独り言 平成17年1月20日UP
   ☆アクセス4万件と除雪☆

 日付が変わった時に、アクセス数が4万件に達したそうで、4万件にアクセスされた方から『おめでとうございます』のメールが届いておりました。katsuyaさん、ありがとうございました。
 ちなみに、4万件アクセスのお礼はありませんので、ご了承下さい。

 現時点でのサーバー内の蓄積量は58.29MBであり、私のパソコン内での、ホームページ用フォルダ内のファイル枚数としては2922枚ですが、HTMLファイルはバックアップファイルも自動作成されるために、実際には2800枚くらいのファイル数だと推測しています。


 さて、平成11年に、今まで後援をしていた前任の議員から『議員をしてみないか?』と声を掛けられ、あまり考えもせずに立候補をする事になり、すでに2度の選挙を終えました。

 たいした理念も考えも無く、出馬して当選してしまった。当事、余市町では30才台の当選は20年振くらいで、また、新人無所属議員でも、当事、過去最高数の得票を頂いき当選しました。
 そして、議会では『目立ってやろう』とは考えてはいませんでしたが、有権者は何を求め投票したくれたのか?と考えた時、“積極性”であろう。と推測出来たため、初議会では、新人で1番で一般質問を提出しました。
 初議会で新人が1番で提出した議員は過去におりませんでしたが、ルールが分からずやっていたので、先輩議員から見れば、『危ない野郎だ』と感じていたと思います。

 当時から、数個の団体の事務局等をやっていた関係で、ワープロを、かなり使いこなしていた事もあって、当選後“ひろかずニュース”を発行するようになり、その活動を知った方から『パソコンに変えた方がイィですよ。ホームページをやったら良いですよ』との助言されていたのですが、パソコンにはなかなか手が出ませんでした。

 議員活動の方も、順調?だったのかどうかは分かりませんが、当時、介護保健が導入される時期であった事から、賛成討論を本会議で行い、共産党議員から『それば違う!』とヤジをもらい、頭が真っ白になって、終わったら議場内で万雷の拍手をもらい、よくわからないうちに終わったり。
 また、当時から、かなりねちっこい質問というか『質問は足でかせぐもの』と思い、町有地の不正使用の問題や、職員倫理の問題等を行いました。(この時は、強力に当時の大谷町長の援護になったはずですが・・・)

 監査委員室で担当者に対し『ウソ付くな!』と怒鳴った事もあったし、また、本会議場でも、怒鳴った事があり(自分では怒鳴ったつもりは無いのですが・・)当時の野呂議長から『吉田議員、冷静に』と注意を受けたことありました。

 その後も、前期では合計で6回の討論を実施し、討論回数としては4年間では最多でしたし、一般質問も新人で休まないで実施したのは、私と共産党の佐々木・中谷の3名の議員だけでした。
 問題発言?も多かったようで、公式の発言中に共産党からのヤジを3回もらい、公式なヤジ?は私だけであり、ある先輩議員は、激情実直型との評価をされています。


 議員の役職関係においても、2年目の新年度予算特別委員会(13年3月)では、副委員長を経験し、また、後期では産業建設常任委員会の副委員長を経験させてもらい、どちらも、新人起用では初めてだったと聞かされております。

 ホームページは14・2002年の3月から開始しましたが、4月には当時の町政クラブを退会する事を決め、その後、民友クラブという会派に参加して、2期目の選挙を終えて、新自治研究会という会派を立ち上げました。

 それが最初の内容が内部告発的だった事もあり、また、その後の議会審議過程においては、様々な問題が噴出し、混乱をした後のアクセス数が伸びている事には、非常に驚き、また、それ以上に驚いたのは、他の掲示板等に書き込まれることが多くなった事でした。

 書き込まれる内容は別として、また、単なるやじ馬的話題として集まったのかは別としても、ある面ではネットの凄さ。を感じました。

 2期目になって、議長選出会派という事もあって、議会運営委員長に就任する事になりましたが、これまた、余市町では2期目の議員が議会運営委員長に就任する事は初めてでしたし、委員長就任年齢としても、余市町議会では最年少の委員長就任となりました。

