独り言 平成15年9月1日・午前0時UP
       § 議 長 選 挙 §

 さて、ここ、数日というか、選挙終了後から、かなりのアクセス数がある。8月2日の時点で、13032件だったが、今は15000件を越えた。通常は一日当たり30件前後のアクセスだったが、通常の倍以上のアクセスがある。

 4年前は後志タイムスというものがあり、正しいかどうかは別とて、ある程度の情報提供してくれていたが、今はこの手の問題が表に出て来るのは、自分のHPだけであって、言葉より文字の方がやはり強いという事なのであろう。そして、これを見ておられる方は、間違いなくある意味、暴露話も期待しているだろう。
 確かに、だれがどういったので、こう返した。という事は、綴る事は可能だが、このHPは議会の暴露話をするためではない。
 あくまでも独り言であって、ある意味、自らの不満をぶつけているのであって、それをもってストレス解消をしている面もあると思っている。

 そして、今回の事例は、議会内部の話であって、これは公開の対象になるのか?ならないのか?というのが、まだ明確になっていない事。
 まだ自分の意見に対し、反対意見があるだろうが、特に新人議員は、自分もそうだったが、理解出来ない次元で物事が進んでいるのは事実である。
 それをどう説明すれは理解出来るのか?理解してもられるのか?といえば、非常に難しいし、人それぞれの考えがあり、それを否定するものは何もない。


 自分の意見はまだしも、会派の意見となると、お互い絶対に引かなくなり、最終的には数の論理という事とならざるを得ないのが、現在の仕組みである。

 また、今回は好むと、好まざると、議会運営委員会の委員長になった以上、自ら混乱の原因を作る訳には行かないという考えも、間違いなくある。
 ただ、それと同時に、報酬という名の税金をもらっている以上、総てを公開していかなければならないとも思っている。
 そのどちらも微妙な線上にある事だけは、確かなようだ・・・・

 
今回から議員章が新しくなりました。直径18ミリで、後がピンですぐに脱着出来るようになりました。以前のタイプは(写真・左)は直径13ミリでネジ式で留める方式でした。略称(写真・下)は変らずです。どのタイプにも中心には“議”の文字が入っています。


 さて、相変わらず前置きが長くなったが、28日の第5回臨時会は、午前10時に開会し、最終的に終わったのは午後10時。その後、議員協議会もあり、役場を出たのは午後10時30分であった。

 率直に『何やってんの?』と思われるだろうし、また、特に新人議員は、渦中の中にいて、当事者の一人として、理解出来ないでいるだろうが、自分から言わせれば、「以外とスムーズに行ったし、けっこう早かったじゃん。」という事になる。
 4年前はこれで丸二日やったし、また、聞き及ぶ所では、12年前は全てのポストを選挙でやって、徹夜で丸二日をやった事があるそうで、それからみたら、一日で終わったのは、充分早かったと思っている。(罵声が飛んできそうだが・・・・)

 
 なぜ、人事で争うのか?という事であるが、考え方は人それぞれだろうが、役をやりたい人とそうでない人。また、やりたいと思っていても、時期や順番で出来ない人、さらには、絶対にやらせたくない人。
 これに加え、特に議員は選挙という関門を潜ってくる以上、間違いなく自我が強くなければならない。強く無ければ選挙に勝ち残れないからであり、それが22名も集まっていれば、一筋縄では行かない。
 そして、自らの意志というものの他に、当選歴が長ければ、後援会の意志というのもあるだろう。
 それらが複雑にからみあって、これはやってみなければ分からない。ただいえる事は、最終的には数の論理で解決していかざるを得ないのが現実である。

 ただ、どういった訳か、改選後、自分の方からは再選議員・新人議員に対しそれなりのアクションを起こしたが、新人側からはだれ一人として、電話も訪問も無かった。また、議長選挙においては、元の会派の議員からの電話当はあったが、共産党を含む他の議員からの電話も接触は一切無かったし、当然、当方から電話も訪問も一切していない。
 つまり、一切の政策協定や選挙協力の双方依頼も一切無いのにもかかわらず、『共産党と組んだ』と言われるのは、心外である。



