独り言 平成19年8月19日UP
     ☆会派構成へ向けて☆


 熱い選挙戦が終わった途端、暑い夏がやって来た。今は、幾分、涼しくなったが、もし、これが選挙の週だったら、本当に倒れる候補者がいたのではないか?と思うくらいである。

 さて、開票の時、立会人の忠実な点検によって、最終結果が出たのは、8月6日、午前1時30分であった。

 選挙が終われば、すぐに片付けもしなければならないが、当選者は、さらに忙しい。
 まず、6日、午後2時から役場3階において、『当選証書』の交付式が行われた。
 これは、町長選挙も同一だったので、町長選にも交付されるのであるが、まぁ、この時、元気な候補者、そうでない候補者と様々だが、やはり、年齢的に高齢になればなるほど、疲れも顔に表れていると感じていた。

 さらに、8月20日までに選挙にかかった費用報告をしなければならない。
 選挙費用と後援会活動費用は別々に計上する事になっていて、自分の場合、ニュースの発行は後援会活動費用に入るし、また、後援会用のカラーチラシも後援会活動費用に入るのだが、これが結構、繁雑で面倒なものである。



 そして・・・・選挙が終われば、世間一般は終わるが、当選議員は次の選挙・・・・が控えており、その為に、今度は、夜陰に紛れて・・・・・画策・・・をするものである・・・・言わずと知れた、議会役職の人事や会派構成に向けて、である。


 この議会人事はある面では、選挙以上に難しく、同数となって"くじ引き"とる場合もよくある話で、これもまた、意地の突っ張りあいの結果であって、外野から見れば『なんで?』となるであろうが、当事者間では、真剣である。



 話しは古く、記憶の中で・・・・・


 自分は平成11年当選組である。
 立候補表明をしたのは11年6月の余市祭の後であった。

 そして、それを聞き付けた現職議員が、『どんな奴だ?』という偵察の意味も含めてだろうが、3名程、訪ねて来た。それも、1回だけでなく、3回も来た議員がいた。
 そして、その3名は、当選が分かると、すばやく、再び挨拶に来ていた。まぁ、早い話、『当選したから、一緒の会派でやるべぇ〜』という事である。

 つまり、ある面では、会派の組み合わせも、議長選挙も告示日の前から始まっていて、選挙が終われば、ある程度、見えるものである。


 平成11年の選挙の後の会派の組み合わせについては、ある面では非常に驚かれた?ようである。
 つまり、自分も含め7名で町政クラブという会派が結成され、第一会派となったからであった。

 平成7年までの議長選挙についは、第一会派から議長、第二会派から副議長。という暗黙の了解があったようで、その通りに進んでいたようである。

 11年の選挙では、町政クラブは当然、『第一会派から議長』という事を主張したが、当時の第二会派である、新政会が『選挙をすべし』という事となり、選挙をする事となった。

 まず、議長選挙に関しては、12対10(記憶なので、違っているかもしれません)と1回で決まった。
 そして、次に副議長選挙に関しては、11対11となった事により、くじ引き"が行われた。

 役所関係のくじ引きは、2回引くのが恒例で、最初はくじを引く順番を決めるクジで、次が本クジとなる。

 この時は、渡辺秀郎議員と渡辺正治議員の2名となり、クジを引く順番で秀郎議員が本クジを先に引くこととなった。
 結果として、秀郎議員は、本クジを最初に引いて、"ハズレ"を引いて、"渡辺正治"と決定したのであった。



 さて、15年の選挙の議長選挙はどうだったのか?であるか、15年の選挙の前に話しは戻る。

 この年の3月定例会だったと記憶しているが、この時、新政会のメンバーとしては、中根議員が急病で亡くなられていて、堀議員も体調を崩しており、この年の選挙は出られない事は、はっきりしていた。
 そして、3月議会で、納谷議員が新政会を脱会、続いて渡辺秀郎議員も新政会を脱会する事となって、新政会という20年続いていた会派は解散をしたのであった。
 そして、任期満了の選挙が行われ、結果として、現職2名が落選し、新人議員が7名当選するという結果になったのであった。


 この時は、新しい議員、古い議員を含めて、様々に動いていた。そして、結果として、新政会+新人=明政会 町民連合+民友クラブ=新自治研究会 という会派と、さらに、無会派の議員が1名出来てしまった。

 15年の議長選挙については、11年の時と同じく、第二会派である、新自治研究会の方から『議長選挙をすべし』という事を主張して、議長選挙をする事となった。

 平成11年の前までは、暗黙の了解で、第一会派より議長、第二会派より副議長というなっていだか、11年の選挙から、当時の新政会からの主張で、話し合いがつかない結果となり、15年もそうなった。まぁ、世間一般や新人議員から見れば『なんで?』という事になるであろう。


 よく言われるのか、聞かれるのかは別としては『なぜ、議長に◎◎をしたのか?』という意見を耳にする。
 議長選挙を含め、議会の役職については、これもまた、本人の主張と努力の成果であると思っている。
 つまり、議長を含め他の役職をやりたい。と思っているのであれば、本人が、『やりたいから頼む!』と回らなければならないのではないか。
 それをする者としない者では、どうなのか?また、この人事については、会派を組む段階で、すでにある程度、見えて来るものである。



