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平成15年6月5日UP
    ☆後志タイムス廃刊へ☆

 5月31日・土曜日、一通の青い封筒が届いた。議員となってからは良くでもないが、見慣れた封筒であった。差出人は“後志タイムス社”である。

 さて、内容は『後志タイムス廃刊のお知らせについて』であり、B4用紙に案内があり、文末には社印も押してあった。



 以下、その全文である。

後志タイムス廃刊のお知らせについて
 陽春のみぎり、貴職には益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
 さて、後志タイムス社は北後志を中心とする政治・経済・社会の動向を鋭く捉え、地方紙としての役割を果たすべく昭和58年5月15日に創刊し、昭和63年8月19日第三種郵便物の認可を受け、旬刊紙として477号にわたる発行を重ねて参りました。
 創刊以来、今日まであらゆる角度から問題点をご指摘したり、お座りを覚悟でご提言をさせて頂いた後志タイムスを、ご愛顧、ご愛読賜り衷心より厚くお礼申し上げる次第でございます。
 この度、私儀、病を得まして一日も早く復帰をと、入院加療を続けて参りましたが、新聞の発行を続ける体力の回復が得られないことから、断腸の思いではありますが、後志タイムスを廃刊致すことに相成りました。
 創刊から今日まで、ご購読者の方々には並々ならぬお世話になり、心から深く感謝申し上げる次第でございます。
 本来ならば、一々拝眉の上、今日までのお礼を申し上げなければならないところではありますが、甚だ勝手ながら事情ご賢察頂きご容敵の程お願い申し上げます。
 つきましては、誠に恐縮とは存じますが1月〜3月分までの購読料をお知らせいたしますので、下記の金融機関にお振り込み賜りますようお願い申し上げます。
 創刊以来、2l年間の長きに亘り後志タイムスをご愛顧、ご愛読たまわりまして重ねて厚くお礼申し上げ、廃刊の御挨拶に換えさせて頂きます。
                                              敬具
               記
      (l月〜3月分購読料円       2000円)
  指定金融機関名◎◎◎◎◎◎       口座番号§☆◎◇◆§
 平成l5年5月
                              後志タイムス社 社主 伊藤勝美



 後志タイムスの位置付けはどういう位置付けだったのか?といえば、一口で言えばゴシップ紙であったであろうが、第三種郵便物の認可を受けたという事であれば、新聞という位置付けになるのではないか。
 そして、新聞社という位置付けにより、各役場では後志タイムス社宛てに議員に配られる議案書が用意されていた事実があった。

 さて、余市町におけるこのような新聞の歴史は、かなり古いようで、後志タイムスが発刊したのは昭和58年であり、それ以前は、2紙があったそうであるが、その実物を見た事もないので、なんとも評価は出来ない。


 さて、実は、後志タイムスの廃刊については、自分はかなり早い時期に知っていた。だれから話を聞いたのか?といえば、伊藤勝美氏本人からであった。

 5月18日は日曜日であったが、日曜日は仕事の関係で職場にいて店番をしているのだが、たまたま席を外して、事務所に戻ると、従業員から『伊藤勝美さんという人から電話があって『電話がほしい』との伝言でした。』と言われた。
 伊藤勝美氏からの電話という事で、けっして快く思ってはいなかったが、だいぶ弱っておられるという事も聞いており、無下にする事も出来ずに、電話をした。

 電話をすると本人が直接出て、『吉田です。』と名乗ると、
 『吉田議員、話があるので、一度、来ないか?』
 『こっちには何も話しは無いですよ。用件はなんですか?』
 『実は、病気も重くなり、後志タイムスを廃刊しようと思うが、吉田議員のニュースも読ましてもらっている。今の議員で出来るのは、吉田議員しかいない。後志タイムスをやらないか?』
 『そうですか。そういう用件ならば、後日、伺います。』
 と電話を切ったのであった。

 まさか、伊藤勝美氏からこんな話しをもらうとは思ってもいなかったのは事実だったが、電話をもらった後、真剣に考えてみたし、また、数人に相談もしてみた。

 何でもそうだが、事業としては、経営者が変わったとしても、だれかが継続するのが再度の許可を必要とせず、一番楽な方法である。
 では、自分が後志タイムスの編集が出来るものなのか。特に、新聞という名前が付く以上、取材もしなければならず、また、北後志全体に目配りが出来るのか?という事を真剣に考えてみた・・・・・・。


 後志タイムスの紙面構成だが、紙面は大きく3部構成になっている。一つは、記事そのもので、どこどこで何が行われたとか、広告的な記事。そして、伊藤勝美氏が書いていると思われる記事。もう一つは“投書”といわれているものである。
 記事の内容については、報告的事項と広告が主体となっているものについては、当たり前の事であるが正確であったと思われる。
 では、伊藤勝美氏が書いている記事はどうなのか?といえば、かなり主観が入っている面も多分にあるが、それなりの事実も含まれている。つまり、100%ウソではないと見ていたが、主観が入り過ぎて、片方、もしくは自らが肩入れをしている側を“正”として、片方に取材をしないで綴る面が多分にあった。
 次の投書については、本当に投書があるのかどうかは不明だったが、かなりの確立で正しい。場合によっては95%以上の確立で正しい内容であったと、自分では判断している。無論、差された本人がなんと言うかは別問題であるが・・・・。


 伊藤勝美氏との出会いは、自分も議員になってからである。その前は、後志タイムスの社主というより、自分の父親が一時、自民党の党員であった事から、党費を集めに来ていた事があった事は覚えているが、自分個人としては無かった。


