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独り言 平成18年9月20日UP
    ☆定数削減条例審議における本会議の様子その3☆
      副題・会派制度と会派退会理由について



 すでにUPした分を見られた方から『長くて、何を言いたいの?』とのご意見を頂きました〜。
 まぁ、独り言”という事で、ご勘弁下さい。




 余市町議会では会派制度をとっている。では会派とは何か?であるのだが・・・・
 まぁ、政党の派閥ではないが、ポジション的にはそれに近いものがあると感じているのだが、実際はというと・・・・・

 余市町の場合、会派=政党もいう場合もある。公明党、共産党はこれに当たるのだが、では、公職選挙法上においてはというと、“会派”の規定は無い。
 会派報告会をやっているが、その関係で、町の選挙管理委員会に色々と調べてもらったが、明確に会派を規定するものはない。
 では、何を基準にして、会派を組むのか?であるが、建前としては政党には所属していない議員の“政策集団”という事になるのであろうが、聞き及ぶ範囲の中では、自民党籍を持っている議員も多くいるようであるし、また、民主の党籍で、選挙となれば、民主公認、民主推薦、また、各労働組合からの推薦をもらう議員もいる。そういう意味では、新自治研究会は民主・連合系の議員が多いのも事実である。
 ただ、実際問題としては何を基準に集まるのか?であるが、・・・・まぁズバリ言えば、派閥と同じく、人事に使われるものである。
 ちなみに、『はちろ吉雄をやっているので、民主では?』と言われるが、民主の党員でもなければ、自ら選挙でも、連合系の労働組合からの推薦ももらっていない。

 では、その組み合わせはどうするのか?であるが、ズハリ、『あいつとは組みたくない。次は◎◎長を取れるから〜』という私情が優先するものであると、自分では感じている。

 ただし、これは二期生以上にあてはまる理論で、では、新人はどうするのか?であるが、新人は何らかの縁で、会派に所属するのだけれども、その会派の性質や、それを構成している各々の性格にもよるが、結局は、最初の人事で対立構造となっていくものである。


 まぁ、仮にそうであったとしても、本来、議員が集まっている以上、政策集団とならなければならず、特に、政党=会派の場合は、その政党の考え・理念の通りに動けば良いのだが、無所属議員はそうとはならないし、政治的理念があるか無いかも別として、やっぱり、この議会の世界は別次元の世界であって、独特なルールがあり、行政経験の無い新人が会派に属さず、発言出来るような甘い世界でもない。

 では、会派を組まないで個人参加では出来ないのか?といえば、政党という会派がある以上、それに対抗するためにも、やはり、会派という組織は必要であろうし、どこかの会派に属しなければならないだろう。また、各委員会への配属等についても、やはり、会派割りによって、運営して行くので、場合によっては委員会に入れない事もある。



 さて、会派は本当に政策集団になれるのか?という質問に対しては、答えは『イエス』であり、これは、平成15年に立ち上げた新自治研究会という会派によって証明されているし、また、今回の議員定数削減案の一連のやり取りについては、その成果は、少なからずあった。と断言出来る。
 共産党ですら、新自治研究会がやったような形での町政報告会は実施した事はないようである。

 ただ、これもやはり、リーダーとなる人物と、その発想力。そして、それを行動に移す実働部隊、さらには、会派を構成する性別・年齢構成、そして、議会経験数がうまく、マッチしていて、初めて可能であり、現実問題としは、なかなか難しいのも現実である。 ただ言えることは、特定の政党のように、理念等が無いのが逆にこの手の企画をする時は、より多くの町民に訴える事が出来るし、また、その成果もリアルタイムで得られることは、議員活動上においては、間違いなくプラスになる。


 さて、今回の会派退会については、『なぜ?どうして?』という事で、会派内からも、『どうして?』という事を聞かれる。
 何度も言っているように、会派に対しては、なんら問題も不満も無い。会派内で、メンバーどうしの対立も、特別なものはない。逆に、会派内では、自分の意見は、ほぼ、通してもらっている。
 『今回の議員定数の問題で、3減・4減に対して、意見が会わなかったのではないか?』という噂もあるようだが、この関連ページにある通りであり、それも無い。
 ただ、何度も掲載しているように、自分が行なった討論の“総論”の中にあるように、会派制度が壊れている。という事と、自身で会派というものにスッキリしないものを常に感じているからである。