 さて、今回の選挙も終わって、10日も過ぎれば、それなりの"話し"を耳にする。ウワサを含めてであるが、『他の候補者の当落で万歳をした』とか『自分に拘わりの無い事項の街頭演説をした』等々・・・、その他、選挙違反に問われるような事項も含めて、「それ本当なの?」と思う話しも耳にする。
 その中で、自分に対しても「なんで、お前から仲間呼ばわりをされるの?」という事もある。
 そして、選挙結果から、『あの議員とは絶対に組まない!』というような己の気持ちを含め・・・・それらの想を含めて、各議員は"初顔合わせ"に望むものである・・・・





 さて、選挙は政策で戦うもの?であるのだが、国政選挙をしている訳ではないし、また、地方議員のマニフェストはあって無いようなものであるし、自分のマニフェストとしては、選挙前に発行したニュース33号の中に明記してあるし、その考え方も示していた。

 そして、今回の選挙は、現職が主流の選挙という事で、自分としては、街頭演説を中心にする事にして、また、長いのは受けない。というより、長くなれば、聞いている方が"あきる"ので、A4原稿に1枚の分量とした。
 また、スピーカーを通しての演説という事で、やはり、間違いがあってはいけないし、それを聞いた人が、あとで聞かれても「そんな事を言ったっけ?」とならないように・・・・ まぁ、自分にも能力が無い事もあって、原稿を読む形で、街頭演説を繰り返した。


 以下、今回の原稿である。



 ◎◎町のみなさん◎◎◎。余市町議会議員候補の吉田浩一です。
立候補のご挨拶に参りました。大変、お騒がせ致しておりますが、この場をお借り致しまして、一言、ご挨拶させて頂きます。
 皆様方の絶大なるご支援を頂き、2期8年間に渡り、滞りなく議員活動が出来ましたのも、ひとえに皆様方の暖かいご支援の賜物と、高い所からではございますが、改めて、お礼申し上げます。ありがとうございました。
 この2期8年を振り返った時、議会に一番不足している事は、議会の情報公開ではないでしょうか。議案の審議を巡り、議員はどういった考えで発言したのか。また、どういった審議経過を経て、こうなったのか?という事を、議員は住民の皆さんに、説明する責任があります。
 それを強く感じた私は、議員活動の一環として、年4回の紙面ニュースの発行、インターネットによるホームページによる発信、そして、議員報告会の開催を2期目の公約として、活動をして参りました。
 お蔭様を持ちまして、なんとかこれを遂行出来ましたし、また、これは、他の議員がやっていない、私だけの実績であります。
 3期目の立候補に当たり、2期目に実施して参りました、紙面ニュースの発行、インターネットによるホームページの発信、そして、議員報告会を開催して行くことは、引き続き、実施して行くことを、この場で、お約束を致したいと存じます。
 さて、議員は常に住民の立場に立って、発言をしなければならないのは無論の事ですが、この度の改選を迎えるに当たり、多くの後援会の皆様方から意見を頂きました。
 意見を平均すれば、税金の問題、医療・介護の問題、そして、役場改革の問題等でありましたが、このどれもが重要でありますし、3期目に当選をさせて頂きましたならば、これらの問題に積極的に取り組んで参る所存です。
 ですが、これからの時代、この問題とは別に、まったく違う時代になる。私は、この4年間で、新たに町村合併をしていかなければならない。と予想しております。
 個人的には町村合併には反対ですし、数年前の北後志間の合併協議会の結果、北後志では合併はしない事となり、これを受け、余市町は平成25年を目処に財政の黒字化を目指しておりますが、余市町単独ではなく、地域として見た場合どうでしょうか。
 そして、現在の政治情勢から判断して、間違いなく、国や道は強制も含めて、町村合併を進め来るだろうと思っております。
 そうなった場合、余市町としては、新たな負担も含めて、本当にどうするのか?とすう事を議論していかなければなりません。
 その時に、一番重要な事項は、議会自身が変わっていかなければならない。本当に議論の出来る議会とならなければならない。そして、今回からは、定数18名となる事から、議員一人一人の能力と行動力が求められると考えております。
 私も、2期8年の経験を生かし、今まで以上に、発信をして行き、そして、議会改革を目指して頑張って参ります。議会が変われば、この余市町も必ず変わると、信じております。
 そのためには、まず、この選挙、勝たせて頂けなければなりません。どうぞ、皆様方の絶大なるご支持、ご声援を、この吉田ひろかず、お寄せ頂き、高い所からでございますが、付してお願い申し上げます。
 以上を申し上げまして、この場でのご挨拶とさせて頂きます。



 まぁ、これがどう受け取られたのかは分からないが、自分の主張としては
1.発信する議員を目指す。
2.好むと好まざると、町村合併に向かって行く。
3.その時に必要な事は、余市町全体として議論をしてゆく必要があり、そのためには議会改革が必要である。

