副議長はよいち未来から出してほしい』という話に発展する事になってなってしまいました。
 会派としては、自分の名前で行くことが3名の中で決められていましたが、これに賛同する他会派の議員が出て来て、『副議長を取りに行く』という事となってしまいました。

 確かに、名前を書く以上は、勝つことを前提とするのですが、今回の場合は、佐藤議員とは書けない。という性格が強い投票行動なので、『取りに行く』となれば、話が変わって来ます。
 多数派工作を含め『勝つための候補』という事となるのですが、よいち未来としては、新人の岸本議員は権利なし。また、議長への登竜門である、議会運営委員長は、土屋議員と自分は経験済み。さらには、中井議長が3期生、土屋議員も3期生である事から、権利を有している事となります。
 二人のうち、どちからで副議長を取りに行くという事となり、最初の手を上げる動機とは少し変わって来た事により、自分としても非常に判断が迷う結果となりました。


 副議長となれば、当然ですが、一般議員より忙しくなり、また、町政に対しても、より重要な位置となる事から、HP等やニュースの発行に関しても考えて発行していかなければならない。今までのように、ある面では自由気ままに発信・発行していた事が出来無くなるのではないか。これは結果として、住民の方に向けての議員活動が少なくなる事であり、自分の選挙公約と異なる事となってしまうのではないか。
 また、議長選挙で中井議員とは書いていなかった事。また、新自治研究会が解散した事により、上記のように議会運営はより難しくなった事。当然、副議長も議長と共に責任が発生します。
 中井議長に投票した議員は、間接的に佐藤副議長を認めていた事と考えられ、これを覆す事は、自分として白票を入れたので問題はありませんが、会派の中で、中井議員に投票した議員がいるとすれば、これもまた『信義』に反する事になるのではないか。
 さらには、副議長に最初に手を上げていた佐藤議員との確執も発生して来る可能性があります。



 さて、今回の人事が混乱していた?のかどうかは別として、自分の体験した中では、もっとも、時間がかかている事は事実でしたが、出来るだけ効率的に、進めようとも努力もされていました。
 その背景の一つとして、今回の臨時会では、一般の議案もあり、議会人事の決定後に、町側提出の議案審議をする事になっていた。つまり、役場職員もいつ終わるか解らない状態で待機していました。
 また、次の背景として、監査委員の問題もありました。監査委員の選出方法としては、選挙では無く、理事者側が議案として『この人が適任』ということで提案します。その推薦をするのは議会内部で決定するのですが、理事者側の議案である事から、該当者は除籍の対象となります。
 議案である以上、採決が必要で、本人除籍となる事から、16名で採決を行い、過半数の9票を越える数が必要となります。
 過去の状況では、議会内部の調整にかなりの時間が必要だった事から、改選後、3カ月ほどの時間を要した場合もあります。
 余市町の監査委員は2名体制となっており、一名は専属の専門職となっていますが、後任者が決定するまでは、前任者が継続する事となっており、11年・15年の時は、前任者が数カ月間継続していました。
 ですが、ここの部分は『議員』である事が条件であり、11年・15年の時は前任者は再選を果たしていたので、それが可能だったのですが、今回は、前任者が落選した事もあって、早急に決める必要もありました。

 これらの背景の中で、副議長・監査委員の他、各常任委員会と議会運営委員会の委員会編成と各委員長の選任。議長が交替する事によって、広域議会へ参加する議員の決定等、決めることは山ほどあります。

 これらの決定については、今までは、一つづつ順番で行っていた。つまり、副議長が取れない場合は、次の三役の一つである監査委員や委員会委員長というように、結果によって変わる場合も出て来るのですが、今回は、副議長は投票によって行うこととして、それ以外は事前に内定をするという手法が取られました。つまり全部を内定させた上で、最後に副議長が決定されるという手順となりました。

 この手法が取られたのは初めてでしたし、なんといっても時間がかかり過ぎているのは事実であり、内定の中には監査委員も含まれています。
 そして、副議長を獲得に行っている最中に、落選を予想して、『監査委員にも手を上げる』という事では筋が通らず、最終的に、監査委員に手を挙げたのは、公明党のみという事で、監査委員も決定されたのでした。
 つまり、結果としては、後で修正が効かない手法となってしまったのも事実でした。


 さて、副議長選出に戻り、会派として、よいち未来が受けざるを得ない状況となっており、自分としては、非常に迷っていました。
 自分が出た場合の得票予想。土屋議員が出た場合の得票予想。そして、就任後の議事運営。また、道議選挙・国政選挙の係わりあい。これまでの経過。
 それらを含め、最終的には自分が名乗りを上げる事を自ら決断したのでしたが、票読みについは、まったく分かりません。確定しているのは、会派の3票だけであり、後は各議員の判断に任せようという考えで、投票に臨みました。尚、自分としては自らが他の議員に「副議長を頼む」とお願いをしていません。
 ちなみに、副議長を除く委員会編成等をしていた事もあって、それなりに時間はかかっていましたが、副議長ポストを巡って、会派間の綱引きをしていたという認識は自分としてはありませんでしたし、各委員会の委員長も、新自治研究会が解散した事により、委員長は4席ある中で、5会派ですが、明友会は1名が副議長に立候補中と新人なので、権利が無い事から、混乱無く決まったのではないか。と考えています。



