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独り言 平成16年11月1日UP
    ☆掲示板の回答☆

 10月29日作成の“独り言”の感想が掲示板にありましたので、改めてUPします。 まぁ、それぞれの考え方がありますので、その点は“よしなに”お願いします。

 まずは、以下の書き込みでした。

さて、10月29日付の独り言は、普段、どの様なことを想い感じているのかが分かり大変興味深く拝見しました。本来ならば、独り言に言及するのは無粋なことなのかも知れませんが、気になったので。
(1)災害の項において、「超法規的措置」という表現がありますが、これマジで超法規だとまずいです。それだと、(2)イラク問題の項で、「憲法違反だと考えている」との表現がありますが、これが超法規で済んでしまいます。:)

それと、(4)国歌・君が代の項で、ご苦労されている様子が実に楽しそうです。何となく聞いてみたいような聞きたくないような……。(失礼!)

ただ、個人的には国旗も国歌も教育の問題って感じはしてません。それは、自ら改憲するという行為と、例えば立憲君主制を選択したとして、国家元首を国民が選択するという行為、国民主権で物事が決定するというプロセスを経る、ということが重要であって、そうすりゃ、国旗も国歌も「私達の旗、歌」。楽しいとき、悲しいとき、そして目出たいとき、歌うようになると思いますよ。因みにこのプロセスを経た立憲君主制は、民主主義と両立可能です。


@超法規的措置の範囲
 まず、自分の近い身内が、自衛隊員におります。よって、自分も自衛隊父兄会の会員であります。ちなみに、自分の身内はイラクへは行っておりません。

 今回のイラク派遣については、様々な意見があると思いますが、仮にイラクで死亡した場合、隊員は、戦死ですか?殉職ですか?どちらになるのでしょうか。
 災害派遣に自衛隊が出動していて、事故で亡くなった場合は、殉職になると思います。ですが、イラクで弾に当たって亡くなった場合は、どちらになるでしょうか。
 自分はイラクは戦地だと思っています。そしてこの件に関して政府見解があるのかどうかは分かりませんが、政府見解とは別に、それを受け取る側が統一されていないと自分では感じています。
 
 自衛隊の存在意義は“専守防衛”で国を守ることであり、国際貢献に出向く組織ではないと考えています。イラクの復興支援と専守防衛は、自分の中では結び付きません。
 ある意味、イラク法を作って派遣しているので『憲法違反』とならないのかもしれませんが・・・・その時々によって、法を作らなければならない事こそ、矛盾しているのではないでしょうか。
 では、今の派兵・派遣が超法規的で片付けられる事なのか?以後の自衛隊の海外活動を超法規的措置ですまされるのか?ですが、片付けられないと考えています。
 自衛隊は間違いなく戦闘用の装備と規律を有した団体です。武装した団体が相手国の主権の中に入るのですから、相手国の法律に従わないとならない。ですが、その国の国民でもない者が銃を持って入るのは、それだけで相手国の主権を犯すことになるのではないでしょうか。
 自分の中では超法規的措置とは、人道的観点から講じられ、双方が合意していなければならない事だと考えています。つまり、超法規的措置が許されるのは国内だけだと考えています。

 何でも“超法規的措置”で片付けるのかどうかは、それこそ、その政治家の性格ではないでしょうか。そして、それを認めるのも、最終的には国民という事になるのではないでしょうか。
 
 尚、自分は“国”には軍備は必要だと考えています。


A君が代の教育
 さて、議員職を預からせて頂いて、5年が経過しましたが、議会の一般質問の中で、国旗・国歌をテーマとした一般質問は、余市町議会では自分が1度だけ行っていますが、他の議員はおりませんでしたし、それ以前に質問した議員がいたのかどうかは分かりません。

 なぜ、この一般質問をしたのか?ですが、実は、こんな事がありました・・・・
 
 沢町小学校の新校舎が完成した時、ある程度の来賓(議員と教育委員会関係者)が集まり、新校舎への入校式が行われました。(この模様は自分のHPの中の沢小建設15年3月23日UPで掲載しています)
 式典といっても簡単なもので、挨拶があり、校歌を歌って終わりでした。
 この時、生徒全員は最初から立っていたので、校歌斉唱の時も当然、子供たちは立って歌っていましたが、来賓等には『ご起立下さい』の案内もなかったですし、来賓でも立った方はおりませんでした。
 そして、自分も起立しなかったのですが、式典が終わってから、やはり『失敗したなぁ。起立すべきだったと』と自身で反省をしました。

 大学時代は、野球の応援に行っても、自らの校歌と相手校の校歌が終わるまでは起立して、ヤジや太鼓は鳴らさなかったのは当然の事でした。

 それらの事があって、一般質問では、「君が代を教育せよ」とは言っていません。沢小の時の事例を出して「野球の試合等の時、相手校に敬意をはらうべき事、それには、校歌の時に起立して行うのが礼儀ではないか。それが国歌・国旗に対し敬意をはらう事に繋がるのではないか」との持論を述べました。
 ですが、『敬意をはらう』という事と、今の日の丸・君が代がイコールにならない。という現実があります。

 まぁ、そんな事があって、結婚式では、悩んだけれども、あえて「ご起立下さい」とは言いませんでした。

 結婚式で祝宴に入ってから、冷やかしなのか本気なのかは分かりませんし、また、感想なのか意見なのかも分かりませんが、数名の方から『やっぱり、教えないとダメだなぁ。』という、意見を頂きました。
 何をどう教えるのか?ですが、少なくとも小学生の低学年に、“君が代”を単なる“歌”として教えるには、難し過ぎると思います。

 国旗・国歌は起立せず、校歌の時は起立する。理屈をつけて答えるのは可能ですが、小学校の低学年の子ども達から『なぜそうなんですか?』と質問された時、子供たちにどう答えられるのか。賛成派も反対派も、答えられないのではないでしょうかねぇ。
 
 おりしも、10月31日の北海道新聞に天皇陛下の発言が掲載されていましたが、近代日本となって、まだ100年しかたっていないじゃぁないですか。
 残るべきものは自然と残る・・・のではないでしょうか。

 ちなみに、沢小の件があって、今年の栄小の入学式では、校歌斉唱の時は、来賓として出席していたので、一番前の席で起立しました。無論、校歌の時に起立する。という行為が他の来賓や参加していた保護者の方にどう写ったのかは分かりませんし、一番前にいたので、他の方が起立したのかは分かりませんでした。

 最後に一言、歴史は勝者によって作られるものである。と思っています。

 答えになっているのかどうかは分かりませんが、回答と致します。