 この他、議会報告会も、通算で個人で2回、会派で1回を開催し、ニュースの発行、また、ホームページの更新と怠らず実施をして来ました。

 内容、また、議員活動についても、様々なご意見があり、特に2期目になってからは『静かになったね』と良く耳にします。
 確かに1期目より質問の個数は減って居るのは事実ですし、また、経験を積めば、過去の経過が解るために、質問しなくても良くなった。という事はあります。
 また、議会運営委員長としては、議会運営を円滑に運ばなければならないのが使命であり、そういう面においても質問数は少なくなっています。

 ですが、前年の決算委員会では、職員の共働きの関係の質問をしましたが、余市町の議員で、この質問をした議員は、過去にはいないはずです。



 ニュースもそうですが、良い・悪いは別して、また、それぞれの考え方があり、どの考え方も間違ってはいないでしょう。
 それを議員とし、どう判断して行くのか?ですが、その判断材料の一つになるのは、やはり、情報開示と、それに対する住民の方の意見だと感じています。

 今後も出来るだけ頑張って行きたいと思っていますし、また、どしどし意見を頂きたいと思います。

 が、しかし〜、最近、激務?なのか、元々、キーボードを叩く回数が多く、二の腕の調子が悪かった所に、冬期間という事で除雪が入って来て、痛みが増して来ました。


 どうも理解されていない?という事で、こんな格好で除雪をしています。近所の方は、ご覧になられていると思いますが・・・

 天然冷房完備なので、耳付き帽子・フェイスマスク・喉巻・ジャパーは2枚・防寒靴・スキー手袋、おまけに足先には、足先用カイロと背中にもカイロを貼っています。はっきり言って、着膨れ状態です。
 
            道で会ったら、怪しい奴です

 さて、当家の除雪機ですが、ヰセキトラクターで、中古で購入したもので、40年?くらいは経過しているものです。
 
 馬力数も不明なのですが、中古で購入した時に、特注のフロントバケットが付いていました。本来の規定からいえば、3倍くらい大きいものです。
 一般的にトラクターの場合、後ろにバケットが付いているのですが、前バケットという事で作業的には楽です。

 前輪と後輪の間に、補助輪を付けて、これにキャタピラーを巻くように付けます。元々、標準装備のようです。
 
 なぜ、キャタピラーを付けるのか?ですが、聞くところによると、田植えの時に使っていた。つまり、田植えの前の田圃の中の土を起こすのに使われていたようです。
 今でこそ、4輪駆動のトラクターが主流ですが、重量物を不整地に入れて走行出来るようにするためには、この手法しか無かったのではないでしょうか。

バケットは2メートルほど上がります
 
                      
クッキリ、走行跡が出来ます
 バケットを持ち上げるのは、アームの油圧ですが、アームのみの油圧で、バケットを下げるのは、ロックを外し、バタン”と落とします。
 トラクター自体、古いタイプなので、パワースアリングなんて付いてないですし、ハンドルを効かすために、前輪に重量を掛けるようにするために、バケット本体を微妙に持ち上げての走行となり、常に、ハンドルを強く持っていなければならない。という事になり、常に腕に負担がかかります。

 キャタピラーは、前進の時に爪が立つようになっていて、当然、整地された所を走るには、爪の分だけ、ガタガタになり、おまけに、トラクター自体にショック吸収装置がついていません。
 振動吸収は、唯一、座席のサブトンが厚くなっているのですが、私自身、足が短いので、座席には、常に前側にお尻を半分乗せているだけの状態になっています。
 
            バックミラーはありません。目視で確認バックです
 駐車場は乗用車が30台〜35台の面積があり、一応、農家という事で、自宅前、さらには、自宅と温泉と繋ぐ町道は、カーブがあり、年に一回程度、事故も発生している事、また、通学路にもなっており、小・中学生も通る事から、町道ですが、このカーブ一帯だけは、勝手に除雪をしています。(町道を除雪している人は、歩道を含め、けっこう多いですよ)
    自宅前から温泉方面
 
          温泉側から自宅方面、どちら側からも、先が見えません

 そんな事から、一回、除雪を始めると4〜5時間、乗っていなければなりません。
 寒いし、体が冷えているのに常に体をひねっていなければならない(除雪の時は、前進と同じ距離、バックをしなければなりません)というのが実態です。
 まぁ、雪の地域は、大なり小なり、みんな一緒なんでしょうが・・・・

 『新しいの買えばイィべ〜』と言われていますが、除雪効率と経費の兼ね合いを見た場合、当分、これで頑張るしかないと思っています。

 さて、本年2月24日に第2回目の会派報告会を開催する予定です。詳細は後日、報告します。


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