 さて、28日は実際、どうだったのか?という事もあるが、なぜ、選挙までしたのか?という事から始めたい。

 8年前では、第一会派が議長で、第二会派が副議長という事が慣例になっていた。あくまでも慣例であった。しかし、4年前これが崩された。
 4年前は第一会派が町政クラブで7名。新政会が6名だったが、新政会が強烈に『選挙』を主張したのであった。
 そして、今回は明政会という会派であったが、実質、改選前に解散したはずの新政会のメンバーが戻り、そして『第一会派は議長だ』という論法にはならないし、それを主張しても『はい、分かりました』という事にはならない。ただ、新政会が4年前に慣例を崩していなければ、第一会派が議長という事になっていたのだが。


 4年前も『共産党と組んだ』と言われ、今回もそう言われているが、何を基準に組むというのか?
 『組む』という事は政策協定を結ぶ等をして初めて組むとい事になり、大きな枠組みで見れば、先の札幌市長選挙など、それこそ、政党・党派などまったく関係のない選挙ではなかったのではないか。
 そして、8月に行われた町長選挙。実質的には上野対大谷であったが、共産党は自主投票としたが、『冷たい町政にはNO』と言い、大谷は支持しない事を明確にしていた。
 つまり、共産党の大半は上野と書いたと想像出来るが、これも『組んだ』と言えるのか。あくまでも、相手が勝手にそうしたのであって、それに対する見返りを何か要求してそれに応ずれば、組んだと言われても致し方ないであろうが、それは無いと思っている。


 4年前と今回の大きな違いは、今回は正副議長選挙では、どちらも12対10と一回で決まった。
 4年前の投票結果は、議長は12対10で一回で決まったが、副議長は11対11で同点となり、くじ引きをして、野呂・渡辺正治となった。
 この時の票数は、町政クラブ7・共産4・町民連合2で12。副議長に関しては町民連合で1票動いて同数になったと思っているが、あくまでも、くじ引きであって、そのようになったのは、慣例を崩してまで選挙を主張した新政会にその責任は無いのか?

 自分も4年前、初めて議員となり、色々と見させてもらった。議員が各々どのような考えを持っているのか?役職というものに対し、どういった感覚を持っているのか?
 そして、個人とは別に会派という団体に所属した場合、どうなるのか?という事を。


 4年前は次のような会派構成が作られ、そして、改選期前にはこうなっていた。
 政友クラブ+町政ネット=町政クラブ(7名)→町政クラブ4(4名)
                            →民友クラブ(3名)
 町民連合→町民連合→町民連合(最初から最後まで3名)
 公明→公明→公明(最初から最後まで2名)
 共産党→共産党→共産党(最初から最後まで4名)
 新政会→新政会(6名)→解散(1名欠員・所属議員5名は全員無会派)

 保守系といわれる会派の方が、常に分裂を繰り返しているが、なぜそうなのか?自分の場合、会派を変わったのは、先輩議員の手法と考え方についていけない。その証拠は無いが、自己利益に走った事が見えた事になって袂を分かつ事にした。つまり、政策的に違ったものでは無く、あくまでも対人間性という問題である。
 新政会が解散したのは、今年の6月定例会中であって、5名のうち、1名は今期で引退する事が分かっており、実質4名。その中で最初に1名が退会をした。そして、その数日後には“解散”となってしまった。
 なぜ、解散になったのかは、ウワサがあるが当事者から聞いた訳でもないが、政党の理念で集まっている訳ではないので、やりは、会の中での確執の問題であろうと推測していた。
 ただ、定例会は明日終了予定であったし、『なぜ、あと二日くらい待てなかったのか?』という事であった。なぜなら、解散して事により、議会運営委員会の構成を変えなければならないハメになってしまい、余計な時間を取られたのであった。
 率直に「あと二日我慢すれば、後は選挙終了まで顔を会わす事もないのに」と思っていたし、逆に、選挙で再選出来る保証は何もない。
 ただ、そんな状況での解散だったから、お互いによほど我慢出来ないからこそ、解散になったのであろうと、推測は十分出来た。



 さて、今回の選挙を終えて、会派構成の段階では、自分としては新政会が解散した事により、新たな枠組みが出来ると考えていた。
 その過程は前回の“独り言”で触れたので、ここでは改めて記載しないが、未だに分からない事。なぜ、新政会が戻ったのか?という事である。