 投票結果としては、佐藤議員9票、吉田浩一8票となり、佐藤議員が副議長と決定しました。得票行動で、明確なものは、欠席したのは安宅議員であり、自分の1票と会派の2票、つまり3票は間違い無いでしょう。ここでもあえて票読みは明記しませんが、非常に複雑な心境でした。


 副議長の投票が終了したのは、午後9時半過ぎだったと記憶しており、その後は、すでに委員会等の割り振りは決定されている事から、後は事務的に、こなして行くだけですが、やはり議会ルールがあって、休憩を挟みながらの進行であり、当然、口述書の関係もあって、なかなか進みません。
 そうこうしているうちに、29日から30日へと日付が変わる頃となり、会期日程の変更や会議時間変更が議題に追加され、また、議題に追加される場合は、議会運営委員会を開催しなければならない。という仕事も増えます。
 最終的に実質的な理事者側提案の議題に入ったのは、深夜の午前1時を過ぎた頃だと記憶しています。

 この時間帯になると、また、議員側は朝から話し合いをしていた事もあり、ヘロヘロ状態となっていますし、また、普段なら就寝している時間です。
 さらには、食事として取ったのは、前日の昼食で、その後は議場にいる議員・議会事務局員も全員食事を取っていない中での進行。
 また、役場庁舎には網戸が設置されていないために、暗くなると窓を閉めなければなりません。暑い中で、本会議では上着着用です。暑くての汗なのか、疲れから来るアブラ汗なのかは、分かりませんが、とにかく、汗も出て来ます。
 増えるのは、控室に設置されているコーヒーを飲む量とタバコを吸う議員は、タバコの吸い過ぎで、胸が悪くなっても、吸っている・・・・・
 本会議ではウトウトする議員もいるのが当然ですが、理事者側議案に対しての、質疑応答では、発言した議員は、吉田豊議員と自分の二人であり、また、これが同時に挙手をしました。自分としても「さすが、吉田豊だよねぇ〜」と感じていましたし、相手も『やっぱり浩一だよね〜』と感じていたと推測しています。


 最終的に全ての日程が終了したのは、午前2時22分でしたが、余市町の議会では、自分としては始めてでしだが、日付を越えた深夜議会は、過去に数度あったそうです。


 さて、このHPも、非常に長くなっており、画面で読まれている方は、相当ストレスがたまっていると思います。なんたって、普段のニュース並の分量となっています(^^;)

 今回の結果としては、第一会派と第五会派の2会派で三役を分けた事となり、会派構成から見た場合は、あまり無いパターンであったと考えていますが、副議長は5期生、監査委員は4期生という事では順当だったと感じています。
 今回の議会は、確かに混乱もしていましたし、外側から見れば『おかしいでしょう』と思う方もいるとは思いますが、理想と現実、そして各自の思惑が複雑に絡み合って、そこから生み出された結果でしかありまん。


 これに至る過程としては、綴りましたように、会派構成の仕方によって、結果としては少数会派ばかりになってしまった。また、多数となる第一会派が組めなかった事にあります。単独の第一会派が出来れば『そこで』となったのかもしれません。

 さらには、今後の議会運営を見た場合でも、どういう組み合わせをしても、2会派では過半数に届かない。場合によっては4会派が必要という事となり、役場側としても、難しい議会運営をして行かなければならないと推測されます。
 この背景には、住民要望の多様化に伴い、議員の考え方として、一つの方向性が見いだせない。また、定数の削減によって、第一会派といっても、多数会派とはならない。
 その中で、選挙をすれば、政党所属や政党支援をもらえる候補者が勝ち残れる、つまり、これが無い候補者は当選出来ない。という現実もあります。

 これらを加味した時、これは今後も繰り返される可能性もあり、さらには、会派運営という議会の運営方式が、今後も維持して行けるのか。特に、現在4名ですが、あと2名の議員が無会派となれば、全体の1/3が無会派議員という事となります。
 6名が無会派となれば、この6名で委員長のイスを1つは確実に取る事が可能ですし、場合によっては2つの委員長席を獲得出来る可能性もあります。
 これは会派運営制度の崩壊を意味し、こうなれば、予備的打ち合わせが出来ないまま本会議開催となり、それこそ、まとまるものもまとまりません。
 議会運営が混乱すれば、当然ですが、議会的にも行政的にも混乱をする事になり、結果として住民に対しては不利益となります。

 
 選挙制度に問題があるのか、また、議会運営の仕方の問題なのか。そういう時代に突入したのかは、解りませんが、全体として変わらない限り、二度、三度発生しうる可能性があるのではないでしょうか。


 大変、長くなりましたが、某掲示板にも『説明せよ!』との書き込みもありました。
 満足行く、また、長くて、長くて、『理解不能!』と言われるかもしれませんが・・・・流れと背景はご理解賜りたいと存じます。

 いゃ〜、読む方も大変でしょうが、作成者は、もっと大変〜〜なんですよ!!


 台風の影響もあって大雨が降り続いています・・・昨年7月の大雨で被害が発生、それの再来とならない事を祈っています・・・
 ・・・今週は役場職員にとっては、まさに内も外もドシャ降りです。役場の3階も天気も職員としては、どうにもならない。発生した結果に、迅速に機敏に対応して行かなければならない。それも時間を問わず、夜中であろうとも・・・・

 そして、議員もまた、そうでならなければならないと痛感しています。

                                 以上 
  ・・・・・・文字数は1万8千字くらいでしょうね(^^;)


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