 『それは、違うだろう。だったら、多数の中でやった方が、数で対抗出来るのではないか』という意見もあるであろうが、そういう考えもある。
 だが、会派に所属していれば、会派制度というルールに縛られる事になるが、無会派となれば、それに縛られる事もなく、逆に、自由に公式の場所で、ガチンコ勝負が出来る事になる。
 まぁ、一匹狼”といえば聞こえはイィが、「ドンキホーテよろしく!」という考えだけである。



 不満の無い会派をなぜ故、出るのか?であるが、まぁ、それは、自分の我がままもあるだろうが、根本的に会派というものに対して、疑問を感じているからである。

 関連ページの中に掲載しているが、削減後の委員会構成人数によって、場合によっては、個人の思惑によって、動かす事も可能である。と綴ったが、己の利益のために、採決や質疑を、議員なるが故、利用する場合もあるのではないか。
 ・・・・・まぁ、その証拠は何もないが、自分は、けっして長くない議員生活の中で、それを感じた事がある。
 時と場合、そして、その得る物にもよって、それが許せる場合と、そうでない場合がある。
 新人なるが故、議会ルールも分からず、また、自分の場合は、年齢的にも、この世界では若く、それだけ経験もない。
 それを利用して、もっともらしい話をして・・・・、まぁ、議員だから話はウマイから・・・
 それで、実害があった訳でもないが、どんな世界でも、そして、議会の世界はなんでも有り。という事も強く感じていた・・・・


 一期生だから、それを甘んじて受けなければならない?所詮、先輩議員は新人を利用するだけのものなのか?政策集団という、会派という組織の有り方は?


 平成11年に初当選して、初めて、議員となった。各会派から、それぞれの誘いがあったが、「どうして、保守系で別れているんですか?」と質問したけれども、その明快な返答は無かった。
 そして、よく、分からないうちに、議長選が始まり、結果として投票となったけれども、時間が経過するとともに、理想とする所、そして、現実と違うのではないか・・・・。

 それでも、自分は自分という考えだった・・・・
 まぁ、今もそうなんだろうけれども、新人らしからぬ行動は取っていて、初当選で初議会で、1番に一般質問を提出した議員は、自分であったし、また、それから半年を経過して、介護保険の新規条例の賛成討論も実施した。

 さらに、色々と歩いて情報を集め、それを議会で質問しようとした寸前で、先輩議員に察知され、結局つぶされた経験もあった。
 そんな事もあり、議会という所は“やった者勝ち“”既成事実を作ったものが勝つ”という事もだんだん理解して来た。


 そんな事を一期生のうちから感じていて、結果としては、一期生で当時、所属していた町政クラブという会派に対して、いち早く、退会届を出した。
 ただ、やはり、ここも議会ルールがあって、結局、退会届を提出してから、3ケ月もの時間がかかり、感情的には熟慮たる思いがあった。
 ただ、自分もこれをネタにする方で、この時も、当日、町内で発行していた政治ゴシップ紙である『後志タイムス』に「退会届けを出したぞ〜」と売り込みをかけていた。

 そして、これが、結果として、自分が退会届けを出した事により、当時、町政クラブ所属だった、安宅現議長と吉田豊議員も一緒に出ることとなり、民友クラブという会派を立ち上げる事になった。
 そうこうしているうちに、どういう理由か分からないが、当時、第二会派だった新政会から、納谷議員が退会し、その後、さらに一名が退会届けを出した、とのウワサが流れ、結果として改選前に新政会も解散となっていた。さらに、様々な動きの中で、結果としては、会派として万全な態勢をとっていたのは、共産党と公明党という状況であった。


 二期の改選を向かえ、なんとか返り咲きが出来た。そして、新たに7名の新人を迎えることになった。投票日の翌日から、すぐに動いて、次の会派構成というものを考えて動いたのだが・・・・・

 その時、たまたま子供の関係で、地方に一泊で行っていた時に、かなり動いたようで、新人5名が加入して、明政会という会派が作られた。15日の質疑で、共産党が『明政会の前進の新政会で・・・』という発言に対して『関係ねーべや』とヤジの応酬があったが、でも、実態としては新政会であると、自分では感じている。

 ならば、再び、前期と同じ形の会派間どうしの争いであって、結果としては、何も変わらない。
 また、明政会が第一会派となった事もあり、改選前の民友クラブと町民連合とが、結果として合同する事となり、新自治研究会という会派も誕生した。結果としてこれが良かったのか、悪かったのか・・・・・


 その当時は、自分としても新自治研究会という会派に所属せざるを得ない状況となったが、どうも、スッキリしないものがあった。
 新自治研究会という会派に所属する事に対して、異論は無いのだが、どう説明して良いかは、分からないが、会派というものに対して、本当に意味があるのだろうか?これで、議会がうまく、運べるのか?という気持ちも感じていた。