 確かに、元の新政会だけのメンバーだけではなく、新人4名を含む8名で明政会となっているのは事実だが、解散の経過、また、選挙直後に新たなる枠組みで動いた過程を考えれば、なぜ、再結集してしまったのか?が理解出来ないし、名前と構成員数は違うとも、新政会とどこがどう違うのかが、まったく理解出来ない。
 そして、これによって、他の議員、具体的には町民連合と民友クラブを結果的に合致させてしまった。
 また、聞き及ぶ所では、もう一つ会派が出来る予定になって、会派名まで決まっていたのが、これも壊れてしまい、結果的には、枠組みから外された無会派の議員の一票で、同数ではなく、2票差となって決まった事になる。




 さて、正副議長選挙とは一般の選挙とは、チヨット様子が違う。どう違うといえば、立候補が無い選挙である。
 通常の場合は『私が立候補します』と名乗りを上げるが、これが無いために、実際の所、だれが出るのかは、蓋を開けてみなければ分からないのである。


 さて、ちよっと話はそれるが、なぜ、ここまで時間がかかるのか?といえば、議長が決まるまでは、仕切る人がいないからである。
 で、一応の仕切り役としては、『年長の議員が当たる』事になっていて、今回の場合は渡辺秀郎議員がその仕切り役になるが、そこまで持って行くまでのルール作りから始めなければならない。
 最年長の議員は、本会議の場合は“仮議長”、委員会や協議会の場合は“座長”と呼ばれるが、どちらの場合でも“権限”を持っていない。あくまでも、単に仕切るだけであって、あくまでも全員の合意がなければ次に進めないのである。


 これが時間がかかる一つの原因であるが、議長や委員長というのは“権限”を持っている。つまり、議長権限で『質疑打ち切り』という事が出来るが、座長や仮議長にはその権限が無い。
 あくまでも、慣例や先例、または全員の合意があって、進めるのであって、まず、どういった方式で、会議を進めるのか?という事から始めるのである。

 会派が出来ていれば、座長が、会派の代表を呼んで話を聞いたり、話したりする。そして、会派の代表は、会派に戻って、会派の中の意見をまとめる。という事になるが、無会派がいれば、全員呼んで、話しをしなければならない。
 今回、21・22日に停まっていた一つの原因として、無会派の人があまりにも多かったという事もある。つまり、代表者どうしの話し合や、代表者に話しをすれば、意見が伝わる。という事にはならないからである。


 さて、議長を決めるのに、選挙か話し合いでするのかは別として、議長が決まれば、次のステップに進むのである。
 議長が決まれば、議長が仕切る事になり、次は副議長という事になるが、すぐに進むという事にはならない。
 まずは、事務的手続きをしなければならない。具体的には、議長の口述等の用意であるが、本会議の口述は非常に大切なものであって、また、地方自治法や法律に則っていなければならない。
 法律に則らないやり方は、一切の無効であって、さらに口述に間違いがあれば、最初からやり直し。という場合もありうり、よって、時間がかかる。
 そして、副議長の選挙が行われ、次の段階に進む。

 副議長が終われば、各種委員会の委員選出と委員会の正副委員長の選出となるが、これも会派の思惑がぶつかり合う。
 今回の場合は、明政会が『委員長を二つほしい』と要求して来た。最終的には全会派の了解となって、明政会が二つ委員長ポストを取ったが、どこの委員長か?とか、また、委員長を取ったら副委員長はどうするのか?、はたまた、委員会の構成メンバーをどうするのか?で調整をしていく事になる。
 当然、複数の会派でやっているので、Aが了承しても、Bが弾き出され、これではBが納得しないのでAに再度交渉するこれがダメだとCに交渉する。この間、やっていない会派は待っていなければならない。
 という過程を繰り返し、最終的に全員が『OK』と言うまで行われる。それをしないとなれば、すべて、本会議で選挙という事になり、こうなると、以後の議会運営については、かなり難しい事になるが、今回は正副議長で止まり、また、時間は遅くなったものの、一日で終わったとするならば“上出来”といえるだろう。



 さて、だいぶ話が逸れたが、28日の議長選挙については、22日決定されていたので、すぐに選挙となるが、前掲のように、立候補者が名乗りを上げる選挙ではない。
 選挙のやり方だが、仮議長(最年長議員)が議場を統裁し、『議場閉鎖』を命じ、議場にカギがかけられ、開票が終わるまではそのままであり、この時は、番外の役場職員は着席しておらず、正に、議員と事務局員だけの閉ざされた空間となっている。
 その後、投票用紙が配られ、この時の口述として『単記・無記名で記載のこと』と口述する。
 そして、演壇に投票箱が置かれ、議会事務局長の呼び出しに応じて、議員が前に出て投票する仕組みとなっている。
 投票用紙は通常の選挙で用いられるのと同じ書式になっているが、余市町議会の文字と刻印が押してあるものが使用され、記名の後、二つ折りにして投票箱に入れる。ただし、自動で開くものではない。