 平成11年8月。今は亡き、藤田賢一議員(当時現職)から『俺の替わりに、議員に立たないか?』と後継使命を受けて、始めての選挙を戦い、当選する事が出来たが、以後、伊藤勝美氏との不思議な“えにし”が続けられることになる。

8月 8日 選挙投票日
   20日 申し込んでもいないのに、後志タイムスが郵送されて来た。
   23日 臨時会招集。議長の決定について、一日空転。
   24日 臨時議会、前日に続いて一日空転。この日の午前9時、伊藤勝美氏
     より電話。内容は議長選にまつわる事項で、ズバリ、議長選挙の圧力と
     もいえる投票依頼。
  27日 議長決定について、選挙を実施。投票の結果、野呂栄に決定。
  30日 副議長について、選挙を実施。投票の結果、同数となり、くじ引きで
     渡辺正治に決定

10月25日 農業委員会開催、伊藤勝美氏、農業委員会を傍聴、並びに後志
      タイムスの集金。

 この日、始めて伊藤勝美氏と面と向かって話すことになり、他の農業委員が全員帰った後、役場の3階で15分ほど大激論を交わした。
 内容は、議長選にまつわる内容であり、伊藤勝美氏もまた、自分も地声が大きい方であり、どなり合っての話し合いとなってしました。そのうち、当時の議会事務局長がシブイ顔で『隣で会議していますので、やるなら事務局の方でやって下さい。』と言われ、お互い、別れたのであった。


 以後、しばらくは電話も交流も無かったが、平成12年8月30日の後志タイムス416号に、突如としてバッシングをされた。
 この件に対し、自分はニュース6号で事細かに、明確に反論したのであった。

 後にも先にも共産党以外で、後志タイムスに公式に反論をしたのは自分だけのようで、この反論は話題となっていた。


 以後、役場で顔を合わせば、挨拶程度をしていたが、平成13年頃から役場で会えば、自分のニュースを手渡すようになっていた。


 次に伊藤勝美氏から電話があったのは、平成14年3月2日であり、『会派の退会届けを出したというウワサを聞いたが・・・』との電話であり、『受理はされていないが、出すことは出した。』と答え、この内容は452号に報じられた。


 後志タイムス社主の伊藤勝美氏は、元、議員であり、議員歴もかなり長いようであるが、政治スタイルとして反共をしている。なぜ、反共なのかといえば・・・・・

 一つは、自民党員である事。もう一つは、過去において、議員を失職した事があり、その失職をした理由というより、それを差した議員が、たまたま共産党の議員だった事に起因しているようであるが、それを差した議員の話しは、詳しく聞いているが、伊藤勝美氏からは、聞いた事がなく、事実なのかどうかは、分からない。だた、相当な恨みを持っていたと推測され、それが根底にあるがために、論調的にそうなっていたと思っている。


 ある面では、極めて正確な情報を持っていた事も事実であり、また、どういう訳か自分にかかわる記事も多く掲載されていて、『後志タイムスに叩かれる議員は大物になる』と言われた事もあるが、反面、伊藤勝美氏に対し『原稿料代わりに、少し部数くれ。』と無理矢理もらい、自分の職場にもおいていた事もあった。
 職場では『“敵の敵は味方”となったらダメだぞ』と注意された事もあったが、そう忠告してくれる人程、しっかり後志タイムスを読んでいたのも事実であった。


 さて、5月18日に電話をもらい、数日間熟慮のうえ、5月21日に伊藤勝美氏の自宅を訪ねた。
 たまたま、この日は本人の体調も良かったらしく、居間のイスの上に座っていて、始めて、居間に通して頂いたが、やはり、弱られたという印象が強かった。
 結論としては、後志タイムスの承継はお断りをしたが、1時間程、色々と話をさせてもらったが、なかなか面白い話が聞けた。

 昔の議員は、強い個性を持っておられたようだが、伊藤勝美という元町議会議員は、極めて強烈な個性を持っていただろうし、また、自らの主張が正しいのか間違っているのか。世間一般に通る理論なのかどうかは別として、自らの主張を強烈に押し通したという事は、間違いのない事実であったと思うし、今の議員の中には居ないタイプであると感じている。

 伊藤勝美氏と別れる時、自分の方から「伊藤さん、もっと、伊藤さんがもっと元気な時に出会いたかったね。また、来るょ。」と握手をして別れたが、本心からそう思った。



 伊藤勝美氏は現在、存命中であり、また、こまHPに綴った内容、現在の議員にかかわる話しが多分にあり、現時点では、まだ話さない方が、無難ではないか。と思うし、また、これから時期的に選挙を控え、『選挙妨害だ!』と言われたら大変なので、今は、封印をしておきましょう。関係者が無くなったら、話せる話しもあるでしょう。
 どちらにせよ、廃刊となってホッとしている議員は多いと思うが、自分としては叩かれれば、さらに返すだけの情報と手法を持ち合わせているので、何とも思っていないが、一つの情報源が無くなったのは、淋しい限りであり、また、さらに、一つの名物も消えたのであった。
 やっぱり、後志タイムスを継いだ方が良かったかなぁ・・・・・。

追記
 確か、後志タイムスは毎年9月頃に年間購読料を支払っていると思っていたが、年が変ったので、1月〜3月分の購読料というのは、チト、おかしいと思う反面、さすがは、伊藤勝美氏であるとも感心してしまう。
 でも、しっかり支払いましょう。その分、自分もしっかり利用させてもらいますからネ。