 まぁ、その後の議長選挙から、各委員長選び。監査委員の選出等々。そして、後期の委員長選びと、まぁ、あいも変わらない事をやっているが、その当事者としても、積極的に関与している自分がいるのも、また事実である。

 ただ、新自治研究会という会派は、不思議な会派というか、先輩議員に恵まれたのかもしれないが、『◎◎長をやりたい!』と強烈に主張する先輩議員がいなかった。それが、会派内運営をスムーズに運んでいた。
 そして、議長選挙で勝った事によって、議会運営委員会の委員長もする事となったが、『本当の改革とは、今までの形に捕らわれない、そして、若い者にチャレンジさせるのが改革である』とは、吉田豊議員の発想であり、自分がけっして望んでいた訳でもなく、どちらかといえば、拒否をしていたのだけれども、無理矢理押し付けられた。というのが実態である。

 まぁ、そんな委員長就任だったので、後期の委員会編成においては、またもや、過去の慣例が崩されて、結果として、無会派の佐藤一夫議員が委員長に就任。また、そのあおりで、民生環境常任委員会の正副委員長の両名が、明政会になってしまった。
 これは、委員会運営上は、間違いなくよろしくない事例の典型である。なぜなら、正副は、委員会の運営をしなければならない事から、例え、その議案に対して、結論においては、反対であっても、委員会運営上では協力していかなければならない。
 つまり、別々な会派から出ていれば、少なからず協力していかなければならなくなる。これが、同じ会派なら、他の会派に『ソッポ』を向かれた、委員会が開催出来なくなるのである。

 まぁ、結果としては、そういう選択肢しか残されなくなってしまい、今の所、運営において、トラブルはないが、さぁて、これからはどうかなぁ・・・・
 で、自分の方も、前期の方の議会運営委員会の委員長の方は、たいしてトラブルも無く、任期満了。会派からは、『続けてやれ』と進められたが、我を通させてもらい、松原議員が後期の議会運営委員会委員長に就任する事となったが、これもまた、吉田豊議員の発想であった。
 自分の議会運営委員会委員長の就任は、余市町議会の記録として、2期生議員が前期の期間で委員長に就任したのは初めて、ましてそれが議会運営委員会という事。そして、委員長就任年齢では最年少という事にもなったし、松原議員の議会運営委員会委員長就任についても、女性の議運委員長は、全国的に見ても、少ないのではないか。

 では、なぜ、委員長就任を断ったのか?といえば、それは、次期選挙の改選前までに会派を退会する考えも持っていたからであった。
 その時も、別段、新自治研究会という会派に一切の不満は無いのであるが、やはり、ただ、なんとなく・・・・会派制度というものが、どうなんだろうか。という、明確なものは無いのだけれども、ただ、なんとな〜く、感じていた。
 まぁ、自分の性格もあるのだが、常々、「会派、抜けるからね〜」と冗談交じりで会派の中では発言したのだが、実は、自分でも、このタイミングで退会する考えは無かったし、たまたま、そういう環境といくつかの偶然が整っただけであり、まぁ、自ら作りだし必然だったのかもしれないが・・・・・

 

 さて、話は、9月15日の早朝に・・・・

 
 9月15日、午前6時30分、討論を完成させた。自分で作っておきながら・・・
「う〜ん、これだけの内容のものをやったら、明政会は、かなり面白くないだろうし、また、「余市町議会の前例を壊した」とまで断言しているのであれば・・・・これは会派制度そのものを否定している文章であって・・・・・」
 まぁ、行き着いた先は、会派退会である。

 だとするならば、退会届を作らないとダメだなぁ。と考えて、また、自分の意志として行う以上、“退会”ではなく“脱会”として作成した。

 さて、次の問題としては、これをどうやるか?どうやったら、すんなり、退会が出来るのか?まして、退会理由は、あってないようなものであって、「理解してくれ」と言っても、理解されるものではない。会派に提出しても『預かり〜』となるし、また、本会議で議長から報告されなければ、有効にならない。つまり、場合によっては、預かりっぱなしにされる可能性もある。まぁ、それでも別段、構わないのだけれども・・・・・
 でも、出した以上、それをされても困るし・・・・これを、有効にするためには・・・・
 と、考えたのが、討論の後に「会派退会宣言」をすれば、周知という事となる。既成事実の強行である。という事で、この部分の口述も間違いないようにするために、文章を新たに作成した。