 投票が終われば、すぐに開票となるが、開票には、複数の立ち会いが出来るが、投票前にその氏名が呼び上げられる。
 今回は議長・副議長が選挙であり、それぞれ3名、都合6名が立ち会いをしたが、自分は、今回、正副議長のどちらも立ち会いが出来た。つまり、最初に結果をしる事が出来たが、二つ折にしてあるものを事務局員が開いて、名前を確認して集めるが、ある意味、非常に緊張をしたのであった。
 なぜなら、前掲のように、正式には、だれが議長(副議長の場合も同じである)をやりたいのか?という事は、分からないからであって、もし予測がずれていれば、それで終わりである。
 ただ、おおよそ、その予測はついているが、立候補が名乗りを上げない選挙である以上、開票してみなければ、分からないのであり、また、無記名投票という事で、これまた、だれが、なんと名前を書いたのかも、分からないのである。
 選挙結果は、12対10、つまり、一人の差で、今期の議長は安宅議員と決まった。そして、副議長についても投票結果は12対10で渡辺正治議員となった。



 さて、かなり長くなっているが、共産党と組んだのか?という事だが、組んではいない。そして、だれかを騙している訳でもないし、裏切った訳ではない。最初の枠組みで弾き出されただけであるが、やっぱり「なんで?」と聞いてみたい。
 4年前も同じであるが、事前に共産党と政策協定を結んだ訳でもないし、自分の方から共産党に依頼した事も、さらには、共産党から『渡辺正治』と言われた事は一度もなく、また、反対に、それ以外の議員から『◎◎を頼む』と言われた事も一度もない。
 今回の場合、共産党は独自の考えで議長を“安宅”と書いた事。そして、自分として副議長をだれにするのか?と考えた場合、二つの理由によって、渡辺正治と書いただけである。

 これはなかなか理解されないと思うが、まず、自分は選挙の義理は選挙で返すのが仁義だと思っている。そして、自分の場合は、現時点では党籍を持っておらず、前回の国政選挙では、衆議は民主、参議は自民をやっていた。
 色々な活動をしていると、それぞれの議員に貸し借りが出来るが、政策ではなく、それは選挙のお手伝いとして返すのが、一番よい方法だと、自分は考えており、それをやって来ている。
 よって、前回も今回も同じだが、共産党は勝手に安宅と書いたのだから、これに対するお返しに“渡辺”と書いただけであるが、これで借り貸しはなし。逆にこれをしなければ、『あの時の借りを返せ』と言われたとき、議案の採決によって組まざるを得なくなる。
 今回の場合、新自治研究会と共産党と合わせても11であり、半数であって、過半数を越えている訳ではない。つまり、同数でくじ引きの可能性は残されていたのであって、最後の1票を持っていた議員が何を考え、それに対して、相手側がどう動いたのか?という事はまでは分からないが、ここにも、新政会という陰があったという事だけではないのか。

 さて、もう一つり理由として、自分は、渡辺正治という議員を非常に高く評価している。町中でも『共産党で無かったら渡辺に投票するんだけどもなぁ。』という声はよく耳にしているはずである。
 これこそ、外部から見たらまったく理解されないと思うが、現在の議員の中で、あらゆる面を総合的に考えて、今のメンバーの中で、一番議員らしいのは、渡辺正治だと思っている。しかしながら、共産党だから議長という訳にはいかない。
 今回は、議長は安宅となったが、たとえだれが議長になったとしても、自分は副議長は渡辺正治と書いたと思っている。なぜなら、今の議員の中で、渡辺正治にあらゆる面でかなう議員は他にいないと思っているからである。
 もし彼と同等レベルの議員が他にいれば、当然、すぐに議長になっているだろうが、自分の見る範囲の中では、党派を越えて、もっとも副議長に適任と思っており、また、それがこの4年間で先輩議員を見させてもらった中での自分自身の評価である。