 という3点である。



 選挙結果としては、自分としても選挙の都度、毎回、票が落ちて来ているが、その要因として言われる事は『会派を抜けて、一人で何が出来るのか』『どの議員より一生懸命やっているのは、だれもが認めるが、発言がキツ過ぎる』という事である。


 どのご意見も「ごもっとも」と感じているが、そう思う反面、議員である以上、議員として発言・発信していかなければ、意味が無いと思っているし、また、これからの時代は、けっしてそうであってはいけない。とも感じている。


 まぁ、自分としては、改革者でもなければ、革命家でも無いし、さらに、個人的には議会内の"役職"をほしいとも思っていない。
 さらに、履歴書の職業欄に『議員』と書く現職がいると聞いた話があるが、自分は、これも書かない。議員は職業では無いと思っているからである。


 ただ、これから行われる、会派構成と議会内人事について思うことは、過去の経験から、『これはいかがなものか』と感じた事は、その繰り返しはしてはならない。と思っている。

 11年選挙の時は、新人という事で、何も分からなかったが、15年選挙の時は、結果として、会派間の対立構造を生み、さらに、会派運営をしていながら、無会派議員が生まれた事。これが議会運営上、よろしくなかったと感じている。



 余市町の議会は会派運営をしている。これはある程度の人数がいる以上、会派運営をせざるを得ないし、また、共産党、公明党のように、会派=政党という場合もあって、これに対抗するためには、やはり、『会派』というものが必要になる。
 さらに、議員としての主張を通すためには"個"より"集団"というものの方が、力があるのだが・・・・

 公職選挙法の上では、"会派"という言葉は無い。だが、概念的には、『基本的に同じ考え方を持つ政治家どうしの集まり』であろうと自分では考えており、当然、ある種の政策集団でなければならない。

 だが、現実問題としては、政策集団の前に、『役職取りのための集まり』となっているのが現状であって、主義主張とは別に、『今回は◎◎をやりたい』『あいつには、やらせない』、そして選挙戦の経緯から『あいとは、組まない!』という意識によって、会派構成をして行くのが現状である。

 それは多数派工作であって、ここでは、新人はまったく分からないが故、古い議員に言われるがままに、会派構成に参加して、結果として、対立構造に巻き込まれて行く。
 全部の議員に当てはまる訳ではないが、議員は経験を積めばつむほど、様々な面で、役職取りを考えて、また、経験があるが故に、お互いの性格等を見て、『あいつには、やらせない』という場合も出て来る。
 まぁ、人間である以上、"好き嫌い"もあるし、"長"は平議員より、月額報酬が"高い"という事もあり、さらには、この世界、あらゆる面で、"長"となれば、様々な面で有利な立場となる事が出来るのも、また、議会の世界の常である。


 よく『共産党と組んでいる』と言われるが、逆の見方をすれば、共産党とも話し合いが出来ない側の言い分であり、これが国会の政治ならば別だろうし、その流れで"共産党"対"公明党"のようになるというのであれば、これは、これで『しょうがないねぇ』ということになるのは、分かるが、末端の政治では、共産党とも話をして行かなければならないのではないか。


 平成11年の当選の後、当時の会派会長である島議員が『議会は蛇(じゃ)がでるかヘビが出るかは、分からない』と良く言っていた。
 でも、蛇でもヘビでも同じであるが、要は、『議会は何が起こるか、まったく分からない』という事であって、まぁ、"キツネとタヌキのだまし合い"だし、"裏切り行為"や"手柄の横取り"は日常的に行われていると自分では感じており、正に、ゲタを履くまでは、本当に分からない。
 

 『じゃぁ、お前はそれをやっていないのか?』と聞かれれば、答えは「No」である。それなりの事もやって来たと思い当たる。ただし、それを相手に感じさせないでやるのも、また、相手の考えが分かっていて、わざと乗る場合もある。どちらにしても、その議員の度量と技量の問題ではないだろうか。



 会派退会の本当の理由は、『どんな場面でも、先輩議員は新人議員を利用するものである。会派は絶対的なものではない。会派は抜ける事も可能である。』という事を見せたに過ぎない。




 自分としては、この4年間で、町村合併をするかどうかは微妙だと思うが、その道筋だけは出来ると思う。
 当然、その場合は、他町村のとのやり取りになって来るのは明白であり、その時、どうして行くのか。
 今から、その体勢を整えて行く必要があると考えているのだが・・・・・



 いよいよ、今週から協議会が開催され、話し合いが持たれる。
 まぁ、色々な事を、綴ったが、そうは考えていても、それは自分の考えだけであって、相手がある事から、どうなるかは、やってみなければ分からない・・・・
 もしかしたら、新しい会派が出来るかもしれないし、そうでないかもしれない・・・・自分としても、どこかに所属するかもしれないし、そうでないかもしれない・・・・



 さて、本日は8月19日である。この日は、特別な日というか、余市町議会議員の任期が始まる日である。
 つまり、今回の選挙で落選した議員は、今日から"前議員"という事となり、初当選をした議員は、◎◎議員と呼ばれる事になる。

 大きな激変の4年間になるとは思うが、責務と選挙で掲げた公約は守って行きたい。



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