 午前9時過ぎに登庁して、まず、議会事務局長に別室に来てもらい「脱会届を出します」と言って、現物を見せた。
 『そうですか。いつも、冗談ぽく言ってましたが、もう少し、先かなぁ?と思っていましたが・・・・・』との事。
 そのうち、新自治研究会会長である吉田豊議員も登庁して来たので、「会長、昨日の自分の質疑の関係を入れて、討論、作り直しましたよ」と作成し直した討論を渡して、「はい、ついでに、“脱会届”です」と渡した。
 まぁ、そうこうしているうちに、10時の開始時間が来たので、本会議場に移動したが、自分の場合、会派として行う文章については、会派全員分の印刷をして、全員に渡し「最後の部分を作り直したので、確認してほしい」と伝えた。

 質疑再開後の様子は、『本会議15日の様子』にUPしているので、触れないが、休憩も何度か入り、その間に、自分が会派退会届けを提出した事も、全員に伝わっていた。そして、『浩一君、これは、預かりにするからな。もしかしたら、今期一杯、預かるかもしれないよ』と言われたけれども、こっちは、すでに、手法も腹も決まっているので「いいですよ〜」とにこやかに、返事をしておいた。

 さて、質疑も終盤に入り、ますます混迷が深まる中、本質的には議案と直接関係の無い事項まで言及されて、質疑が進み、その中で、『政治家としての信条』まで問われるようになっていた。

 自分は、すでに質疑を終わっていたので、それを聞いているだけだったが、「政治家の信条って何?」という事は考えていた。そして、熊倉議員の質疑が終わった事により、後は、採決に進んで行く。
 まぁ、もう一度、話し合いと会派の確認のために、休憩をもらった。これが、午後4時30分からの事項であり、この時の様子は、『本会議15日の様子』にUPしている通りである。

 自分としては、退会についての腹は決まっているのだが、もし、この時、明政会側から、なんらかのアクションがあれば、場合によって、討論内容を再び変更しなければならない。つまり、討論の最後の“総括”部分は、出来なくなる可能性があった。
 腹は決まっていても、また、会派脱会届を提出している事は、会派メンバー他、数名しか知らない事であり、場合によっては取り下げる事も可能である。すでに会長からは『改選まで預かりにするもしれない』と言われているので、会派内に留まっていても、だれからも文句は出ないだろう・・・・・

 だが、結果として、明政会側がテーブルに付く事は無い事となった・・・

 その結果を受けて、会派内で「4減案を可決」する事の再確認。そして「この通り討論で良いのか」との再確認をして、本会議に望む事を最終確認をしたのであった。
 そして・・・自分の脱会宣言も実施する事と、自らで、判断を下したのであった。




 これを読んで、どう判断するのかは、その人の自由であり、『それは、言い訳だし、会派脱会理由を第三者のせいにしている』という意見を持たれる方もいるとは、思う。それは、それで構わない。
 
 『そこまで、考えているのならば会派に留まり、この考え会派として実践するのも一つの手ではないのか』『所詮、一人になったら何も出来ない』という意見もあろうとは思うし、それも、また、否定はしない。
 
 そして、自分の取った行動と、また、一連の流れを、自分の主観だけで、公開する事について『選挙目当てのプァフォーマンスだ!』という人もいると思う。
 仮にプァフォーマンスだったとしても、そして自分の言うのも変だが、現実問題として、議会という場所で、自分のように、発言出来る議員がいるならば、見てみたいものである。
 いるとすれば、よほどのキモの座った奴か・・・・よほどの馬鹿しかいない。


 今年3月に開催された新年度予算委員会の中で、共産党の熊倉議員は『一村一品が町おこしとなっている町村も多い中、余市の町は、一村百品と言われる。これだけの素材がありながら、なぜ故、町が活性化しないのか?』という質問をした。
 これに対する理事者側の答えは無く、また、質問した熊倉議員も『その答えは分からないが、それを必死に捜し出していかなければならない』と訴えていた。自分としても、その明解な答えは持ち合わせていないし、また、それに答えられる人はいるのだろうか。

 そして定数が4名削減された事は、4名という数字の持つ意味合い以上に、大きなものがあるのではないか・・・・

 自分の行動が、回りにどう影響するのかは、まったく分からないし、また、自分自身にどう降りかかって来るのかも分からない。天に唾をしたのかもしれない・・・・
 でも、もしかしたら・・・・議会という組織が、有り方が、変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。


 結論としては・・・・馬鹿な議員が一人いて、自分に酔っているだけ・・・なんです。

あ〜ぁ長かった、腕痛い、腱鞘炎が悪化してる!

おしまい。