 では、なぜ、共産党が渡辺と書くのが分かったのか?もう一人の熊倉の可能性もあったのではないか?という事になるが、共産党は会派の人事から、会長(共産党的には団長)が熊倉となっており、4年前の構図と一緒であって、唯一、渡辺正治が無役となっていたために、おそらく、渡辺正治と書くであろうと推測が出来ただけの話である。


 よく『あれは共産党だから、何をやっても許される』とか『選挙もルールを無視している』とかは話がよく出るが、それはやらない側の言い分であると思っている。
 選挙は日頃の政治活動の延長であって、逆に選挙の時だけ動くから『選挙違反』と言われるのであって、日頃から活動していれば、選挙違反にはならない。
 これを個人でやるか政党でやるかの違いだけであるが、最終的には、議員おのおのの活動だけであり、現実問題として、共産党の議員は小まめに動き、そして、議会活動も活発であり、日頃からこれに対抗出来ている議員が不在というのが現状だと思っている。


 掲示板の方にも『共産党と組んだ』と書かれてあったが、あくまでも政策を結ぶのを“組む”といのではないか。そして、選挙協力というのは、お互いの選挙に話し合って協力したというのであれば、これはそうだが、あくまでも、今回の場合は、最初に共産党が安宅と書いただけであって、違う名前が書かれたとしたならば、それは、また違った結果になったのかもしれないし、個人的には副議長適任者と思ったのが、たまたま共産党だったからの話でだけである。
 これを『組んだ』というのであれば、たまたま余市は議員定数が多いから党派別になる事が出来るが、共産党と自民党同じ会派でいる町はどうするのか。また、前期で共産党が副議長になった事によって、何か具体的に問題が有ったのか。


 誤解されては困るが、最初から、新たなる枠組みを否定していた訳でもない。そして、そのようにも動いたが、タイミングの問題と相手の心理が出来ないまま、進み、結果としてこうなった話だけである。
 
 また、これも誤解されては困るが、自分は共産党と政策協定を結ぶつもりはないし、現在の議員の中では、唯一、共産党から“ヤジ”をもらっている議員である。本会議中の討論で2回、委員会の最中で1回である。
 前期の中では蔭でゴチャゴチャ言う議員はいたが、公式の中で発言して、共産党の言い分に真っ向対立した先輩議員は島議員だけであったし、無論、同僚議員の中では、公明の白川議員は政党間の対立という意味では互いにやり取りをしていたが、根本的な意見の違いでヤジをもらったのは自分だけであって、他の議員は無いという現実がある。


 今回の件で、だれが得をして、たれが損をしたのか?という事については、それぞれの評価があり、もう少し時間が必要だと思うし、本当に正しいのはどちらなのか?という事についても、まだ結論が出ないと思う。おそらく、2年くらいかかるのではないか?と思っている。
 そして、たまたま自分はこの場で自らの考えを示すことが出来るが、再選組の議員で、『共産党と組んだ』という事を声たからかに叫ぶ議員がいるのであれば、明確なる説明をしていただかなければならないと思うが、そんな議員はいないと思う。


 これを綴れば、これを元に攻撃をされ、新たな波紋も呼ぶことは分かっていても、馬鹿正直に、この場に綴っている、自分はもっと馬鹿であると思う。


 どちらにせよ、すんだ事であり、3日間の儀式だったといえば住民からは怒られるだろうが、どちらの言い分も『一理あり』であり、最終的には『どっちでも良い事』ではないだろうか。

 過ぎ去った事に捕らわれるより、そんな事にこだわっている暇はないはずである。
 前町長が残した問題、また、余市町も選挙が終わった事によって、本格的に町村合併の協議に入らなければならない。
 合併をした場合、しない場合とどちらが特であって、目先の利益と将来の利益。どちらに転んでも、イバラの路だと思うし、それを決めていかなければならないのも議員の宿命である。

 議会の中も、議会の外も、激動か予想され、その中、棚ボタ的に議会運営委員長になってしまった。
 立場的には、議長と同様な権限を持つ事になるが、反面、ある意味では全ての泥を被っていかなければならないポジションであって、議会・役場・住民・地域をどうまとめ上げるのか。
 そんな能力はさらさらあると思っていないのだが・・・・・

 これも運命か宿命かは分からないが、決まった以上、グチグチ言わないし、出来なければ・・・・・・・・イィだけサ。


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